クリス・アントレーの光と影
 
2000年12月2日の夜、世界の競馬界は最も才能があり、最も愛すべきジョッキーの1人を失った。
その人の名はクリス・アントレー。
ロスアンゼルス郊外の自宅において殺害されたのである。享年34歳。

クリス・アントレーは1983年にプロとしてデビュー以来、アメリカを代表するジョッキーの1人としてキャリアを築き上げてきた。
デビューの翌年の1984年には全米最多となる年間469勝(!!)を達成し、また、同一日に2つの競馬場で騎乗し1日に9勝(!!)という離れ業をやってのけた。さらに、1989年には64日間連続勝利という、今後破られることはないであろう記録さえうち立てた。

1991年、彼はストライクザゴールドで最初のケンタッキーダービーを制した。
1999年にはカリズマティックで2度目のダービーを制し、続くプリークネスSも圧倒的な強さで制覇した。
生涯通算勝利数:3480勝。生涯獲得賞金は9200万ドルを上回った。

彼の名前をいっそう高めたのは、3冠目のベルモントSの出来事である。
ゴール直前にカリズマティックが脚を傷めたことを即座に感知、入線するやいなやすぐさま下馬し、救急隊が来るまで同馬の脚を支えながら気持ちを落ち着かせたのだった。

2回目のダービー制覇 ベルモントの静寂
その光景はABCテレビによって全国に中継され、アントレーは競馬ファンはもとより、動物愛護家からも大きな賞賛を得た。
『カリズマティックが、怪我から立ち直り今種牡馬として余生を送っていられるのは、クリスの的確な判断のおかげなのだよ!』
と、オーナーのボブ・ルイスは語る。
確かに、アントレーの機転の良さが無かったら、カリズマティックの今は無かったかもしれない。

しかし、華々しい活躍と背中合わせにアントレーは深刻な問題を抱える事が多かった。
その1つが薬物使用である。
1980年代の中頃、ちょっとしたことからコカインを常用するようになり、さらにアルコール中毒にも悩まされた。
そして、もう1つの大きな問題が体重コントロールの難しさだった。
アメリカのジョッキーはおおむね120ポンド以下の制限が義務づけられているのだが、彼は1996年の秋頃からしばしば、レースに乗れないほど苦しむ日々を送らねばならなかった。
アントレーがこの世を去った時、彼は8ヶ月間もレースから遠ざかっていた。2000年の2月に膝の手術を受けたのだが、肝心の体重管理が思うようにいかなかった。
そして、またもや麻薬の悪の手が彼に忍び寄ってきた。

アントレーの訃報は、全米中のスポーツ界を揺るがしたと同時に、普段は静閑な高級住宅地として有名なパサデナの住民を恐怖に陥れた。
彼は、今年初めに元ABCのテレビプロデューサーだったナタリーと結婚。
この12月には初めての子供の誕生を迎えるはずだった。

クリス・アントレーの遺体は、彼の弟ブライアンとその友人によって発見された。時刻は午後の11時。
地元警察によれば、アントレーはそのわずか数時間前に殺害された模様で、死因は頭部を何かで強打されたためだったという。
だが、彼らは、時々アントレーの家に寝泊まりしていた24歳の男を拘留していると発表した。
その男は、アントレー殺害とは関係なく、麻薬取り締まり当局によって執行猶予の身だった。

長年の友人で、騎手仲間であるゲイリー・スティーヴンスは、大きな悲しみをこらえながら、ここ最近のアントレーの様子を思い浮かべる。
元々彼は物事を深く考え込むタイプだったが、それにしてもここ何日間は落ち込みが激しく、スティーヴンスにも何らかの救いを求める気配はあったらしい。
『僕はクリスが心配でたまらなかった!』と、スティーヴンスは悔しさをいっぱいにする。
『殺される何日か前に、これではいけないと思って、クリスを誘い出そうとしたんだ。でも、何度電話しても応答はなかったんだよね。
彼と僕とは今まで親しく付き合ってきたし、彼も助けが必要なら僕がいるってことはちゃんと分かっていたはずなんだ!
それなのに、彼は1度も僕に助けを求めようとしなかったんだ。なぜ、こうなってしまったか、いまだに信じられないよ!』

また、昨年までアントレーのエージェントとして仕事をしてきたロン・アンダーソンは、やはり最近、アントレーが自分の身に危険を感じていたと明言する。
『間違いなく、クリスの回りには、いかがわしいグループの存在があったと思う。彼らは、クリスをただ利用しようとしていただけなんだ』

アンダーソンだけでなく、複数の友人達が、アントレーは再び麻薬に手を出していたと言う。
12月5日の段階では、ロサンゼルス警察の検死官は、アントレーが実際に麻薬を使用していたかどうかを発表していない。

しかし、どれだけ日常生活の汚れた部分があろうと、クリス・アントレーが偉大なジョッキーであったというのを消し去ることはできない。

『天才ジョッキーってのはまさしくクリスのことだよ』
と、言うのは、1994年にアントレーがサンタアニタHを勝ったときのトレーナー・・・ゲイリー・ジョーンズである。
『私はずっと彼の欠点を探していたが、ただの1つも見つけることはできなかったね!』

結局。彼の唯一の欠点は、成功しなければいけないというプレッシャーとジョッキーという仕事への執着があまりに大きく、それを自分の中でどう昇華すべきかが分からなくなったことだろう。
12月3日、日曜日ハリウッドパークとアケダクトの2つの競馬場では、アントレーのためのメモリアルセレモニーが行われた。
ジョッキー全員がウイナーズサークルに集まり、彼のために黙祷を捧げた。
間もなく、クリス・アントレーは変わり果てた姿で、故郷のサウスカロライナへ帰る。
そして、今なお彼の父親が暮らす家の側に埋葬される。
もう彼には何の苦しみもない。心から冥福を祈る。
ジョイ・ホヴディ   
<<続報>>
2001年1月11日(木曜日)アントレーの死因は、数種類のドラッグを乱用したための中毒死と発表されました。
当初、言われていた殺人の可能性は低く、頭部の打撲は死因となるには十分ではない!という結論。
彼の頭蓋骨には何の形跡も無かったそうです。
夫人のナタリーは出産のために入院している病院でこの報告を受けたと言うことです。