Profile



kobayashi小林治osamu
1月10日、東京生まれ。東京都町田市在住。A-O型。ヤギ座。
永遠の23才。
イラスト、デザイン、映像演出の仕事を
アニメ-ション 、 コマーシャル、ゲームなどで展開中。
2006年、下北沢に仕事部屋(秘密基地)を置く。

2009年、高円寺に秘密基地をワープ!

2004年、月刊少年マガジン連載中の「BECK」を原作に、TVアニメの監督をやりました。
26本の連続物です。
バンドの成長を描いた作品です。
声優にエナポゥやニューロティカのアッちゃん。
ロマンポルシェの掟さん。
ハイロウズのヒロト、DJのドラゴンなんかに出て貰って楽しかったです。
OPの歌を歌ってくれたビークルの日高さんに「絵に負けました」と言われて嬉しかった、超!

2005年、オリジナルで劇場アニメを作る予定(勝手に)だったんですが
フジテレビのプロデューサーから頼まれて
矢沢あい原作の「パラダイスキス」を監督しました。
結城信輝 さんと仕事が出来て嬉しかった。
ライブで出会ったTHE BABYSの水谷さんを声優に起用。
最終的に矢沢さんも気に入ってくれたみたいでホッとしました。
でも、現場のスタッフを全然集めてもらえず、体力的、精神的に非常にきつかったです。
ラインプロデューサーの大事さを痛感しました。

2006年、イマイシくんの監督作品「グレンラガン」の#4のコンテ演出作画監督やりました。
ネットなどで色々言われました。トホホ。
2007年、湯浅くんの「ケモノヅメ」も1本手伝いました。
この前、湯浅くんと飲んだ時、お礼を言われて凄く嬉しかった。

NHKのアニクリ15というのに「三茶ブルース」という作品で参加しました。
フジヤマの渡辺さん、撮影の武山くん、アリガトーでした!
声優陣をBECKの仲間で固めました。
大畑くん、ナイスジョブ!

2008年、「魔法遣いに大切なこと〜夏のソラ〜」の監督をしました。
12本のコンテ書き切るの、メチャ大変でした。
荒川さん、スタジオロンさん、ありがとーでした。
今回はアニメは自分で書かない方向でやりたかったのですが
作戦失敗で作画監督までやることになりました。

世の中、なかなか計画通りにいかないものです。
人生の中で一番辛かったです。
でも、仲間のおかげで最後まで作りきれて良かった、、。

2010年、はなまる幼稚園の7話のEDアニメをやりました。
コンテ、演出、原画、動画、背景、彩色やりました。
監督の水島さんに誘われて参加しました。
大好きなゴダールのオマージュアニメです。

そんでTVアニメ1本やります。コンテ演出。
渋いですよー。お楽しみに!

その次は自分のオリジナルの企画に全力投球のつもりだったんですけど、、、。
もしかしたら大きな作品やるかもです。
むむむ。

コバヤシオサムの明日はどっちだ!?

主な作品履歴

アニメーション

TVアニメ「魔法遣いに大切なこと〜夏のソラ〜」12話(監督、絵コンテ、作画監督、サブキャラデザイン)

NHK短編アニメ、アニクリ15「三茶ブルース」(監督、脚本、コンテ、作画)

TVアニメ「パラダイスキス」12話(監督、脚本)

TVアニメ「BECK」26話(監督、脚本、キャラデザイン)

TVアニメ「怪傑ゾロリ」(EDアニメー初めの2本)

TVアニメ「ガドガード」(セットデザイン、レイアウト作監、10話、24話コンテ演出、EDアニメ)

NHK英語で遊ぼ!3DCG連続アニメ短編「ボキャレース」(キャラ&美術デザイン、コンテ演出)

短編アニメ 「table&fishman」(初監督作品)〜4℃コレクション1リミテッドボックス〜

「End of the World』(監督)〜ツタヤ発「Grasshoppa! vol.2」〜

キャプテンファンク「Losi'n My Way」PV(監督)

OVA「青の6号」(メカデザイン、美術デザイン、色指定、シナリオ協力)

OVA「ドラゴンズヘヴン」(メカ設定、色指定、イメージボード、原画、一部コンテ)監督は小林誠(兄です)

OVA「バース」(バオの宇宙船)

映画「ヴィーナス戦記」(メカニッククリーンナップ)


人形劇

NHKこども人形劇場「海底二万里・続海底二万里」(人形、美術デザイン)

NHKこども人形劇場「カエルくんとガマくん」(美術デザイン)

NHKこども人形劇場「ともだちや」(美術デザイン)


ゲーム

RPGゲーム「グランディア」(世界設定デザイン)

プレステ2「ガングレイヴ」(美術デザイン、メカデザイン)

「エヴォリューション」(メカ、町、ダンジョン、ボスキャラのデザイン、キャラデモ演出)


TVコマーシャル

トヨタ「アルデオ」(キャラクターデザイン、美術デザイン)

ノートン「アンチウイルスソフト」(キャラデザイン、美術デザイン)

キャノン「Qピック」・テレビCM(車のデザイン、美術デザイン)1989

三船敏郎の「ジャワティー」・テレビCM(オルゴールのデザイン)


その他

青龍門のトイレ人形のデザイン協力(マッチの絵はデザイン画)
〜新宿、用賀、池袋店、イクスピアリ店(渋谷店はやってないですよ)〜
ONE-NIGHT-CITY(コミック作品集)1987〜フュージョンプロダクト社刊
「ブラッドソードシリーズ」・ゲームブック(カバー画)富士見書房刊



Profile-第1章
「子供時代」
子供時代の僕は、どちらかというと家で絵を書くとか
プラモデルを作るタイプではなくて
暗くなるまで友達と外で遊んでる様な子供でした。
兄の誠は僕とは違って、家でプラモデルを作ったり絵を書いたり
図鑑を読んだりしていました。
幼稚園の卒園アルバムの表紙にミグ戦闘機を書く。
そんな兄がメカデザインの仕事をするようになる。
そんな未来の姿は
このころ、既に決まっていたのかもしれませんね。

話しはそれますが、絵の仕事をしている人で
ちいさい頃、すごく図鑑が好きで
本がボロボロになるまで読んでいた人って結構多いです。
クリチャーコアの韮沢くんとか青6の前田さん
上海魁人族の草ナギくん。
確か鳥山明さんも図鑑好きでしたよね。
ニラちゃんなんか、図鑑の絵を書くのが夢って 言ってるもんね。
あ、前田さんも言ってたかも。
確かニラちゃんは実際にヘビか何か書いてたし。
あと僕は本の挿絵なんか好きでしたね。
世界名作全集の挿絵。今見てもイイですよ。うまいし味あるし。
小公女や小公子。宇宙戦争。海底三万里。月世界探検。
このへんの読書体験が
僕の今の創作の源かもしれませんね。

テレビアニメやウルトラマンなんかは普通に見ていたけど
絵を書く事を仕事にしたいとか思うような少年ではありませんでした。
「侍ジャイアンツ」を大きな声で歌いながら
中野の第二グランドで 草野球して
帰りに皆で中野ブロードウェーでヤキソバ食べたり。
サッカーに燃えて朝練出て
アディダスの靴買って
足 怪我してハンドボールに転向したりしてました。
絵といえば
松本零士とか好きで兄と自由帳にマンガを書いたり
学校の班ノートに立体的な文字を書いたり
古代進が銃を撃ってるトコを書いたりして、友達に
小林君、スゴ〜イとか言われたりはしてたけど
僕の場合
兄がその頃、メチャメチャ絵がうまかったんで
「おおっ、松本零士よりうまいじゃん!」
というくらい凄かったんで
マコちゃんはプロになった方がイイかもねってカンジで
まさか自分も絵を書く人になるとは思っていませんでした。
どっちかというと松山千春の影響で
フォークシンガーになろう!
と思っていたかも。そんな中学生でした。
ちなみに兄は
山崎ハコを歌いまくってました。

そんな普通の子だった僕が
絵を書く事に入り込むキッカケは
金田伊功というアニメーターとの出会いでした。



Profile-第2章
「絵を書く事」
1999年の現在、金田伊功さんは遠く日本を離れ
ハワイでファイナルファンタジーという
劇場映画の仕事をしています。
フル3DCGの作品で制作費が何百億円という
大きなプロジェクトです。

18年前、彼は東京の保谷という所でロボットアニメを作っていて
僕は都立井草高校に通う高校生でした。

その頃、金田さんはロボットアニメと呼ばれる作品群で
他の作画とは一見して違う魅力的な絵を書いていました。

劇画のような線で、しかし繊細、かつ構図が立体的で
メカニックはシャープで迫力一杯に動き回り
しかも、女の子がかわいい上に
適度にエッチというか色気がある。

時は正にアニメブーム。
松本零士の「銀河鉄道999」というアニメ映画で
クライマックスの作画を手かげた金田さんは
徳間書店の「アニメージュ」という雑誌でアニメーターとしては
多分初めて特集を組んで紹介された。タイトルは

「第3世代の旗手」

その少し前から彼の絵の魅力に参っていた僕は、何を思ったのか
「金田さんの良さをより多くの人に知ってもらおう!」という志のもと
彼のファンクラブを勝手に一人で始めたんです。
さすが高校生、青い青い。
それまで本なんか作った事もないのに一人で絵書いて
文章書いて誌面をレイアウトして。
殆ど一人でつくった個人本みたいの。
それと同時に会員をアニメ誌で募ったりして
会報なんかも作ったりしてね。
色んな人が参加してくれて、その中に
阿乱霊というセミプロの人なんかもいて
原稿頼んで 書いてもらったりしたな、タダでね。
エバンゲリオンの綾波は彼の作品から
インスパイアされてる。
あれから会ってないけど、元気なのかな。

何故、僕が絵を仕事にしようと思うようになったのか?
理由は沢山あると思うけど、例えば
金田さんみたいなアニメーションを書いてみたいとか
絵や文章を書くのが楽しかったとか
本に載せていたオリジナルの絵の世界を広げてみたいとか

でも実際にプロになれるんじゃないかと考える根拠になったのは
出した本がコミケットで売り上げベスト10に入ったとか
ファンレターがたくさん来たとか
自分の本のデザインを真似た本が何冊も出てきたとか
マンガの仕事を頼まれたとか。

具体的なリアクションが絵の道へ進む エネルギーや自信をくれたと思います 。
自分を評価してくれる人がいる。
その事実が大きかったと思いますね。

プロになるというのはお金を貰って絵を書くという事なんだけど
その当時の僕にとってはお金を貰うというコトより
作り手側になるという意識の方が強かったです。

同人誌作りの限界。批判しても変わらないアニメーションの現状
文句を言っても自分の見たい作品は現われてはくれない。
それならば
見たい物は自分で作るしかないんじゃないのか。

僕が最後に編集した本のあとがきには
そんな言葉が書かれています。

評論や分析も大切かもしれないけれど
創作という行為が
物を作る人には一番大切なんですよね。

今の自分にも
言ってあげたい言葉です。



Profile-第3章
「挫折と再生」
僕は何回か挫折というものを経験しています。
自分に責任が有るものと、環境の変化による感情的挫折。

高校を出てすぐに僕はアニメーションのスタジオに入りました。
初めての職場での初めての仕事。西荻窪にある、ちいさな会社でしたが
世に聞く劣悪スタジオではなく、しっかりした所でした。

僕はテレビの「うる星やつら」でテンちゃんが斧をふるシーンで
大塚さんか宮崎さんが言ってた
「動画であっても、原画みたいなつもりで絵を書く!」
というのを実践して動きのタイミングを勝手に少し変えたり
しちゃってました。ハイライト足したり、、。

その当時、僕は自分の絵のオリジナリティーみたいな事に
すごく執着していて、アニメをやってて他人のデザインしたキャラばかり
書いていると自分がなくなってしまうのではないか?と考え
会社の動画の仕事も新人の中では一番棒グラフを伸ばしていたけれど(自慢)
退社時間が来ると、サッと仕事を切り上げて帰宅して
家で自分の絵を書いていました。

その当時、兄がオモチャの企画に絡んでいて、
アニメとマンガも連動するということで
キャラ原案みたいな事を頼まれてしまい、メカがらみの
イメージボードと人物の絵を何枚もカラーで書きました。

その作品は「メカベンジャー」といいました。

アニメのキャラはいのまたむつみで、モンキーパンチがマンガにしました。
僕のデザインはエッセンスと小道具で少し残っています。
結局アニメ化はされなかったんですが
問題なのは、僕がオーバーヒートしてしまった事です。

仕事が重なり過ぎてコワレました。
いままで自分はタフだと思っていたのに、、初めての体験でした。
結局、アニメスタジオに迷惑をかけて会社を去りました。

あの時はスイマセンでした。本当に。

で、オレってダメダメじゃ〜んと、かなり落ち込んでいた僕に
「オサム、暇なんだし、車の免許でも取ればイイんじゃない?合宿でも行けば。」
と言ってくれたのが父の栄治でした。
親の愛情っていいもんですね。僕は父とは大の仲良しだったんですよ。
それで千葉の八日市場へ合宿に行って精神的に回復できました。
おもしろかったな合宿免許。色んな人がいて。

若いニイチャンにシブガキ隊のメンバーの名前習ったり
パチンコばっかり行ってて、やたらとオナラするデブっちょとか
免停になったんで免許を取り直しにきてるメガネの釣竿持参のおじさん。
定時制の学校ってこんな感じなのかも。

親の子に対しての無条件の無償の愛。
父は僕のマンガがメタルキッズという雑誌に載った時も
「オサムの書く女の人はキレイでイイね。」なんて言ってくれたな。
親バカですよね。

そんな父も今はいません。
僕は父が死ぬまで、「自分は一人で生きていける、強い人間なんだぞ!」
と思っていましたが、違いましたね。

なんか胸にポッカリ穴が開いた様になってしまって。僕は30才までは結婚なんて
しないつもりでいたんですけど、父が亡くなった翌年に結婚してしまいました。24才で。
なんだ、ただの寂しがりじゃん僕って、、、。

「グットウィルハンティング」という映画で
ロビンウィリアムズがマットデイモンを抱きしめるシーン。
あれは親の愛の表現ですね。無条件の愛情。信頼。
人生で一人はそういう人が存在して欲しいですよね。

アニメスタジオで嬉しかったコト。
大判のこいのぼりがキレイに泳いだのをテレビで見た時、嬉しかった。
先輩のアニメーターの人が星野之宣ファンで「巨人たちの伝説」を貸してあげたコト。
棒グラフで専門出た子たちに勝ってたコト。
スペースコブラの劇場版に参加して、杉野さんや森本さんの絵が見れたコト。

アニメスタジオは半月くらいでやめちゃったけど、僕にはとても貴重な体験でした。
そうそう、西荻のニューバーガーに行ったら中学の知り合いがコックやっててビックリしたなぁ。
あの時はクリームコロッケおまけで付けてくれてアリガト!

ズ〜ッと後に森本さんとも友達になれたし、、。人生は本当に何が起こるか判らんネ。
だから面白いんだよね。



Profile-第4章
「マンガへの道のり」
僕は中学生の頃から兄と自由帳にマンガを書きっこしたり友達の竹下進くんと連作マンガを書いたりしてたけど
マンガ家になりたい〜とは考えていなかったんです。
高校の頃は中学の科学の先生になりたかったし。かなり絵か先生か悩みました。
それに当時は自分の絵がとりたててウマイとも思わなかったし、、、、。

今の自分の作品に繋がる根っこのマンガというのは、もっと後になって書いた3つの作品なんです。

その1〜初めの一歩
金田さんの同人誌を作る様になった頃、兄がSGSというSFの同人サークルに入っていて
僕もその会合について行ったりしてたんですが、その頃、彼等が作っていた「ルーブルナイツストーリー」という話しを
勝手に脚色してマンガにしたんです。

高校3年の頃、授業をサボって図書館や図書室に入り浸たって、そのマンガを書いてました。
絵の道に進む事を決めた自分の力がどれくらいなのかマンガを書く事で試したかったのかもしれませんね。
で、書き上げてコピー本を作ってSGSがコミケに出た時に置かせてもらいました。
そうしたら、、これが全然売れなくて、、、というのはウソで
即、完売しちゃったんです(自慢)。
30部とか、すごく少なかったんだけど、嬉しかったですね、自分が評価された気がして。

宮崎駿さんがシナリオを書いたアニメ「耳をすませば」を見た時に主人公と当時の自分が重なって見えました。
だれでも若い頃は自分に自信を持つ事って難しいと思うんです。
それで自分を試してみたいと思うんじゃないのかな。

そんなハードルを幾つも越えて自信や力を付けて行くんだと思います。
僕もこの時、一つのハードルを越せたのかもしれません。

その2〜商業誌デビュー
僕がデビューしたのは、今は無き「モーションコミック」という徳間書店が出していたマンガ本です。
この時「巨人伝説」という作品を書いたんですが、ダメダメな編集さんのせい?で
絵を書く時間が全然とれず色々と辛い思いをしました。
でも、読者の方からいただいた感想の中にこんな物がありました。
「コバヤシさんの作品には水や空気があって人間がちゃんと呼吸して生きている感じがします。」

感想くれた女の子、本当にありがとう!とても励みになりました。
今でも、作品を作る時は、そんな世界を書きたいと思っています。存在感のある世界です。

その3〜エンピツ と 薄墨のヘンテコなマンガ。
今書いている作品と絵柄的にもテーマ的にもとても近い作品がメタルキッズという雑誌に書いたマンガです。
タイトルは『ONE NIGHT IN THE CITY』

この雑誌はマンガ家のみやすのんきさんが編集をしてました。
村田蓮爾くんのFLATの先輩的な本かな?色んな意味で似てるかもしれないですね。

僕が初めてみやすさんと会ったのは彼が月間ジャンプでバリバリのエッチマンガを書いていた頃です。
もう15年くらい前かな?

当時、僕は彼の事は全然知らなくて、すぐさまジャンプを読みに本屋へ走りました。
「おお、なんというエッチな漫画だ!」というのが僕の素直な感想。

彼が僕に連絡して来た理由は、彼が今度書くSFマンガでメカニックを書いて欲しいという事でした。
僕が作った同人誌の絵を気に入ってくれたみたいですね。

それで僕がどう返事をしたかと言うと「とりあえずどんな作品を書くのか知りたいので下書きを見たい、
返事はそれを見てからでいいですか?」といったカンジでした。

彼の書くマンガはエッチマンガに決まってる!僕はそんなイケナイ事は出来ない!と心の中で
既に結論は出ていたんですが、マンガ家の生活を覗いて見たいという気持ちがあったのだと思います。

それでトコトコ行きました。僕は高円寺。中央線に乗って、それから私線に乗り換えてトコトコトコ。

新建材のせいで目がいたくなるかの様なピカピカ新築の家。
みやすさんの御両親が最近建てたというでした。

どうぞ、、と彼の部屋に通されると、おおっこ、これは、、、!
そこで僕が見たのは広い部屋の回りをグルリと囲っている棚に溢れんばかりのマンガ雑誌の山!

これは凄い所に来てしまった!逃げなければ!!と、何故かとっさに考えてしまいました(ゴメン!)。
で、さっそく本題のマンガの下書きを見たら、これがナカナカ、グーなメカがかなり書き込んである。
な〜んだ、僕が書く必要なんてないじゃん!とそのメカを褒めまくってササッと速攻帰りました。

そんな不思議な体験も忘れかけた、天気のいいある日、本屋さんで僕が下書きを見た例のマンガを発見しました。
お、面白いじゃん!ちょっとエッチだけど、、だけど、ちゃんとした作品でした。
うむむ、やるじゃん!みやすのんき!おそるべし。
こんなイケてる作品だったら手伝ってもよかったのにな〜などとチョッピリ後悔したりして、、。

そんな後悔も忘れかけた、うららかなある日、リ〜ンと鳴る電話の音。
僕の眠りをじゃましないで〜と出たらみやすさんだった。

「今度、SFの本を出すんでコバヤシさんにマンガを12ページの書いて欲しいんですけど、どうですか?」
「へぇ〜面白そうですね〜。」
「それで、お願いがあるんですけど、、。」
「ん?なんですか?」
「ええと、同人誌でコバヤシさんが書いてたエンピツと薄墨で書く書き方で書いて欲しいんですよ、どうですか?」
「ええ、いいですけど、、」

そしてヘンテコなマンガが世に出たワケなんです。
みやすさんや僕は当時から相当な外国コミックスのファンだったんです。
メビウス、ニーニョ、コーベン、カザ、ラビラトーレ、なんか好きでした(余談)。

お陰様で僕のマンガは評判が良くて、そのうちフュージョンプロダクトから単行本になって
そこからシーエムの仕事なんかに繋がっていったんです。

最近、インターネットでみやすさんと再開(10年ぶりくらい)出来て、本当嬉しかった。
蓮爾くんがみやすさんのSFマンガのファンだったのも嬉しかった。
しかし世界は狭いというか、皆、繋がってるんですね。

〜そうそう、当時、僕のエンピツ薄墨マンガは1日1ページしか書けなくて、それを見た兄に
「そんな事してるとオサム、貧乏になるよ〜。」
なんて言われたなぁ。

なんちゅう兄貴やねん。



Profile-第5章
「コマーシャル演出家、李泰栄さんとの出会い」
これから書きます〜

待っててね。




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