---- 速い馬と遅い馬の違いは何か? ----


ホースプレーヤーにとっての永遠の謎・・・どの馬が勝つのか?
この疑問に答えられる人は世界広しといえども5人はいないでしょう!(^^ゞ
しかしながら・・・走る馬と走らない馬との違いを分析できる人は結構いるらしく・・・この度その様なお話を聞きましたので紹介する事にいたします。

 レース前のパドックに登場した出走馬に熱い眼差しを向ける競馬ファンは、ちょっとした馬の仕草を頼りにしてその日のレースで走りそうな馬を見極めようとする。
勝者と敗者を決めることになるのはサラブレッドの脚ではなく心臓なのだが、パドックに詰めかけたファンの目は残念ながらその肝心な部分までは届かない。
現代の競走馬はどれもみなとびきり上等の脚と筋肉を持っており、大レースを勝つために必要なスピードを出せるだけの条件を備えている。血統の良い馬とそうでない馬との違いは脚や筋肉ではなくて、結局の所、栄光と屈辱とを分ける決定的な要因は、サラブレッド個々の循環器系の効率である。
つまり、違いの秘密は外見では分からない内蔵にあるわけである。
 レースに臨んだ競走馬は、最初の4分の1マイルは<無酸素>で走る。
つまり、血液から酸素を供給されることなく燃料を燃焼させて走るのである。その距離を過ぎると、今度は<エアロビクス>運動の状態に入る。その際必要な酸素を筋肉に送り込むのは心臓と肺の仕事である。心臓がちょっと弱かったり、肺が病気に感染していたりするとレースに勝つことはたいていは望めない。熱発明けに走らないのはこのためである。
熱狂的な競馬ファンは偉大な競走馬を「心臓の固まり」だと断言するが、この心情的な穏喩には立派な根拠があるのである。
ちなみに、エクリプスの心臓は今のサラブレッドの物より大きかったらしい。
 競走馬の生理で一番驚くべき事は、静止状態から全力疾走に移行するに伴って、拍動数が驚異的な増加を見せることである。毎分25回から250回という10倍もの増加をみせると主張する専門家もいれば、増加の程度は36回から240回くらいだという見解を示す専門家もいる。しかし、後者の見解を採っても、拍動数は7倍近く増加して、心臓は1秒間に4回も鼓動することになるわけである。レースを終えたサラブレッドがあれほどに消耗しているように見えるのも不思議ではない。
 そのように激しい活動を定期的に行うというのは、馬にとっては明らかに不自然なことである。悲しいことだが我々は動物を自分勝手に利用して生きている。賞金の高いレースに出走する高価な馬はより速く走ることを要求され、より多くのレースに出ることを要求される。その結果、馬の心臓は肥大し健康を著しく害しかねない。心臓が肥大すると、重要なレースで力走するためにさらに多くの血流を送り出そうにも、心臓が「拡大する」ための余地が胸腔内になくなってしまう。そうすると、正常な鼓動をするためには心臓を取り囲む組織を強い力で押しのけなければならなくなる。余分に必要となるこの力が心臓を疲労させ、ゴール間近で馬の脚を「鈍らせる」こととなる。
常に、これまでの実績に裏打ちされた「本命」に賭ける競馬ファンならば、この事は重々承知のはずである。
レースの前半から中盤にかけては素晴らしい脚を見せていた馬が、突如としてずるずると後退し出すのである。
まるでほかの馬が稲妻のように抜き去り、ゴール目指して急加速したかのように見える。しかし、実際にはどの馬も体力の限界が近づいてきて減速気味である。ただ心臓の具合の悪い馬の減速の程度が著しいために、ほかの馬が加速したように錯覚をもたらすのである。疲弊した馬をその様なレースの後も休ませないと、心臓が取り返しのつかない障害を負うおそれがある。
 レースに勝つ馬を見抜く上でもう1つのポイントは、足並みである。ギャロップの際の脚の接地の仕方が対称であることも、極めて重要である。一般には、脚が「車輪のスポーク」のような動き方をする馬が理想的だとされている。
つまり、それぞれの脚が順番に同じ間合いで接地して、同重量を支えることが望ましいのである。
自動車で言えばフルタイム4WDの様なものかもしれない。
では、強い心臓を持ち、胸筋が発達していて足並みも対称性を保持している馬がレースに勝てなかったとしたら、一体何が悪いのだろう?
遺伝と育成に関係があるということもあり得るが、たいてい人が考えているほどその可能性は高くない。チャンピオン馬2頭を交配させればチャンピオン馬になる子馬が生まれるものと一般には思われている。しかし、期待を抱いてその様な子馬に大金をはたいた人たちの多くが、苦い失望を味わってきた。本当は、現代のサラブレッドは近親交配が進んでいるため、どの馬もとてもよく似た遺伝構成を持っており、どんな親から生まれてきた子馬にもチャンピオンになれる資質を備えているのである。
ただし、子馬ごとに資質にちょっとしたばらつきがある。これが勝者と敗者を分けるのだが、予測できない唯一の遺伝的要因がこのばらつきなのである。
馬の個々の個性は重要な要因である。しかし、個性がどれくらい遺伝的にコントロールされ、どれくらい個人史の気まぐれのせいなのかを言うことは難しい。未だにこの様な手探り状態に置かれている理由は、競走馬はあまりにも高価であると同時に行動の研究者が個々の心理に関する検証を行うには繁殖がゆっくり過ぎることにある。実験動物としておなじみのハツカネズミで行われたいくつかの実験によれば、簡単なトレーニング方法によって勝者を「つくる」ことは可能である事が分かっている。薬を飲まされて異常におとなしくなった大きくて強いネズミの前で優位にふるまうことのできた小さなネズミは、すぐ自信をつける。そうなると、薬を飲ませていない大きなネズミと再び対決させても、体が小さいにも関わらず闘いに勝ち、優勢個体となってしまう。
この様なトレーニング方法を見ると、どんな動物でも自信を植え付けることはいかに簡単かが分かる。社会的な出会いにおけるその個体の振る舞い方に手を加えるだけで良いのだ。どんな動物でもその個人史は、そのようなちょっとした出来事の積み重ねである。だが、幼い子馬が自分の力や確固たる判断を一瞬のうちにいかにして獲得するかは分からない場合が多い。
 成長の過程で幼いサラブレッドの個性をどのように「伸ばす」ことができるかが分かったとしたら、運動選手ならよく知っている肉体的苦痛がたとえ襲ってきたとしてもまだまだ走り続けぞという一徹な心を強化する事ができるかもしれない。
そのあたりのことに関する理解を深めるには、野生馬が敵などから集団で逃げるときの様子を調べればいい。
馬、鹿を問わず、逃走中の有蹄類にとって一番安全な場所は、一団を形成して逃げている群の中央部である。捕食者の手に掛かるのは群の落後者である。時には先頭を走る個体がやられることもある。先頭をいく個体があまりにも先行しすぎると、群の行く手で待ち伏せしている捕食者の餌食に鳴りやすいからである。したがって、疾駆する馬の心に沸き上がる自然な衝動は、群と一緒にいようというものであるはずだ。みんなと行けば怖くないというわけである。これをレースに当てはめれば典型的な勝ちパターンが得られる。どんなレースのフィルムを見てもたいていの場合勝ち馬は最後の直線に差し掛かるまでは集団の「中ほど」に位置していることが分かるはずだ。それも特に3,4番手というのが多い。そこが最後のがんばりで先頭に躍り出るための好位置なのである。馬もそこが集団内の安全な位置と感じ騎手がせき立てない限りその位置を保持しようとするのだろう。ところが最後の直線に差し掛かってゴールが近づいてくると騎手は必死で逃れようとしている自分の尻に捕食者の鋭い爪がかかったかのような痛みをもたらす鞭を振るって馬を追いたてにかかる。
この特別な刺激が馬をよりいっそう前へと駆り立て、仲間を追い抜いてレースに勝利させるのである。警戒心をかなぐり捨てて「先頭」に立つ時点では群よりも前に行きすぎて捕食者の餌食になりかねないという懸念は鞭によってうち払われている。
背後からの攻撃に対する恐怖心の方が優り馬を前へ前へと進ませるのである。
チャンピオン馬の中には最後の死力をふりきらせるための鼓舞を必要としない馬もいる。そういう馬が最後の直線で馬群を引き離すのは、なにも、集団の中にいることの安全さを放棄したわけではなく、単に集団が遅れだしたからにすぎない。
そういう馬は「ペース配分」が巧いのである。つまり、早く突進しすぎて貴重なエネルギーを無駄にしないように制止されることも、最初のうちは後方にひかえていたために早めに駆り立てられねばならないということもない、走り方をするのである。
どちらの走り方をしても一様ではない走りのペースを見せることになり、必然的に余分なエネルギーを使うことになる。
完璧なペース配分とは、常に安定したペースで集団の本体についていき、最後の段階になって騎手が追うとぱっと飛び出して力強くゴールインするというものである。
競馬の動物学−ホース・ウォッチング−・・・・デズモンド・モリス著 より抜粋