2月18日、フロリダ州マイアミのフォンテンブロー・ヒルトン・ホテルにて第31回エクリプス賞の授賞式が行われました。
日本のJRA賞の発表などとは違っていて、まさしく競馬界のアカデミー賞のようなもの。
非常に華やかな雰囲気です。
さて、注目の年度代表馬は、昨年米2冠を制しビッグレッドの再々来と人々を感動させたポイントギヴンが選出されました。
投票結果は3-0の完全勝利でした。
おめでとうございます!
*エクリプス賞は The National Turf Writers Association(全米競馬記者協会),The National Thoroughbred Racing Association(全米競馬協会),Daily Racing Formの記者の投票によって選出されます。
その結果、各協会の投票で1番票の多かった馬に10p、2番目が5p、3番目に1pが与えられます。
その結果、3つの協会のポイント合計で受賞馬が決まります。
年度代表馬及び人物部門は各協会1まとめで1票とされるため、満票で3となります。
さて、順当と言えば聞こえはよいが、ライバルとなるはずのG1ケンタッキーダービー勝ち馬のモナルコスは春以降休養していたし、古馬有望株だったキャプテンスティーヴはドゥバイWCの勝利の後調子を崩して休養引退。
アプティチュードやリドパレスはここ一番のレースに惨敗してしまった。
史上最強2yo馬と言われたオフィサーもBCジュヴェナイルでその化けの皮がはがされて拍子抜け。
結局、頼れるのは3yo2冠を制して"もし無事だったなら"BCクラシックを勝ったであろうポイントギヴンとBCクラシックのみに最大限の力を発揮できたティズナウとアイルランドから来た謎の馬(笑)ヨハネスブルグ。
馬の能力は別にしても、どちらかと言えばレベルの低い年度代表馬争いでした。
この点では日本馬の方が群雄割拠していて非常にレベルは高い。
両国ともに3yo3冠レースは重視されるようですけれどね。
エクリプス賞(Eclipse AWARDS) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Horse of the year and three-old colt or gelding (年度代表馬&最優秀3yo牡・セン馬) |
Point Given 牡・3yo | 年度代表馬部門にノミネートされていたのは、ポイントギヴン、ティズナウ、ヨハネスブルグの3頭。 投票の結果はポイントギヴンが2位のティズナウのほぼダブルスコアを獲得しました。 昨年のティズナウがほぼ満票であった事を考えれば"多少"混戦気味であったと言えます。 2000年BCジュヴェナイル2着だった同馬にとってG1ケンタッキーダービーの制覇は義務でした。それは、最有力と言われていたマッチョウーノが早々に故障でリタイアし、トライアル戦を勝ち進むポイントギヴンに敵はいないと見られていたからです。 しかし、大本番には勝てず。 レベル的に2枚くらい落ちたG1プリークネスSにはしっかりと優勝。 12Fに距離が伸びた3冠目のG1ベルモントSでは、敵はおらず大差を付けて優勝しました。 真夏のダービートラバーズSに快勝して、BCクラシックの最有力馬となりながら、故障で引退してしまいました。 その勇壮でダイナミックな雄姿から"ビッグ・レッド・トレイン"と呼ばれ多くのファンの心をつかみましたが、大本番レースに優勝していない馬・・・例えば"イージーゴーア"の様な馬が年度代表馬に選ばれても良いのか!?という疑問が私にはあります。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Two-year-old colt or gelding (最優秀2yo牡・セン馬) |
Johannesburg 牡・2yo | ケンタッキーで生産されキーンランドのイヤリングセール」で20万ドルというまあまあの良い価格で落札されたこのヘネシーの仔は、アイルランドに渡りました。 彼はその地で名調教師のA.オブライエン師と世界制覇を目論むクールモアーグループの傘下に入ることになった。 デビューから6戦全て6F以下のレースにしか使わないという奇襲戦法(笑)が功を奏したのか欧州でのキャンペーンを6戦6勝で終えることができた。 同グループのガリレオ親分がG1BCクラシックに出走するに伴い"露払い役"程度の扱いでG1BCジュヴェナイルに出走することになったヨハネスブルグ。 アメリカのファンにとってはミステリアスこの上ない馬であった。 初めてのダート、8.5Fという距離の障害を何もなかったようにクリアした彼は見事にG1BCジュヴェナイルに優勝。 2着馬リーペントに1馬身1/4の差をつけての楽勝だった。 米国におけるこの1戦のみで最優秀2yo牡馬を受賞することになりました。 BCは北米最高のレースでその価値は高いので重視するのは分かるが、重視しすぎてはいけない。 個人的にはオフィサーに獲ってもらいたかった・・・。 BC2着のリーペントも2002年の緒戦を見事勝利で飾り、Kダービーの有力候補となっています。 一方、1番人気になるであろうヨハネスブルグの予定は未だに白紙状態です。 Kダービーに行くのか2000ギニーに行くのか不明なのです。 血統的には早熟のマイラーであるので10FのKダービーだと長すぎるのではないかと思う。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Two-year-old filly (最優秀2yo牝馬) |
Tempera 牝・2yo | チーム・ゴドルフィンの自家生産馬である彼女がG1BCジュヴェナイルFの優勝によって最優秀2yo馬の座を射止めました。 管理するE.ハーティー師: 『彼女はチャンピオンに十分値する馬だと思う。個人的には私にこの馬を任せてくれたモハメド殿下に感謝したい。』 父は人気種牡馬A.P.インディー、母父がミスタープロスペクターというオールアメリカン血統。 デビューの未勝利戦3着。1ヶ月後の未勝利戦を3馬身差で楽勝した後G2ソレントSに出走し9馬身差の圧勝劇を演じた。 初のG1挑戦はデルマーでのG1デピュタントS。ここではライバルのハビビティーと初顔合わせとなったが、大差の3着に敗れてしまった。 そして最終決戦の地ニューヨークに向かうことになる。 テンペーラは南カリフォルニアをベースに競走していたので、ニューヨークに行くのは初めてのことだった。 前走の大敗を受けて6番人気の穴馬にしかすぎなかった彼女は一世一代のパフォーマンスを発揮しレースレコードで優勝してしまった。 ムラな馬なので、展開が向けばの圧勝であったのだと思う。 2002年も時々素晴らしいレースをしながら沸かせてくれることと思う。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Three-year-old filly (最優秀3yo牝馬) |
Xtra Heat 牝・3yo | エクストラヒートは珍しいケースだ。 彼女は俗に言われる牝馬3冠レースには目もくれずひたすらスプリント路線を歩んだ。 最も印象的だったのはやはりG1BCスプリントの走りだろう。 紅一点で出走した彼女は勝ち馬スカートルスカートの2着に食い込んで見せたからだ。 そのガッツは見上げたものがある。 G1ケンタッキーオークスに優勝したフルートやG1ガゼルHに優勝してG1BCディスタフで不慮の事故により死亡したエクソジョナスやG1BCディスタフに出走し、強者スペインを退けたアンブライドルドエレインをさしおいて同馬がこの賞を受賞した一番の理由が"ガッツ"であることは確かだ。 "挑戦"と言う言葉にアメリカ人は弱い。 日本で言えば、桜花賞やエリザベス女王杯に優勝した馬よりも、高松宮記念に勝ち、スプリンターズSに2着した馬の方が偉いということになるのかな。 まあ2001年シーズ13戦9勝、2着3回、G1レースに1回優勝。G21回。G3に2回優勝という成績は文句のないものである。 彼女は6Fのレースでは7戦6勝していることも大きいのだろう。 また、彼女の人気が絶大なのは彼女が2yoトレーニングセールにてたった5000ドルで買われた安馬であったという事もある。そんな安馬が2001年だけで100万ドル以上稼いだのだから。 こういう話にもアメリカ人は弱い! 管理するJ.サルズマン師は次のようにコメント: 『当然、2部門(3yo、スプリント)で受賞されるものと思っていましたよ。我々は多くのレースに出走しているのにスカートルスカートは少ししかレースに出ていないでしょ。これは大きな要因だと思うのだけどね』 スプリント部門受賞馬のスカートルスカートの2001年度の成績は6戦3勝、2着3回。 G1レースに2勝している。 微妙なところには違いはないですな。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Older colt, horse or gelding (最優秀古牡・セン馬) |
Tiznow 牡・4yo | G1BCクラシックで史上初の2連覇を成し遂げたティズナウ! 同馬は2000年度に満票で年度代表馬と最優秀3yo牡・セン馬部門を獲得しました。 それにしても2001年度の古馬陣営は本当にだらしなかった。 今年緒戦こそG2サンフェルナンドBCSに勝つには勝ったがBCで見せたパフォーマンスにはほど遠かった。 案の定、次走のG2スターブSは本来にほど遠い走りでウドゥンフォンの2着に敗れた。 ウドゥンフォンはG2サンフェルナンドSでは3着だった。 翌月のG1サンタアニタHでは同じくウドゥンフォンに5馬身の差をつけて優勝し本来の強さを取り戻したかに見えたが、単に相手が弱かっただけであることは明白だった。 そして背中と腰を痛めた同馬は一時引退もささやかれた。 そのころ、ドゥバイWCに優勝したキャプテンスティーヴは調子を崩して休養入りし、引退して日本で種牡馬入りすることが決定。 秋に入り、復帰した彼はベルモント競馬場で行われたBC前哨戦のG1ウッドワードSに出走するも、古馬最強馬と言われたリドパレスの3着。2着はアルバートザグレートだった。 その他の有力馬はアプティチュードくらいしかおらず、層の薄い古馬戦線であったと思う。 したがって外国馬サキーが次点に選ばれてしまうほど情けなかったのだ。 BCクラシックの連覇は立派だと思うが、重視しすぎてはいないだろうか? 確かに、英・愛ダービー、キングジョージSに優勝したガリレオ、凱旋門賞に圧勝したサキー、1年前の優勝馬ティズナウが顔を揃えたBCクラシックは"史上最高レベル"だったのかもしれないが、ダート初挑戦のガリレオは全く対応できず、所詮は"芝重馬"にしかすぎなかったサキーを相手に優勝しても、私には驚きはなかった。 欧州の競馬が"古馬になっても走らせる"路線になりつつあるのに、3yoでさっさと引退させて種牡馬入りさせる傾向の強いアメリカでは古馬に期待しても仕方がないのかもしれない。 そんなティズナウも引退して種牡馬入りするらしいが、血統的にさしたる価値もない同馬には前人未踏のBCクラシック3連覇を目指して欲しかったと思う。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Older filly or mare (最優秀古牝馬) |
Gourmet Girl 牝・6yo | 飛び抜けた馬がいなかったために非常に混戦となった古牝馬部門。 2000年度最優秀3yo牝馬に選出されたスペインが1勝しかできなかったのが悔やまれる。 そのスペインは2月のG2ラ・カナダSに優勝したが、その後の8戦で勝てなかった。 唯一光るのはG1BCディスタフでの2着。 トランキュリティーレイクは芝をメインに使われた馬だ。芝では2勝し2着も3回ある。 2回のダート戦では8月のG2クレメントヒルシュSに優勝したが、G1BCディスタフでは9着に敗れた。 グルメガールは2001年度6戦3勝。G1に2勝している。(アップルブロッサムS、バニティーH) そして、8月のG2クレメントヒルシュSでトランキュリティーレイクの2着した後、怪我でリタイアしてしまった。 よって、後半戦は競馬場に現れることはなかった。 グルメガールはカリフォルニアを本拠にしていて、管理するのはピコ・ペルドモ師。 オーナーは悪名高き(笑)G.タナカ氏である。氏はここ数年で数100万ドルの資金を競走馬につぎ込んでいるが、初めてのエクリプス賞受賞の栄誉を得ました。 しかし、受賞会場には氏も師も現れませんでした。 グルメガールは1996年のイヤリングセールでたった3500ドルで落札されている。 父はティズナウと同じシーズディジー。 この安馬は33回出走して9勝し、125万ドル以上を稼ぎ出した。 2001年だけで55万ドルを稼いだことになる。 2002年、7yoになった彼女の予定は未定だが牧場で乗り込まれているらしい。 ※追記※ 2月25日に引退する事が決定しましたが、種付けするかどうかは不明。 おそらく、セリに出して売るのではないかと思われます。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Sprinter (最優秀スプリンター) |
Squirtle Squirt 牡・3yo | 馬名のスカートとは"勢いよく出る"とか"水鉄砲"と言う意味だ。 名は体を表すと言うが、その通りだと思う。と思っていたら・・・。 どうやら馬名の由来はオーナーであるランズマン氏の息子ブレア君のお気に入りポケモンキャラクターのスカートル(ゼニガメ)らしいです。 この馬名申請には一悶着あったらしく・・・ 最初『スカートル』で申請したら不許可で、なら『スカートルスカートルで』と申請したら『le』が欠落したまま登録されてしまったらしいです。(笑) スカートルは水鉄砲攻撃を得意とする亀型モンスターで、亀なのに快速馬というのは笑えますね。 この馬の1番偉いところは、R.フランケル師に初めてのBC勝利をプレゼントしたことだろう。師はBC38連敗で記録を止めることができた。 『忘れられない1頭になるのは確かだ!』と師は言う。 また、師は2年連続でエクリプス賞調教師部門を獲得しダブルの喜びに包まれました。 2000年3月のバレッツ2yo馬セールで25000ドルで購入された同馬の父はマーケトリー。母父はロストコード。 非常に扱いにくかったという同馬は今年緒戦の一般戦に出走し優勝。勝ち方に見込みを感じた同師はBCスプリントへの路線を進ませることに決めました。 G3ラズバレラSはアーリーフライヤーの2着。G2トリプルバンドBCHはシーバンドの2着。 そして、夏に東海岸に遠征してのG1キングズビショップSに見事優勝! G2ボスボローSは2着に敗れたが、大本番のBCスプリントに見事優勝しこの栄誉を得ることになった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Male turf horse (最優秀芝牡馬) |
Fantastic Light 牡・5yo | 2001年度エミレーツ王者。G1愛チャンピオンSではガリレオを返り討ち。 愛・英・米でG1勝利。さしたるライバルもいなかったBCターフは楽勝だった。 彼の2001年度戦績は6戦4勝、2着2回。 ステイゴールドとガリレオに敗れただけである。 凱旋門賞馬サキーとは馬主が同じなので戦うことはなかった。 米国では1戦のみの出走で、他の候補馬バルロワイヤルが米国で2勝しているのに比べれば印象度が薄い。 バルロワイヤルはG1BCマイルをレコード勝ちし、前走のオークツリーBCMHにも優勝している。 ウィズアンティシペーションはJCにも出走したのでお馴染みだが、G1マンノーウォーSに優勝している。しかし、G1アーリントンミリオンでウィズアンティシペーションを敗って優勝しているシルヴァノが候補に上がっていないのは納得いかない。 大差で受賞する事になった要因は伝統的にBCマイルの勝ち馬よりもBCターフの勝ち馬の方が重視されるからであろう。 ファンが1番見たかったのは、BCクラシックでのサキー対ファンタスティックライトだと思う。 その点ではチーム・ゴドルフィンは見事にファンを裏切ってくれた。 アメリカ芝馬の層が薄すぎるのも問題だ。 尚、チーム・ゴドルフィンは今年3つのエクリプス賞の栄誉を受けました。 1つは最優秀2yo牝馬部門。もう1つはこの最優秀古牡・セン馬部門。 そして、特別賞。 米国競馬界における多大な貢献とテロ被害に対する寄付。 もし、モハメド殿下がいなかったら、とてもつまらないBCになったことは確かである。 念願のG1ケンタッキーダービーを制覇するまで彼らの努力は止むことはないであろう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Female turf horse (最優秀芝牝馬) |
Banks Hill 牝・3yo | バンクスヒルかレイラニかで注目していたこの部門だったが、大差でバンクスヒルが受賞。 やはりBCの威光はデカイ! 両馬とも欧州生まれであり、バンクスヒルはフランス調教馬、レイラニは英国調教馬。 バンクスヒルはマイル路線を進み、仏1000ギニーでは不利があってローズジプシーの頭差の2着。 しかし、シャンティーのG2サンドリンガム賞に勝って臨んだG1コロネーションSに見事優勝し、欧州3yoマイル女王の地位についた。 夏も休むことなく、G1ジャックルマロア賞に挑戦した彼女は、上位馬の降着などもあったが2着に好走した。 仏マイル王決定戦のG1ムーランドロンシャン賞にも出走してスリックリーの2着している彼女の実力は同年代の牝馬に比べて抜きんでていた。 だから、今まで走ったことのない距離・・・10Fのレース・・・G1BCフィリー&メアターフに出走させたのは十分に勝算があったからだ。 『アンドレは今までで最高の牝馬だと言っていたし、距離に関しては何の心配もしていなかったよ。』とレーシングマネージャーのJ.チャンドラー氏は明かした。 A.ファーブル師は1993年にBCクラシックをアルカングで制しており、勝算のないレースには出走させない。 尚、同馬はオーナーブリーダーであるジャドモントファームとO.ペリエ騎手に最初のBC優勝をプレゼントした。 彼女は2002年も現役を続けるべく調教されている。 レイラニは2001年連勝街道をばく進し、G1愛オークスに優勝。その後グッドウッドで行われたG1ナッソーSにも優勝。 6連勝で米国に上陸した彼女は、BCの前哨戦であるG1フラワーボール招待Hで地元のイングリッシュレジェンドやスタリーンを敗ってしまう。 しかし、本番のBCでは馬場が合わず8着に敗れた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Steeplechaser (最優秀障害馬) |
Pompeyo セン・7yo | 非常に混戦だった障害馬部門は2001年2戦2勝のポンペーヨが受賞。 次点のプライズザプリンスが6戦3勝、G1に1勝しているので僅差でした。 決め手となったのは、G1ロイヤルチェイスでの勝利。 ここで彼は、昨年度のエクリプス最優秀障害馬のオールゴングに3馬身の差を付けただけでなくコースレコードで優勝しました。 ・・・・・・・・・・・・ しかし、日本なら『該当馬無し』となるだろうこのケースでも絶対に選ぶようですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Outstanding Owner (最優秀オーナー) |
Richard Englander | リチャード・イングランダー氏は41歳の先物取引のトレーダーである。 しかも自分の馬を持ったのは1998年からという新人オーナーである。 彼は多くの新人オーナーがやってしまう様な、キーンランドやサラトガのセリに出かけていって数100万ドルもするような1yo馬を買ったりはしなかった。 最初、彼はローレルのクレーミングレースで14500ドルの牝馬を購入した。 彼女はヴァージニアパンチと名付けられオーナーのもとで競走生活を続けたが多くを稼ぎ出すことも勝利をあげることもなかった。 しかし、彼女はイングランダー氏の夢の1つ・・・コース内へのオーナーズパスを得る事・・・を叶える事ができた。 それから3年後、氏は全米リーディングオーナーの地位に上りつめた。 399のレースに勝ち、獲得賞金額は9,656,383ドル。 ポイントギヴンのザ・サラブレッド・コーポレーションよりも200万ドル以上余計に稼いだことになる。 イングランダー氏の所有馬の殆どはクレーミングレースに出走しているが、エレクトロラインやアロットオブマリーの様なステークス勝ち馬もいる。 氏は自分の職業と同様に、いかに効率よく稼ぐかを具現化したと言っても良いだろう。 数100万ドルもする馬を買ったり、大物が現れるのを待ったりはしない。 組織化されたシステムの下、150頭以上の馬が全米で調教されている。 そのため、調教師はダース単位で雇われており、3人の通年従業員に育成を担当させている。 レース出走予定はコンピューターではじき出す。 このようなシステム運営で給料も他に比べて数段良いらしい。 これは、全く新しい流れだ! しかし、夢が全然無い。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Outstanding Breeder (最優秀生産者) |
Juddmonte Farm | 2001年は58頭の勝ち馬を出し730万ドルを獲得した。 ジャドモントファームの専属調教師のR.フランケル師もエクリプス調教師部門を獲得し素晴らしい年になりました。 しかし、初のBC優勝馬はR.フランケル厩舎からではなく、A.ファーブル厩舎から生まれました。(バンクスヒル) 2001年のG1勝ち馬はフルート、アプティテュード、スキミング、セヌールら。 ジャドモントファームはケンタッキー、英国、アイルランドに居を構え、ワンデスタやライアファンなどのチャンピオン馬を生み出してきました。 これら優秀な牝馬達はジャドモントファームに帰ってきてバンクスヒルの様なチャンピオン馬を生むことになるのである。 バンクスヒルの母アジリはフランスのGレース勝ち馬で、2000年のBCマイルで3着に入ったダンジリの母でもある。その全妹がバンクスヒルであった。 ジャドモントファームのやり方はいたって簡単!ベストトゥーベスト。 "最高の牝馬と最高の種馬から"最高の競走馬が生まれるというものである。 しかし、このやり方は金が掛かるし、血統が偏ってしまう傾向がある。 2001年はケンタッキーに繋養していたライアファンが7yoという若さで死亡し、繁殖牝馬を襲った謎の病気によってケンタッキーだけでも3000頭の牝馬達が流産した。 ジャドモントファームのオーナーはサウジアラビアの王子アブデュラ殿下。 1977年に英国で最初の競走馬を買って以来ニューマーケットで馬を持ち続けている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Outstanding Trainer (最優秀調教師) |
Robert Frankel | 昨年に引き続いて2年連続の受賞。 通算3度目の栄誉に輝いたフランケル師。 2001年は18のG1レースに優勝し、獲得賞金額は14,926,965ドル。 『全て上手くいったよ!』と師は言う。 8月19日、デルマーで行われたパシフィック・クラシックにスキミングを出走させて師自身6度目の同レース制覇を達成した。 そして、同じ日に行われたサラトガBCHにアプティテュードが勝った。 6日後、サラトガでスカートルスカートがキングズビショップSに優勝したが、同日にデルマーで行われたデルマーHでティンボロア、ノーザンクエスト、スーパーケルカスの3頭が1-2-3フィニッシュ達成していた。 『デルマーHを見るために厩舎に帰ってきたんだけどびっくりしたよ!だってうちの馬が1-2-3フィニッシュなんだもの。』 秋になっても好調は続いた。 10月6日のベルモントではジョッキークラブGCをアプティテュードで勝ち、フリゼットSをユーで勝った。 11月25日にはデノンでハリウッドパークダービーをスタリーンでマトリアークSに勝った。 『ユーにはとても驚かされたよ。だって彼女を買ったときにはこんなになるとは全然想像できなかったからね。』 記念すべき日は10月27日のBC。 スカートルスカートが念願のBC勝利をプレゼントしてくれた。 師の成功は夏と秋だけではない。 5月4日にはフルートがケンタッキーオークスに優勝した。師にとって2度目の制覇だった。 『ケンタッキーオークスの勝利は大きかったと思うよ。』 2001年のリーディングトレーナーは賞金部門がB.バファート師で16,354,996ドル。勝利数はスコット・レイク師の406でした。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Outstanding Jockey (最優秀騎手) |
Jerry Bailey | 5度目の受賞となったベイリー騎手は44歳。 2001年は22,597,720ドルを稼ぎ出した。 彼は3冠レースに勝ったわけでもなく、BCではスプリントに勝っただけであった。 しかしだ、彼は世界最高賞金のドゥバイWCに優勝したし、44のGレースに勝利し、G1レースには14も勝っている。 ドゥバイの賞金を除いたとしても、優にトップに立つ計算になる。 『どのレースが1番飛び抜けていたかは分からないけど、ドゥバイの事は言っても良いかもしれないね。ただ、キャプテンスティーヴが2度とあの状態で戻ってこなかったけどね。 あと、R.フランケル師のためにBCスプリントに勝てたことは誇りに思うよ。リドパレスやアプティテュードも良い馬だった。たくさんの良い馬に乗せてもらいました。』 44歳の彼は少なくともあと2年は現役を続けるらしい。 『レースのスリルを楽しみたいから』というのが理由。 しかし、『私には家族がいて、ジョッキー生活の移動は家族と仕事とのバランスを困難にしてきている。今のところは家族が良く理解してくれているけどね。』 ベイリー騎手は1995年に名誉の殿堂入りしているが、エクリプス賞は1995-1997、2000年と4度受賞しており、今回で5回目になった。 これはラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手の5回に並ぶものである。 ダラス出身のベイリー騎手は1974年から騎乗を始めてBCクラシックに4度、ケンタッキーダービーに2度優勝している。 また、シガーの主戦騎手でもあった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Outstanding Apprentice (最優秀見習い騎手) |
Jeremy Rose | ローズ騎手は2001年312勝を上げ660万ドル以上を稼ぎました。 メリーランドやデラウエアー地区からは毎年のように素晴らしい見習い騎手が出てくるが、今年はローズ騎手の番だったようです。 彼はデラウエアー競馬場で150勝を上げて長年リーディングを守っていたマイク・マッカーシー騎手をその座から引きずり落としました。 10のステークス勝利、中でも20万ドルのメリーランドミリオンクラシックに優勝したのは印象的でした。(サマーセットの騎乗) ローズはペンシルヴァニア生まれの22歳で、ニック・ペトロ騎手やマイク・ペトロ調教師、ティム・リッチー氏のお陰で大成功を収めました。 高校まではレスリング選手だった彼は、見習い免許を取得するまでの2年間をペトロ兄弟の下で働いてきた。 『彼らは僕にレースのイロハを実際に教えてくれました。』 また受賞の席でティム・リッチー氏のお陰で半数のレースに勝てたことやベテラン騎手のトミー・ブラックやリック・ウィルソンが色々と助けてくれた事に対して感謝の意を述べました。 若くして成功した騎手にありがちな、賞金の高い地区への移籍には興味がないらしく今年も同地区で騎乗を続けるようです。 『ニューヨークの方が賞金が高いのは分かっているけど僕はここが好きなんだ。』と彼は言う。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Eclipse Special AWARD (特別賞) |
Sheikh Mohammed |
チーム・ゴドルフィンの総帥シェイク・モハメド殿下にエクリプス特別賞が与えられました。 ドゥバイの王子であり、UAEの国防大臣である彼が競馬の世界に入ったのは1976年。 彼は今や世界で最も卓越した生産者であり、オーナーである。 昨年の米国テロの支援として500万ドルをキーンランド協会を通して寄付し、BC当日のチーム・ゴドルフィンが稼いだ賞金を全て寄付すると宣言。 その通り、200万ドル以上の金をNTRAに寄付した 合計700万ドル以上の寄付と各セリで購入した馬の金額を合計すると2000万ドルを悠に越える。 チーム・ゴドルフィンのアメリカに対する貢献は計り知れないものがある。 もっと感謝した方が良いぞ! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Eclipse AWARD of Merit (功労賞) |
Pete Pedersen Harry T. Mangurian |
ピート・ペダーセン氏は81歳。現在サンタアニタ競馬場の上級審議委員をなさっています。1948年からずっとカリフォルニア州で審議委員を続けており、西海岸の殆どの競馬場で勤務。多くの関係者に尊敬され、その功労に感謝するものであります。 マングリアン氏は76歳。モッキングバードファームのオーナー。 150頭以上のステークス勝ち馬を生産・育成してきました。 同氏には特殊な能力があり、5年連続で新種牡馬リーディングに輝いています。 1997年、ディアブロ。1998年、エンドスィープ。1999年、リッツィ。2000年、ストームクリーク。2001年、ヴァリッドエクスペクテイション。 尚、同賞が同時に2人に与えられるのは1992年以来。 |