Leading Trainer of 2000: Baffert's Three-Peat

ボブ・バファート師(47歳)にとって2000年のシーズンは最悪だった。
3冠レースやBCの勝ち馬を出すことはできなかった。
これは、非常に珍しいケースである。
たった1年前には(99年シーズン)20個のG1レースを勝ち取った師にとって2000年は牝馬によるG1レース6勝止まりだった。
2000年のBCの直前にはルイヴィルやレキシントンの新聞に”惨めなバファート師”と叩かれた。

ボブ・バファートはトップトレーナーの地位から転げ落ちてしまったのだと言う輩も居る。
しかし・・・だ!
彼の厩舎は今でも非常にパワフルであり、深淵であり、3度目の獲得賞金額リーディングになったことからも、北米の調教師達を引っ張って行くべき存在である!と言うことも真実である。

『こんなに調子が悪いのは、全部の疫病神が憑いているからだろうよ!』
とBCの前日にジョークを飛ばしていたバファート師。

南カリフォルニアに本拠を置いていたときは、非常に調子は良かった。
アメリカ中に脚を運び、両海岸でG1レースに勝利し、中央のケンタッキーやテキサスやアイオワの高額なステークスに勝ちまくっていた。
春シーズンにステークスをやっとこさ1つ勝ってくれた女王シルヴァービュレットデイにさよならを告げ、彼の厩舎には新たな若いタレントが送り込まれた。
また、新オーナーであるサラブレッドコーポレーションからも送り込まれた。

年間を通して、バファート師は678回出走させ146勝をあげた。2着94回、3着108回であった。
獲得賞金総額は11,831,605ドル(約13億円)であった。
バファート師の管理馬の1出走あたりの平均獲得額は17,451ドル。
この数字は1998年や1999年に比べて少し低いが、2000年シーズンにおいてはシルヴァーチャームやリアルクワイエットの様に高額レースを勝ちまくる古馬連中が居なかったのだから、仕方がないであろう。

1番印象的なことは、長年、師の助手として働いてきたエオイン・ハーティー抜きでこれらの記録を達成したと言うことであろう。
ハーティーは1999年シーズン終了後にバファート師の元を離れ、チームゴドルフィンの北米2yo馬オペレーションに職を求めた。
バファート師の2000年・・・数字を見てみよう。
20頭のステークス勝ち馬を出し、それらはトータルで39レースのステークスに優勝した。
そのうち22レースはグレードレースであり、G1レース6勝。G2レース10勝。G3レース6勝であった。
BCにおいても完全にダメだったわけではなくて、この日にも820,600ドルを稼いでいるのだ。
BCクラシックで3着にキャプテンスティーヴが入り、BCジュヴェナイルではハナ差の2着にポイントギブンが入っている。

3yr馬であるキャプテンスティーヴはバファート厩舎の稼ぎ頭であり、2000年においては”アイアンホース”であった。
彼は11回の出走で1,882,276ドルを稼ぎ出した。
G1スワップスSに勝ち、G2ケンタッキーカップクラシック、アイオワダービーに勝利した。
G1ハスケル招待HとG2グッドウッドBCハンデは2着。
残りの7レースは3着で、着外は1回も無かった。

もう1頭の稼ぎ頭はジェネラルチャレンジで1,198,118ドルを稼いだ。

その他の主な管理馬達・・・・
2yo馬・・・・ポイントギブン(618,500ドル)、アラビアンライト(431,944ド)、フレイムスローワー(388,200ドル)
この3頭は2001年シーズンを大いに沸かせてくれるであろう。