追悼、サンデーサイレンスよ安らかに
●サンデーサイレンス(16yo)が死んだ。
蹄葉炎を発症し、厳しい状況ながらもなんとか生きながらえていたサンデーサイレンスは8月19日に遂に立てない状況に陥った。
そして、衰弱性心不全で逝った。
日本の生産界を牛耳っていたサンデーサイレンスがいなくなってしまった。
いつかはこんな日が来るとは思っていたが、10年早く来てしまった感じがする。
産駒が米国のレースを勝ちまくるのを見ずに死んでしまうとは無念であろう。
これからだっただけにとても残念である。残された産駒の活躍を祈る!
そして・・・ポストサンデーよ早く出てこい!
社台ファームの広報によれば
『最期の3日間は悪くなる一方でした。我々は強力な薬を沢山投与しました。
が、今日、横たわったまま立ち上がれなくなってしまいました。』
と言うことらしいです。

サンデーサイレンスは『醜いアヒルの子』であった。
彼は、1yo、2yoの時にセリに出されたが、その薄っぺらい容姿と地味な血統が原因で売れ残った馬だった。
セリの帰り道に馬運車が事故にあって死にそうになったり、病気に掛かったりと試練が降りかかる。
しかし、彼は1年後、偉大なるチャンピオンに変貌する。
サンデーサイレンスは生涯に14戦しているが、9勝しており2着が5回。
獲得賞金は4,968,554$である。
1989年のクラシックは熱かった!ライバルのイージーゴアーとの競いは見応え十分!
中でも、2冠目のG1プリークネスSは圧巻だった。
ピムリコの直線での叩き合いは、まるでサンデーサイレンスがイージーゴアーに噛みつかんばかりの迫力。
先に仕掛けたイージーゴアーを捕まえるべくサンデーサイレンスのエンジンに火がつく。
叩き合いは壮絶。阪神大賞典のナリタブライアンとマヤノトップガンの叩き合いより血鬼迫るものがあった。
ゴールしたとき、ハナだけサンデーサイレンスが先着。
しかし絶対に追いつくことのできないハナ差だった。
私が最も好きなレースである。
3冠目のベルモントSではイージーゴアーが意地を見せて大差で勝ったが、最期の対決BCクラシックでもサンデーサイレンスが快勝!
そして、この年の最優秀3yo馬と年度代表馬を勝ち取った。
しかし・・・こんな名馬でも種牡馬としては冷たい目で見られた。
ヘイロー産駒の大物と言えばデヴルズバッグがいたが、これがどうしようもなく失敗してしまっていたからである。
しかも、デヴルズバッグの母系は名血であったが、サンデーサイレンスの母系は地味な変哲もないもの。
シンジケートを組んでみたものの、会員が全然集まらなかった。
そんなサンデーサイレンスを助け出したのが日本の社台であった。
その後は言うまでもなく、順風そのものであった!

しかし、日本の競馬はどうなっていくのだろう?
恩師C.ウィッティンガム師との秘密の語らい 老調教師におねだりするサンデー

写真は米ブラッドホースからの拝借 2002/8/19  

追記:JRAのインフォメーションページにアップされてたので以下に転載します。
しかし、こんだけかい!と言いたいほどセコイぜ!<-ヘ->
種牡馬 サンデーサイレンス号の死亡について


 産駒の重賞競走勝利記録をはじめ、数々の種牡馬記録を塗り替えてきた種牡馬サンデーサイレンス号(牡16歳)が、本日11:00繁養先の社台スタリオンステーション(北海道勇払郡早来町)で衰弱性心不全のため死亡しましたので、お知らせいたします。
【臨床経緯】
5月10日 右前肢深屈腱腱鞘の感染性腱鞘炎と診断される
6月23日 患部の手術により慢性感染性腱鞘炎と判明
6月29日 左前肢蹄葉炎予防のため特殊装蹄を実施
7月 6日、 18日と再度患部の手術を実施
7月23日 右前深屈腱の断裂が認められる
8月 5日 左前肢のレントゲン検査により蹄葉炎と診断される
8月19日 自力直立困難となり、午前11:00衰弱性心不全のため死亡
【社台スタリオンステーション 代表 吉田照哉氏の話】
生きものの病気ということで、受け入れなければならないことではありますが、16歳、普通ならあと何年かは種付けができたはずなので、非常に残念です。日本の生産界のみならず、競馬界にとっても非常に大きな損失だと思います。今後は残されたたくさんのサンデーサイレンスの血を後世に残すことができるよう、今後とも力を注いでいきたいと考えています。
【JRA 橋政行理事長のコメント】
数多くの有名馬を輩出し、わが国のみならず世界に名を馳せたサンデーサイレンス号が亡くなったことは非常に残念です。残された産駒の競走での活躍、また種牡馬・繁殖牝馬としての活躍をお祈りいたします。