イラン '03 9.23〜'04 8.25

 「イランへ行く」と言ったのに、何人に「イラク」と間違われたことだろう。イランは言葉も文化もアラブとは異なる。人口は6,500万を越え・石油、ガスを産する中東の大国である。
 親米王制を打倒し、イスラーム共和国となってからは、アメリカに「イスラーム原理主義国家」と呼ばれ、「悪の枢軸」「ならず者国家」「テロ支援国家」のレッテルを貼られている。2003年の大規模な学生デモとその弾圧、国会議員選挙における「保守派」による「改革派」排除、現在まで続く核兵器開発疑惑、と日本においてもイランは、危険視されるか異質なものとして報道されがちである。

 2003年9月下旬より、およそ10ヵ月、ペルシア語学習のためにイランに暮らした。
 イラン革命はなぜイスラーム体制に帰着してしまったのか、人々にとっての信仰とは何なのか、そして何よりもこれからイランはどのような道を歩もうとしているのか。

 私はイランの現体制を比較的好意的に捉えてきたつもりだが、良くも悪くも伝えられているイランの姿と現実とは異なり、また旅行や取材で短期滞在するのと、現地に暮らし、隣人として、また時には当事者として接するのでは物事の見え方捉え方も異なってくる。
 無知は偏見を生み、マスメディアや政府の唱えるわかりやすいプロパガンダがそれに拍車をかける。何を持って「悪の枢軸」と呼び、「テロ支援国家」と断じるのか。イランにはイランなりの問題があり、日本には日本なりの問題がある。そしてそれらは時に、根本においてはおおいに共通しているようにも思われるのである。

 

 この時のイラン滞在記、社会見聞録は拙ブログ・ページに思いつくまま、気の向くままに書き込んでゆくつもりです。

 

 

 

イランの新年(ノウ・ルーズ)

太陽ヒジュラ暦を採用するイラン、アフガニスタンでは春分の日を元日として一年が始まる。正月前には縁起物とされるハフト・スィーン(七つのスィーン《ローマ字のSに対応するアラビア文字》の意:スィーンで始まる、ソフレ〔食布〕、スィーブ〔りんご〕、セッケ〔コイン〕、等々七種、若しくはそれ以上のもの)の飾り付けをし正月を迎える。そのため年末には多くの「スィーン製品」が路上に並ぶ。
 写真中央はサブズィー(緑、野菜、の意)の人形。またスィーンではないが、金魚(ペルシア語では”マーヒー・ゲルメズ”直訳すれば「赤魚」)も縁起ものとして求められる。(写真左)
 写真右はシャべ・ノウルーズ(大晦日)の光景。あちらこちらで火を焚き、或いは花火をあげ、爆竹を鳴らし、その上を飛んで無病息災を願う。この火の祭りは、イラン全土的には通常「チャハールシャンべ・スーリー:赤い水曜日」と呼ばれ、年末最後の火曜の晩に行われる。これらは当然イスラームではなく、ゾロアスターを起源とする祝祭だそうだ。春分正月という暦もゾロアスター暦が影響しているという。

 いずれも2004年3月、イラン・コルデスターン州サナンダージにて撮影

 

   
プロパガンダ: 「偶像崇拝」と問題視する声があがらないのが不思議なほど、
イランの町は肖像画に満ちている。故ホメイニー師、現最高指導者ハーメネイ師、
そしてイラン・イラク戦争の戦没者である。
         
   
「イスラーム国家」だからといって、「ムスリム」だからといって、日々の暮らしが
日本のそれとさほど異なるわけでもない。子供たちはいつでも元気だ。
右はパーティーで踊る女性。服装や音楽、文化に至るまで、相変わらず規制はあるものの、
最近では、私的な空間にまで踏みこんで取り締まられることはほぼなくなった。
いわば「お目こぼし」的な自由度は広がりつつあるようだ
         
   
信仰: イスラームといってもイランの多数派を占めるのは「シーア派」の中の「12イマーム派」
教義や行事等々、「イスラーム」の中でも実は多様なのである。
信仰をどう捉えるかも勿論、個々人により異なる。
         
   
左、クルディスタンの結婚式 中、トルコと国境を接する西アゼルバイジャン州の牧民 
右、バローチスタン州のバローチ人
イランという一つの「国」は実に様々な民族、文化を含有している
         
   
電飾で飾られた繁華街ヴァリー・アスル通り
                       テヘラン
  青果店
              タジリーシュ、 テヘラン
  壁に描かれているのは故ホメイニー師と
現最高指導者ハーメネイ師
      ザーヘダーン、バローチスターン州