アフガニスタン  ( 2005年 2月18日〜 3月02日 )

 

小さな労働者

 レストランで働くアーレム君は14歳。客から注文を取り、料理を運び、食器を片付け、チャイをいれて、また運び。カバーブのために炭火の用意をしたり、時々店のオヤジに買い物に行かされ、お釣りの小銭がないときにゃ近所の店まで両替にひとっ走り・・・。たまにオヤジに叩かれたり、怒鳴られたりしているけれども、いつもとびっきりの笑顔をみせてくれる。
 学校には行っていない。読み書きはできるのか、と同じ店で働く彼の兄に尋ねてみると「いいや」と首を横に振る。「カーレギャル(労働者)だからな・・・」

 「写真をちょうだい」 と私にせがむ。
 「ごめんよ、写真は全部、日本でプリントするんだ。多分、夏にまた来るから、その時に持ってくるよ。いつもここにいるんだろ?」 と私。
「夏はカーブルに行くんだ。学校に行くんだよ」 とアーレム君。これはどうも冗談のようだ。でも、実現して欲しいな、と思う。

 

 

難民キャンプ

 カーブル市内、スタジアムの隣に国内避難民キャンプがあった。ここではおよそ25家族がテント同然の家で暮らしている。水、食糧、そして幾ばくかの生活費はUNHCRによって支援されているらしい。多くは2年〜1年前にパキスタンや国内他地域からカーブルにやってきた。戦争が終わったと思い、帰ってきたものの、住むところも、仕事もない、という人々である。

 一方では高級住宅街があり、豪邸が建てられもしている。そのような構造の中で、「政府関係者が私腹を肥やしている」「国際社会は貧しい者達を助けようとはしていない」 といった不満の声も聞こえてくる。現状では「復興支援」が彼らの目にそのように映ってしまうのは致し方ない面もある。
 取材中、20代の若者数人に代わる代わる「おれたちを助けるために来たのだろう? だったらカネをくれよ。」 とたかられた。このキャンプに限らず、物乞いでない者による「たかり」行為が、今回いままでになく目についた。「復興支援」が、ある者たちの心を貧しくさせ、彼らの誇りをも奪い去っているのではないか、と危惧される。

 

 

農業の復興はなるか?

 この冬アフガニスタンは記録的な寒さ、積雪に見舞われた。雪の残るカーブルと比べると、東部のナンガルハール州は比較的温かく、晴れた日には春が間近に来ていることが感じられる陽気だ。雨と雪は農業には天の恵みだ。まだ米作、麦作の時期には少々早いが、牛を使って土地が耕され、多くの野菜が栽培されていた。
 このあたりもかつては一面ケシ畑だったそうで、一家で農業を営むナズィームさんはネギ畑の中から枯れたケシの残骸を見つけ出して私に示してくれた。
 州都ジャララバード近郊を眺める限り、表面上は政府発表通りにケシ栽培も、武装解除も成功を収めている。
 この安定がどの程度広範に保たれているのか、これからの繁農期、さらに来年、再来年と長期的に見てゆかねばその成功、定着具合は判断できまい。武装勢力の問題にせよ、再々度延期された議会選挙(現時点では9月になる見込みだというが、まだ正式に決定したわけではない)へ向けてのこれからの動きに注視せねばなるまい。

写真は2005年2月アフガニスタン・ナンガルハール州ソルフロッドにて