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「春ばる京都漫遊記」 音楽の御縁がありまして、早春の京都に訪れる事が出来ました。 |
| 京都駅に着きましたのが、午後の二時頃でありました。 夕方、西院に集まりますので、それまで桂川周辺を散策。 阪急線に乗って、まず訪れましたのが、長岡天満宮です。 天神様といえば梅ですが、三分咲きというところでした。 菅原道真公が、伊勢物語の在原業平らと共に、詩歌管弦を 楽しんだ土地。歌詠みとしては、著名な方々でありますね。 後に道真公は、太宰府に左遷される事になるわけですが、 この地の名残に木像を祀る、これが創建の由来だそうです。 |
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| 長岡天神の前には、ゆったりと八条が池が広がります。 この辺りは桜とツツジ、また紅葉でも名所だそうですね。 桓武天皇が平城京から都を移したのが、ここ長岡の地。 わずか十年しか使われずに、平安京へ遷都したわけです。 その理由に関しては、諸々の説があるようですが・・ 鳴くよ(794)鶯の十年前は、どう覚えるのでしょうか。 名は知らぬ(784)長岡京、ところが発掘が進むにつれて 平城平安に並ぶ規模の都だった事が解ってきたようです。 |
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| そこから桂駅まで戻りまして、下桂御霊神社を訪れました。 橘逸勢という人が、祀られていますが、能書家であります。 空海、嵯峨天皇と合わせて「三筆」と呼ばれる程の方。 その為、境内には子供達の習字が、飾られておりました。 御霊という事であれば、不遇な方であったのでしょう。 歴史では「承和の変」という事件に関係があるようです。 いわゆる、世継、反乱、密告、配流、憤死の流れですね。 有名な祇園祭も、御霊を鎮める為に始まったと聞きました。 |
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| 下桂御霊神社の裏手には、かの有名な桂離宮があります。 入館の予約をするとしても、二ヶ月先まで一杯の様子。 竹の柵を眺めながら、脇を通って桂川へ向かいました。 周囲の松なども、さすがに手入れが行き届いております。 元々は別荘なのでしょうが、離宮というからには宮殿です。 観月を重んじる構成になっているそうで、桂という地名も 「月桂」という言葉から来ているとの事。月読神社など この桂周辺は、月に縁がある土地柄のようです。 |
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| 桂離宮は桂川の西岸にありますので、川へ降りてみます。 平安京造営の時など、木材の運搬などで活躍するわけです。 桂川といえば、浄瑠璃の「お半長右衛門」を思い出します。 私は「どうらん幸助」という落語の方で、馴染んでおります。 大阪は割木屋の親父さん、喧嘩の仲裁が道楽という変り者。 浄瑠璃の稽古を聴いて、内容を実話と思い込んでしまいます。 俺の出番だとばかりに、京都まで意見をしに来るというお噺。 桂大橋を渡って、西京極の駅へ向かいます。 |
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| 橋の入り口には、立派な欄干と常夜燈が立っておりました。 常夜燈は江戸時代末期の建立で、往来安全と刻まれています。 天神川という川があり、北野天神の方へ続いているようです。 葛野七条を通り、松尾三宮社へ行ってみました。 松尾大社の末社ですが、大宝創建というから古いですね。 玉依姫命・大山祇神・酒解神が合祀されているそうです。 写真にも写っていますが、本殿の前で黒猫と白猫がお出迎え。 御夫婦らしいのですが、神様のお使いかもしれません。 |
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| 翌日は録音。西陣織りの町で収録。すぐ近くには大徳寺。 一休宗純、千利休、豊臣秀吉などが関わった名刹であります。 一休和尚は、応仁の乱で荒廃した寺の再興に尽くしました。 千利休は、山門に自像を安置し、秀吉の怒りを買いました。 秀吉といえば、「太閤記・大徳寺の焼香」を思い出します。 織田信長の葬儀をするわけですが、それを取り仕切る秀吉と、 戦国大名の駆け引きですね。七堂伽藍を完備した大寺院です。 ほんの少し寄っただけですが、千体地蔵を拝見致しました。 |
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| さて帰宅の日、午前中は雨でしたが、昼食の後に晴れました。 急ぐ旅でも無いので、京福線に乗り込んで、御室方面を散策。 仁和寺に行きました。宇多天皇が、出家されたという御寺。 その時に、初めて法皇という称号が、使われたそうですね。 皇子や上皇の入寺が続き、仁和寺は御室御所と呼ばれました。 徒然草には、笑話の形で、この寺の坊さん達が登場しますね。 この寺も応仁の乱で焼失し、再興されたのは家光の時代とか。 遅咲きの桜は有名で、その季節は大変な賑わいだそうです。 |
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| 仁和寺から坂道を歩き、石庭で有名な竜安寺に向かいます。 観光名所ですが、雨のお陰で、落ち着いて観られました。 徳大寺家の別荘を、細川勝元が譲り受け寺地としたそうです。 勝元とは、再三出てくる応仁の乱の東軍司令官でありますな。 名代の方丈庭園、塀の高さに変化を付けているのが判ります。 一見して、四角い区切りの中のインスタレーションですね。 いつまでも眺めていられる、飽きのない構図になっています。 このお寺は池も有名ですが、この日は水が引いていました。 |
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| それから御室へ戻るように歩くと、妙心寺に辿り着きました。 大学生の頃、訪れたのですが、寺の名を失念していました。 今回、偶然にも巡り会えて「ここだったのか」という思い。 法堂の天井に描かれた、狩野探幽の巨大な雲龍図が有名です。 記憶にあったのも、天井画からなのですが、画面が正円の為に 見る方向によって「昇り龍」「下り龍」に見えるという構成。 そして円の中心点に龍の眼がある・・と解説では言うのですが どう見ても龍の眼は、尾のほうに寄っていると思うのです・・ |
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| 妙心寺の広い境内を抜け、嵯峨野線を越えて太秦に入ります。 高校の修学旅行で、映画村には寄ったのですが、内容は忘却。 太秦の秦の字は、渡来系の秦氏から来ているのでしょう。 その秦氏が建立した広隆寺、京都最古の寺院とされています。 その為か、周囲は平安というより、奈良の雰囲気を感じます。 国宝一号、弥勒菩薩の霊宝伝、良質な仏像美術館と云えます。 建物の中は照明を押さえ、いつまで観ていても疲れません。 「イヤァ・・ヨカッタ・ヨカッタ・・」というのが感想です。 |
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| 秦氏の氏神、大酒神社をお参りして、線路に沿って歩きます。 秦氏は大陸文化を持ち込みますが、特に養蚕を広めました。 この一帯が、織物や染物で栄えた事も、頷けるところです。 隣駅の木島神社は、「蚕の社」と言われ、大宝以前の創建。 境内には秦氏ゆかりの養蚕神社、機織りにちなんだお社です。 明神鳥居を三本組み合わせた、不思議な鳥居がありました。 上から見ると三角形、三方向を向いている石の鳥居なのです。 日暮れ時、境内奥にある三柱鳥居は、実に印象深かったです。 |
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| この辺りで夕方の五時頃でしょうか、京福線で四条大宮へ。 ぶらぶらと京都駅まで歩いたのですが、これが案外遠かった。 しかもビル街だから、これまでの風情が薄れてしまいました。 地下鉄に乗れば良かったと、仰ぎ見れば京都タワーの輝き。 こちら右手に見えますのは、東本願寺でございます。 今回の出張は二泊三日、ほっつき歩きは前後を足して約一日。 それでもこれだけ見所が・・やはり京都は面白いところです。 |
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