- Death Of Cup Hero Albadou -
水曜日(5月5日)シェイクアルバドゥー(Sheikh Albadou)がカートリントンスタッド(Kirtlington Stud)で死亡しました。
死因は心臓発作、享年12歳でした。
彼はブリーダーズC(Breeders' Cup)を勝ったたった4頭の英国馬の1頭であった。
ちなみに、今まで105レース程ブリーダーズCは行われていますが・・・
彼は昨年の11月にケンタッキーから英国に来て、最初の種付けも終えようとしているところだった。
彼の最初のゲインズボロー・スタッドでの(ケンタッキー)種牡馬実績はとても順調とは言えなかった。
しかし、エミュレーツ・パーク・スタッド(Emirates Park Stud)に買われてからは両半球を股に駆ける
シャトルサイヤーとしての生活が約束されていた。
カートリントン・スタッドの場長であるクリスボジェット(Chris Bodgett)は語った・・・
「彼は決められた90頭の牝馬のうち75頭との種付けを終えていた。私は彼を手に入れた事にとても感謝している。また、アルバドゥーは私が扱った馬の中で最も素晴らしい馬だった!と何の迷いも無く言える。」
「彼は競馬場では明らかに王であった。と同時にとても美しい馬でもあった。」・・・と
この鹿毛のグリーンデザート(Green Desert)の仔は英国における唯一のダートのブリーダーズCの
勝ち馬である。
彼は、1991年のブリーダーズC・スプリントを26-1(27倍)で勝利した。
- Shareef Dancer Put Down At 19 -
1983年の愛ダービー馬のシャリーフダンサー(Shareef Dancer)が火曜日(5月4日)にニューマーケットの厩舎で死亡しました。
死因は右後ろ脚の骨折、享年20歳でした。
ノーザンダンサー(Northern Dancer)の仔であるシャリーフダンサーはケンタッキーの2歳馬セールで330万ドルの値がつきました。
彼の調教師であったマイケルスタウト師(Sir Micheal Stoute)は語る・・・
「とても悲しい知らせだよ・・・。彼には素晴らしい想い出がたくさんあるんだ。
中でも愛ダービーを勝った時の想い出は特別だ!」・・・と
キングエドワード7世S(King Edward VII Stakes)の時、彼はウォルタースインバーン(Walter Swinburn)を背に、仏英のダービー馬カーリアン(Caerleon)とティーノソ(Teenoso)に対して3馬身差で勝った。
結局、それが彼の最後のレースになった。
シャリーフダンサーの種牡馬としての最初の成功は1991年。
娘のポセッシヴダンサー(Possessive Dancer)が伊仏両オークスを勝った時に始まった。
晩年では、5つのG2とG3に勝利したタフなロックホッパー(Rock Hopper)が上げられるであろう。
また、ブルードメアサイヤーとしても注目されている。
彼はたった5戦で現役生活を終えたし、古馬とも戦っていない・・・にもかかわらず世界記録のシンジケートが組まれた。
この事は、多くの論議を呼ぶ事となったが・・・・あの愛ダービーで見せたパフォーマンスは彼が世界チャンピオンの資質を持っていたことを証明していると言えよう。
- Generous Dam Dies -
1991年の英ダービー馬ジェネラス(Generous)の母、そして世界レコードの値が付いた仔馬の母として知られているドフザダービー(Doff The Derby)が水曜日(5月5日)に死亡した。
場所はアイルランドのクールモア・スタッド(Coolmore Stud)。死因は蹄葉炎による安楽死。享年は19歳だった。
ちょうど、アントレプレナー(Entrepreneur)1997年の2000ギニー馬の牡馬を産んだ後だった。
彼女は水曜日に死亡したのだが、発表は金曜日となった。社長のクリスティーグラシック氏(Christy Grassik)は世界で最も卓越していた繁殖牝馬であった彼女に追悼の意を表した。
「非常に悲しい出来事だ!彼女は偉大な繁殖牝馬であった。しかし、ひどい蹄葉炎の苦しみで倒れてしまった。」
産駒のジェネラスによる多くの勝利・・・
3歳時のコベントリーS(Coventry Stakes)、デューハーストS(Dewhurst Stakes)
4歳時の英愛の両ダービー制覇、キングジョージS(King George)の勝利。
これらの勝利によって、彼女の資産としての価値は非常に貴重なものとなっていった。
ヨーロッパ最高クラスの種牡馬との仔を産み、仔達は1991,1992,1996,1997年のタタサルスのディセンバー・セールで最高額を付けた。
とりわけ、注目されるのは17ヶ月前に250万ギニーでサティシュサナン氏が競り落とした鹿毛の牡馬である。
彼の父はカーリアン、現在、パデュアズプライド(Padua's Pride)と名付けられて調教されている。
厩舎はデルモットウェルド(Dermot Weld)。
ドフザダービーは未出走馬であった。そのため、3歳時に種付けされたという稀な繁殖牝馬であった。
父はマスターダービー(Master Derby)、あの有名な鉄の女トリプティク(Triptych)の母トリリオン(Trillion)とは半姉妹となる。
彼女は6頭の勝ち馬の母となった。この中には、日本のミリオネアー(笑い)オースミタイクーン(Osumi Tycoon)や愛1000ギニー2着のストロベリーロード(Strawberry Road)も含まれる。
*時を同じくして・・・ドフザダービーと同年齢、産駒の大活躍によって名繁殖牝馬として誉れ高かったパシフィカス(Pacificus)も産駒を残したまま・・・この世を去った。
アーメン!
1999年5月9日
- Fairy King & Slightly Dangerous Died -
本年度、英ダービー馬オースの父フェアリー・キング(18歳)が7月1日、繋養先のアイルランド・クールモア牧場で蹄葉炎を悪化させて死亡しました(安楽死処分)
本馬は兄サドラーズウェルズの全弟と言う事だけで種牡馬入りを果たしたが(競走成績は1戦0勝)
兄とは違って、3歳戦に無類の強さを発揮!
兄が果たせなかった英ダービーをも制覇してしまいました。
昨年、本年度と受胎率が低下しており、健康面において懸念されていました。
1986年種牡馬入り。
代表産駒:オース(英ダービー)、エリシオ(全欧年度代表馬)、タートルアイランド(愛2000ギニー)、ヴィクトリーノート(仏2000ギニー)、シンコウキング(高松宮杯)など。
13頭のG1勝ち馬を輩出し、英愛3歳リーディングサイアー3回、96年には仏リーディングサイアーに輝いている。
日本に輸入されたコマンダーインチーフやウォーニングの母、スライトリーデンジャラス(父ロベルト)が6月27日繋養先のニューマーケットで全身衰弱の為安楽死処分されました。(21歳)
本馬は現役時代4戦2勝(G31勝)の成績で繁殖入りしましたが、85年に生んだ2番仔ウォーニング(父ノウンファクト)がマイルG1に2勝(サセックスS、クイーンエリザベス2世S)
4番仔ディプロイ(父シャーリーハイツ)が愛ダービー2着。
そして、7番仔コマンダーインチーフ(父ダンシングブレーヴ)が英愛ダービーを制すなど全13産駒のうち9頭が勝ち馬となり97年の英国最優秀繁殖牝馬に選出された。
1999年7月23日