●ロンシャン競馬場について
1854年8月18日のこと、パリ市議会はロンシャン村がブローニュの森に所有地を持つ事を正式に認可しました。
そしてその場所に、ロンシャン競馬場が作られたのです。
土地のリースについて1856年6月に取り決められましたが、フランス競馬の為にパリ市がロンシャンの60ヘクタールの土地を50年間貸与することになった。(1856年7月1日〜1906年6月30日)
ロンシャン競馬場での最初のレースは1857年4月27日(日曜日)に行われました。
大観衆が集まり、ナポレオン3世夫妻も姿を見せました。彼らはセーヌ川に船を出し、そこから第3レースをご覧になったと言う事です。
多くのパリジャン達はその時から1930年までは蒸気船や帆船などでロンシャンに足を運んでいました。
当時はエンクロージャーに入れるのは王族・貴族に限られていました。
ジェローム・ボナパルト - ナポレオン王子親子やナッソー公やムラ公、熱心な競馬愛好家であったモーニー公などが列席していたとのことです。
裕福だが貴族の称号を持たぬものはエンクロージャーには入れなかったので、バルーシュ型の馬車を芝生まで乗り入れてレースを観戦しました。
馬車や手漕ぎボートでロンシャン競馬場に来たパリジャン達はこの新しい競馬という興行に非常に興味を持ったらしい。
さて、最初の開催日には5つのレースがおこなわれたが、記念すべき最初の優勝馬はエクレルール(Eclaireur)という馬だった。
オーガスト・ルパン公爵の赤と黒の服色で走りました。
この馬の小差で2着に入った馬が、後にフランス競馬史上最も有名な繁殖牝馬となる、ミスグラディエター(Miss Gradiator)だった。
彼女は数年後にフランス史上最も有名なサラブレッド、グラディアテュール(Gradiateur)を産んだからである。
グラディアテュールの銅像は現在でもロンシャン競馬場の正面入り口に立っています。
1914年の晩春、ロンシャン競馬場でパリ大賞(Grand Prix de Paris)が行われるようになった。当時このレースの賞金総額は30万フラン。
この額は世界でも最も高額なものでした。しかし、この年の8月には第1次対戦の為、競馬場が軍に徴発されてしまい、競馬は中止に。
戦後正式に再開されたのは1919年5月5日のメゾンラフィット開催からで、ロンシャンは5月8日から再開されました。
凱旋門賞(Prix de l'Arc de Triomphe)が最初に行われたのは1920年10月3日(日曜日)。
それ以来、10月の最初の日曜日に開催されており(第2次対戦中の1939、1940年は中止)、今年で第80回を数えます。
このレースは、英ダービーや米ケンタッキーダービーと同様に、プレステージの高いレースとして有名です。
●凱旋門賞(Prix de l'Arc de Triomphe)の起源
フランス競馬界は最初、国内で生産され育成されたサラブレッドの為のレースを(日本で言うところのマル父レース)充実させる事しか考えていなかった。
しかし、フランス馬が本場英国で猛威を奮い、その名声がアッという間に国境を越えて広がったこともあり、フランスにおいても国際レースを設立することになる。
その結果、パリ大賞(Grand Prix de Paris)が設立されて国外の3yo馬にも解放されました。
1862年1月11日の会合で、優勝馬の賞金は10万フランに決定しましたが、当時は目も眩むばかりの額でした。
モーニー公などの働きかけによって、パリ市が5万フラン。5つの鉄道会社がそれぞれ1万フランづつ提供することになったらしい。
1863年の第1回パリ大賞は以下の条件で行われる事になりました。
実際には1863年5月31日に行われ、予想を上回る大成功を収めました。
- 資格・・・全ての3yo牡牝馬。
- 開催日・・・日曜日。
- レース距離・・・3000m。
30年後、1893年に“パリ大賞”は“市議会賞(Prix de Conseil Municipal)”と名称を変える事になる。
古馬にも門戸を開き、賞金額もアップし、益々外国馬達にとって喜ばしい結果となりました。
しかし、ハンデ戦となってからは、クラシック競走としての格を失い、馬産においても重要なレースとして認められる事はありませんでした。
1920年1月24日の会合において、英国大使ダービー伯の助言によって、パリ大賞を凌ぐハイクラスな国際レースを設立する事を決定しました。
凱旋門賞(Prix de l'Arc de Triomphe)はこうして生まれたのです。
レース名は、第1次対戦で国のために仕えた兵士達に捧げると言う意味があります。
候補としては・・・“Prix de la Victoire”と言うのがあったらしいが、不人気だったようだ。
因みに第1回凱旋門賞は1920年10月3日に行われ、優勝馬のコムレード(Comrade)は15万フランの賞金を得ました。
その時以来、2回の中止を挟んで(1939、1940年)、今年で80回目を迎えます。
2001/10/4