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或る伝説に関する話し
一昨年だったか、福井県で演奏会を行う事になった。
地元の情報誌から、「記事を書く為に・・」と、FAXでのインタビューがあった。
幾つかの設問が有り、「福井から思い浮かべるものは何でしょうか」の欄に、
「小鯛の笹漬け」「越前蟹」などに加え「忠直の乱行伝説」と書いて送った。
それを読んだ斡旋者から「今、そんな事を書く人はいませんよ」と笑われた。
したがって記事にも何にもならなかったのだが、良い伝説ではないので、
地元の人も忘れているくらいならば、その方が良いのかもしれない、と思った。
私にそれがあったのは、「悪人列伝/海音寺潮五郎」での強烈な印象があったからだ。
一般的には忠直関連では「忠直卿行状記/菊池寛」が有名なのだが、
乱行については「・・面をそむけさせるものがる」と扱われている程度である。
越前忠直卿は、簡単に言えば(簡単に言わなくても)家康の次男、秀康の長男だ。
正室の子ではなく、侍女お万との子で、関係に不快を示した主人築山殿から、
侍女を隔離したのが「一筆啓上」の本多さん・・だったとはちょいと出来過ぎか。
戦国時代の相関図は、養子やら妾腹やら謀殺やら人質やらに加えて、
過去の敵対関係も絡んでくるので、詳しく追って行くと、わけがわからなくなる。
その後はご存じの通り、信長の意向で築山殿と長男信康は亡き者にされてしまう。
ちなみに「築山悪女伝説」も捏造の色が濃く、むしろ「悲劇の人」と見るべきでしょう。
「秀康」という名前も何やら凄い。本能寺の変の後、秀吉の養子となったからだ。
養子といっても人質のようなものだが、秀吉は彼を可愛がったそうですね。
その後、関ヶ原を経て、二代将軍は秀忠になってしまう。
つまり長男は自害させられ、次男は脇に置かれ、三男が将軍となったわけだ。
その脇に置かれた人の子が忠直、三代将軍になる可能性も大いにあったという事だ。
大阪夏の陣で、名将真田幸村を撃ち破り、大阪城一番乗りを果たす越前軍。
その大将なのである。普通に考えれば藩の英雄ではないか。
ところが、どういうわけか幕府からの御加増は無く、貰ったのが茶器と掛け軸だけ。
さぁ殿様の怒ったの怒らないのって、名器の茶入れを庭に投げ付けてぶち割った・・
と、されている。御乱行はこの後の話しということなのですが・・
さて「悪人列伝」、この本は大変面白いもので、今なお評価も高い。
そもそも、歴史上の「悪人」とは、後の人の評価がそうしている為、
「悪人」よりも「悪役」といった方が良いのかもしれない。
歓呼で迎えられるも、石を投げつけられるも、権力側にあった者の宿命だろう。
星を光らせるには闇夜が必要・・と、いうところか。
この本も、どちらかというとそういう立場で書かれていて、
飛鳥から明治までの「悪役」を「主役」にしている所が眼目なわけだ。
取り上げている人物も「悪役」としては申し分ない魅力がある。
芝居にドラマに小説に、今もその名をとどめにけり・・の方々だ。
入鹿さんは「妹背山」で大熱演しているし、
薬子さんは重祚を企てるし、義男さんは門を焼いてしまうし、
将門さんと純友さんは、陸と海との革命児として人気が高いし、
戦前の三大悪人は道鏡・頼朝・尊氏となっていたそうだし、
私が小学校の時、友人に借りた「少年版/源義経」では梶原景時の顔が、
ボールペンでぐりぐりに痛め付けられていたし、
義満さんは「天皇になろうとした将軍」で注目を浴びているし、
富子さんは応仁の乱の原因を作ったと言われてしまうし、
高時さんは闘犬に夢中になって、北条を滅ぼしてしまうし、
弾正さんは大仏殿を焼き払うし、直家さんは梟雄と呼ばれているし、
伝蔵さんはマッチポンプの元祖として講談で活躍中だし・・。
ところが、忠直編では、そのお話しが、「泥絵の具の残酷絵巻」というか、
「吸血鬼エリザベート」や「吉田御殿の古井戸」に近いものがある。
しかもこれを「天と地と」の先生が書くものだから、説得力があって困る。
そもそも小説家は案外と残酷描写が好きなのではないか・・とも思ってしまう。
例えば池波先生の「侠客」だったか、悪役の殿様がひでぇの何のって、
思わず読んでいる側が、(みのけもよだつ・・・そうな)と、書きたくなる。
但しそこは歴史造詣の深さには定評のある海音寺先生、
無調査で書いているのではなく、「続片聾記」「国事叢記」などの、
越前藩士が記した史書を原典としている・・・そうな。
そこで・・この越前側の史書にみる執拗な個人攻撃に、露骨な作為を感じ、
可能な限りの関連書を集め、古書を探し求め、現地調査を加え、
大胆な仮説を立てた書物が、中嶋繁雄氏の「忠直乱行」という著作だ。
現代では乱行伝説が疑問視されている事は、広く言われている事である、
ではそれが生まれた背景は何であるのか・・過去への追跡が始まる・・という内容。
本文に見る個人調査の末に著者が掴んだひとつの確証には、読みながら感動を禁じ得ない。
この仮説の内容はここでは触れないが、この本が出版されたのが1988年、
現在ではこの「仮説」も「有力なもの」になりつつあるようだ。
2004年 5月
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