3月下旬 下腹部の腫れに気が付く。
痛みはあるが、治まる時もある。
4月5日 ヘルニアと診断される。
4月8日 手術の日程が決まる。
既に決まっていた予定は、変更せずに済んだ。
4月23日 入院前夜、下着類、履き物、
洗面具などを揃える。気分は旅支度。 |
 |
|
前日から入院準備 |
4月24日 9時30分に受付をすませ、病室へ。
肺活量の検査をして、レントゲンを撮る。
午後、剃毛をする為にバリカンを渡される。
あまり良く剃れないので、持参した剃刀を使う。
丁寧で結構です、と点検した看護師に褒められる。
これを「剃毛恢恢、疎にして漏らさず」という・・
色々な承諾書に署名をして、夜からは絶食。 |
 |
|
病室のプレート |
4月25日 朝7時に浣腸。手術着を着てT字帯
弾性ストッキングを付ける。点滴が始まる。
母と兄が到着。同意書にサインをしてもらう。
手術には立会人が必要、本人より緊張している。
手術室には歩いて行く。3時間程かかる予定。
「眠くなりま〜す」と言われて、全身麻酔。
一瞬、天井がグニャ・・気がつけば元の病室。 |
 |
|
ベッドは窓際だった |
4月25日午後 意識はあるが、朦朧としている。
腕、鼻、尿管、指、胸と色々な管が伸びている。
モニターがあるらしい。問いかけには答えられる。
熱があるようで、氷枕を当てられる。頭は沈むし、
寝返りが打てない為、背中が痛くて苦しい。
ベッドに角度を付けてもらう。口が渇いてくる。
眠ったり、覚めたり、このまま朝を待つしかない。 |
 |
|
カーテンに守られる |
4月26日 朝になり何本か管の数が減らされる。
朝食を見て驚いた。パン、牛乳、マーガリンなど
全てが袋に入っている。それを切る力が出ないのだ。
なんとかバナナの皮を剥き終え、食べる力をつける。
車椅子で階下のレントゲンへ。辛うじて動ける程度。
それでも午後になると、くの字になって歩いた。
手洗いには自力で行くように、言われているのだ。 |
 |
|
手術中に履く靴下 |
4月27日 動けないというのは、痛いからである。
それでも、昨日は何軒かメールを打ち、本も読んだ。
将棋番組を寝ながら見る。まだ身体は安定しない。
少しずつ寝返りが打てるようになる。午前中に便通。
有り難い・・お腹を切った身に、便秘は困るのだ。
手術の後遺症で、患部に皮下出血。あざの様なもの。
陰茎、紫に腫れ上がり「黒魔羅の朝臣」と命名する。 |
 |
|
頭上に見えるもの |
4月28日 下腹部に熱、保冷剤を当て冷やす。
ようやく自分の身体の状態が、分かってきた。
今までは、患部が別人のような感覚でいたわけだ。
無理な姿勢をすると、傷口に激痛が走るので注意。
地下の売店で新聞を買う、念願の珈琲が飲めた。
まだ微熱が下がらないが、午後には面会もあった。
この日で点滴が終わる。針が抜かれて嬉しかった。 |
 |
|
錠剤、飲み忘れに注意 |
4月29日 病院は午後の2時からが、面会時間。
祭日だったためか、普段よりも人が多いようだ。
今回、病室で読もうと持ってきた本が三冊ある。
いずれもハードカバーなので、重さでは失敗した。
窪田空穂の源氏物語を読んでいたが、流し読むと
ちっとも話しが入ってこない。同じ登場人物に対し
呼び方が何通りもあるからだ。これも思い出か・・ |
 |
|
運動の為に徘徊 |
4月30日 皮下出血がだんだん下部に降りてくる。
内股のあたりが、熟れた桃のように赤く腫れている。
治りかけている部分は、黄色掛かってきている。
回診の際に説明を受けているので、驚きはしないが、
退院しても完治までは、かなり時間が掛かかりそう。
三日後の円盤ジャンボリーには、出られるだろうか。
田口氏とメールで連絡。夜、待望の豆腐食べる。 |
 |
|
窓の外の風景 |
5月1日 午前中の回診で、明日が抜糸と決定。
「そのまま、退院して下さい」と告げられる。
安静一ヶ月、全治三ヶ月、そう遠い日ではない。
偶然だが開院記念日と重なり、昼食に赤飯が出た。
実家に連絡をして、明日の段取りを打ち合わせ。
やはり人間、一人では生きていけないものだ。
今回も肉親の有り難さを痛感、そして友人にも・・ |
 |
|
開院記念に赤飯が |
補)鼠径ヘルニア
鼠径部(脚の付け根)から、腹腔内蔵器の一部が
脱出する病気。合成繊維で作られた網で穴をふさぎ、
後壁を補強する手術が行われる。
筆者の場合、症状が両側に及んだ為、全身麻酔による
手術と、抜糸に至るまでの入院が必要であった。 |
 |
|
お世話になりました |