中央線でも、ギリシャ彫刻

 初めてデッサンを習った頃、教室にある石膏像は、全部ギリシャ彫刻だと思っていた。
無知な奴め!ゴシック、ルネサンス、バロック、近世、みんな石膏室にあるではないか。
まぁ、お笑い召さるな。受験当時は先生方もいちいち彫像の説明などしなかったのだから。
とにかく眼前の物を、写せよ掴めよと、描写力を養うことが優先され、作者だの時代だのは
トントお構いなし。若者に妙な先入観を持たせない為の配慮か、教える側もよく知らなかったか、
どちらかですな。でもねぇ親方、一言に「ギリシャ彫刻」といっても、結構「括り方」は難しく、
単純に地域だけの問題でもなくなってくる。現代具象に至るまで、どこかで同じ川の水を
飲んでいるからだ。見間違うのも無理からぬ事なのですよ。

 そういう事を踏まえた上で、ごくごくご〜く簡単に、ギリシャ彫刻史のサワリを、
おさらいしてみよう。とりあえず「在る蔵入れ(あるくらへぇれ)」と覚えておくと便利だ。
紀元前700年くらいを始発にして、高尾〜三鷹を「ある」、三鷹〜新宿を「くら」、
新宿〜東京を「へれ」とする。本当はそれ以前「幾何学ナントカ」があり、更に遡れば、
ミノア ・ミケーネ文明などもあるのだが、それらに興味の有る人達は、中央本線を利用して
もらおう。ちなみに東京駅に付くのは紀元一世紀とする。以後は帝政ローマに吸収されて
しまうからだ。実は、四谷あたりから共和制ローマに属しているのだが・・

 「ある」はアルカイック期でアル!特徴は口元にんまりのアルカイックスマイル、
クーロスという青年男子像がたくさん造られました。女性像はコレーと呼ばれています。
何故か男は裸、女は着衣、原型となるエジプト彫刻だって腰巻きくらいは着けています。
ギリシャ男には羞恥心が無く、ヌーディストばかりだった、というわけではないらしい。
裸体を神に近い状態と考えたからだとか、純粋に造形上の美的感覚だとか、試合になると
競技者は裸で戦ったからだ、などと言われている。だとすれば、今回のオリンピックも、
せっかくのご当地なのだから、男子は全員素裸に油を塗って、競技するべきなのだ。
石像は着色されていたようで、黒目の書き込みもうっすらと見えたりしています。

 「くら」はクラシック期とクラァ!或る日、一体のクーロスが片足に重心をかけた。
そのために左肩が少し下がり、胸の筋肉に僅かな動きが・・(クリティオスの少年)。
「おぉ、何という形態の調和よ!」というわけで、一気に表現の幅が広がった。
音楽でいえば、短音の旋律を経て、ハーモニーを意識しはじめたという事か。
「デルフィの御者」というブロンズ像がある。人類が創作した彫刻を、一点だけ地上に残せと
言われたら、「これにしろ!」と叫ぶ人は多いだろう、それ程に美しい。とにかくこの時代の
鋳造彫刻の完成度は半端じゃない。彼らが「現役」だった頃は、肌には箔、眼には玉石、
髪も睫毛も彫り込まれ、口には赤銅、歯には白銀、手足は横縦へ延び、欲しい姿は何でも
ござれときてる。あぁそれなのに・・青銅は価値がある為に、真っ先に狙われたようですね。
フェイディアス、ポリュクレイトス、プラクシテレスなど、舌を噛みそうな名前の達人が
続出する。「円盤投げ」等は御存知でしょう、だから高円寺には「円盤」がある!!

 「へれ」はヘレニズム期と思いなヘレ!ヘブライズムに相対しているような言葉だ。
まぁ民族主義というか「おれっちが本場だからね」という意識だろう。こういう事を
言い始めるのは、既に「混ざり合い」が目に付くようになっていたからだと思う。表現も
自由で軟らかくなり、神様に限らず、王様、貴族、庶民などもモデルにされる。表情にも
感情移入があり、技術は向上したが、同時に俗っぽくなったとも言える。但し、此の頃の
作り手にも「新作派」と「古典派」がいたようで、それだけ「美意識を意識」した時代
なのかもしれない。ミロのビーナス、ベンナのビーナス、会社のボーナス?などがあり、
まさに写実彫刻の花園。ガンダーラ美術にも影響を与えているから、その先をどんどん
乗り継いで行けば、いずれは我が国にも辿り着くはずだ。

 東京駅に着いた後も?ローマ人はヘレニスの彫刻技術にほれ込んでいたので、
これから300年余り、彫れよ写せよの大繁盛。だから銀座には画廊が多い、嘘。
あんまり造りすぎて飽きてしまったのか、キリスト教を取り入れ、東西に分裂した頃は、
往年のブームは何処へやら。表向きは教会が偶像崇拝を禁止したからだが、美術の表舞台は
アルプスを越えて、今までとは反対に写実性を好まなくなる所が面白い。西側はわりと柔軟に
彫像などを作りはじめるが、我がギリシャ勢は「ダメなものはダメ、こちとら正教よ!」と
突っぱねた。そのうち「イコンに遺恨はあるまいに」となり?モザイクなどに没頭する。

 とにかくバルカン半島は、実に微妙な位置にある。上には欧州、下にはエジプト、お隣は
トルコで、この辺り上に小の字が付いてもアジア。おはじきをまいたようなエーゲ海の島々、
どこからオリエントやらオキシダントやら。古代ギリシャの範囲だけでも、レールは長大で、
常に同盟や敵対を繰り返している。柱の名前に残るドリスとかイオニアは、民族の呼称だ。
本年公開された映画「トロイ」の時代は、アルカイック期から何と500年も前のオハナシ。
なになに? あの映画に出てきた彫刻ですか? ムフフフ、まぁ、いいでしょう・・
ペルシャ戦争20年に及び、ペリクレス時代、アテネとスパルタの抗争、ペロポネソス戦争、
アレクサンドロスの大遠征、マケドニア戦争、ローマの地中海支配、十字軍まかり通り、
東ローマ帝国の滅亡、オスマン・トルコ領域、バイロン馳せ参じる独立戦争などなど・・
勝てば繁栄、負ければ破壊、そりゃ、ぶっこわれもしますがな・・

 天災は仕方がないとしても、戦乱の被害は計り知れない。異教の神や権力の象徴ほど
破壊される(最近もそういう光景を見たでしょう)。ブロンズは溶かされ再利用、
大理石は削られて建材に直され、金銀象牙は泥棒の餌食となり、テラコッタは土に帰る、
木彫などは在ったかどうかもヨクワカラナイ。本格的な修復・発掘・研究がなされたのも、
19世紀に入ってからのオハナシですぞ。たまたま海に沈んでいたり、土に埋まっていたものが、
結果的に難を逃れてきたわけだ。有名なサモトラーヶのニケなど、118個の破片を組み合わせ、
それでも全貌が見えてこない。今日「列強美術館の展示室的なククリ」で、一応は収まって
いるが、今後も新たなる学説が、現れないとは限らない。

 よく言われるように、モノはヒトより長生きをする。それらは、つくる時よりも、
できたものを管理していく事の方に、数倍のエネルギーを擁する。頭や腕のない彫刻に
接した時には、それを「不完全な美」などと簡単に決めつけてしまわず、その「異形」を
晒しているモノ達の、発している声に耳を傾けてみよう。時を経て安息の地を得た喜びの歌か、
朽ちてゆく場所を奪われた嘆きの声か、過ぎ去りし栄光の日々を儚む想いか・・

                                     2004年 7月