「バカの壁」を読みながら(読んで)

「バカの壁」は、タイトルがキャッチーな事もあってずっと気になっていた。
本屋でパラパラとめくって、どういう事を取り上げた本なのかはなんとなく知っていたが
購入しようとは思わなかった。

やがてベストセラーとなり、流行語大賞となって人々の会話にものぼるようになったが、
「人々の会話に使われている『バカの壁』は、本に書かれた意味と異なっている」等といった
話も聞いたので、一度しっかり読みたいと思ってはいた。

買うほどの事はないと思ったが、図書館では順番待ちがすごくて、なんとなく後回しにしていたのだった。
そして先日、ふと思い出した時に BOOK OFF の 105 円均一コーナーに発見したので購入した次第である。
少し読み出してすぐ、これはやばいな、と思った。平静な気持ちで読めないのである。
何も反発せずに読む事をどうしても拒絶したい。そうせずにはいられない。
なので携帯電話を片手に、気になる点についてテキストを書きながら読む事にした。
通勤電車でやっているので傍目からは「ながら読書」も極まれりと思われているかもしれないな。
ともかく。
読むのと同時進行なので、僕のテキストも順を追った羅列である。
「バカの壁」自体の内容を、僕のテキストに沿って解説したりはしないので
このテキストだけ読んでもわけがわからないかもしれないが、
もし気が向いたのなら BOOK OFF に行く事をお勧めします。

それと、僕は教養があまりないので、論文の手法や用語も知らないし
心理学についての基礎知識もありません。
このテキストはそれらのスペシャリストから見ると稚拙だろうと思いますが
看過していただくかご容赦願えれば幸いです。



「妊娠・出産の番組に対する大学生の反応の男女差」。
男子学生が、興味を持てない事例に対して、知らない事であるのに「わかっている」とうそぶくという。
これはどうもひねくれて捉らえ過ぎていないだろうか。
例えば陣痛の痛み。
陣痛はとても痛い、とナレーションが入り、キャストが苦しむ映像が流れる、のだろう。
確かに男性はその陣痛がどういう物なのか知らないし、どのぐらい痛いかもわからない。
「知らない事」である。
だがそんな事は番組を見たって理解できない、絶対に。
だから知り得る表現の範囲内でという事で男性が「陣痛が痛い事を知っている」というのは
自らの脳の記録内容を他者に伝えるうえで、特に間違っているとは思えない。
無論、男性故の、伝聞による知識である事を念頭に、その注釈付きの慎み深さは忘れてはならないが
いずれにせよ、男子学生が「(意訳)特に目新しい事ではなかった」というなら
本当にそうだった可能性もあるのだ。
出産という耳目を引きやすい問いかけにおいて母なる女子学生の側にだけ立つのは
うまい立ち回りであるがやや軽薄である。
読み進んで別の観点から語られる事を期待したい。

「説明を求めてくる学生」
説明によって関連付けを手伝ってやる事で理解できる事もあるだろうし、
内容によるのではないだろうか。
「他人の解釈を自分の解釈と比べたい」という場合もあるだろうし。
説明では説明しきれないような、どんな事を学生が聞きに来るというのだろう。
どうもこのエピソードは論理に流れを作るための創作的なものに思える。
「君達は何もわかっちゃいない!」と叫びたいとでもいうのだろうか。
それはもはや違う学問だろう。
ただ、最近の若者の中には人としゃべる時の言葉の使い方、組み立て方が稚拙な人も多く、
それが「質問された側」にとって「聞いてどうなるというのか」と思えるような働きかけである場合もあるかもしれない。
学生にしてみれば、つたない言葉で何かをやり取りしようと話しかけているわけで、
それをまず会話の形式の否定からかかるのは、教育者の態度として正しいとは思えない。
「説明してください」ではなく「理解させてください」ならいいとでもいうのだろうか。
それならば、サッカー、例えば最高峰のW杯を理解させるのに
世界のトッププレイヤーに育てあげるところから始めるとでもいうのか。
そんな事は無理だろう。知り得るところまでしか知り得ない、という事はままある。
そこから先は精神論であり、思考法ではないと思うのだ。

「NHKの報道の客観性に対する疑問」。
僕は日がな一日、NHKを監視しているわけではないからNHKの報道内容、報道姿勢について断定した形での紹介はできない。
しかしまた、僕が視聴者としてどのようにNHKを見ているか、それをどのように自分に取り入れているかは
養老氏にはわかりっこないのだ。
NHKの報道を信じ込んでいるというが、世間で実際にあった事実だけを情報ソースから取り込んで
是非の判断は自分で行っている人がどれだけ多いか、なぜそれを認めようとしないのだろうか。
もしかしたら想定される読者のレベルに合わせたつもりなのか。
競馬新聞で予想の印しか見ない人、なんてのは少数派だと思うのだがいかがだろうか。
自分がそうだから他人もそうだと思い込んでいる、のではまさかあるまい?
「常識とは」についてもかなり苦しい。
どうも「常識」と「一般論」を混同なさっている気がする。
それはこの本を成立させるための意図的な物かもしれないが
ちょっと話の持っていき方が利己的過ぎて、不自然さが前面に出過ぎてしまっているようだ。
「温暖化の原因は炭酸ガス」、それは常識とされているが実は推論。まぁそれはいいが
では「地球上で気温が上がっている」という、科学的事実でもある「常識」はどうなのか。
そちらには言及しないのか。
上がっているという尺度は現代の人間が決めた物であり
惑星が誕生した瞬間から見れば戻っただけだ、等と
屁理屈はいくらでもつけれるが、そういう事を言いたいのでもあるまい。
そもそも実生活において「常識」という言葉は事実に対して使われる方が多い。
「鈴木宗男氏が金を受け取っていたのは常識だ」と、
「鈴木宗男氏が金を受け取っていた悪人なのは常識だ」、
どちらが耳に馴染むだろうか。
事実に対して使った前者はすんなり耳に入り、
貧しい断定に対して使用された後者は少し引っ掛かる物があるのではないだろうか。
耳に馴染むかどうかがすなわち世間で
「常識」という言葉が主にどういう用法で使われているかの判断基準になるのではないだろうか。
推測、憶測、決め付けに対して使われる事はさして多くないはずだ。
それを大事のように問題にしてページを稼ぐ・ビジネスに仕立てあげるのは、
論理に仕える学者のする事ではないのではないか。

「第一章 確実なこととは何か」
「このような」と始まる項目の、「この」とは何にかかっているのだろう。
「反証主義」の事ではなくその前の、「事実と推論」の事を指していると思われるが
このように文章と文章の連携が悪い部分が散見され、
それゆえに主題として何を語りたいのかがバラバラになってしまって非常にわかりにくい。
まえがきにこの本が口述筆記された物であると明記されているから
編集者の手は加わっていようし、どこにも繋がらないがもったいなくて削除もできない、といった事態もあったろう。
だが商品として市場に出す以上は整合性を保ってもらわないと困る。
逃げ道を伸ばしつつ、(架空の)相手(この場合、読者や批判対象人物像)が
誤認・曲解・誤解している前提でそれに対して反論する形で論理を展開するのはフェアじゃない。
(架空の)相手のキャラクターを自分に都合のいいようにいくらでも変えていけるからだ。
文章という商品を生み出すテクニックではあるかもしれないが少なくともエレガントではない。
僕の批判は言葉遊びでしかないだろうか?

第一章の最後では、悲観的になりすぎる必要はない、確実なことはなくはないし、
推測と真理の違いを把握していればよいのである、といったふうにまとめられているが
論理の飛躍が激し過ぎる。
接続詞をつけた編集者の問題かもしれないが、このままでは言っている事が無茶苦茶にすり替わっているのだ。
そもそも日々に何の疑問も持たず、確実だ、確実だと確信して生きている者がどれだけいるというのだろう。
むしろ庶民のほうが推測の確率に気を配って生きているように思うのだ。
確率の高い方を選んで(信じるにあらず)、少しでも自分の生活を思った姿に近づけようとしているわけである。
高確率を「真理」としてしまうと外れた時には真理が覆ったことになり、思考、自己が崩壊する事になる。
生きていくプロである市民はそういう矛盾を選択しはしないだろう。
市民はもっとしたたかなものなのだ。

第一章までを、読みながら論じてきたが、正直いってうんざりしてきた。
この本は「商品」であり、その内容は商品としての使命をとても強く意識している。
需要があるから供給があるのだろうが
この本は、読者を思考法の雰囲気に浸らせるためだけに書かれているようであり、
考えるきっかけ・チャンスを提供しているに過ぎない、と思う。
それはそれで立派な存在意義だから存在を否定まではしないが
この本によって生まれた経済効果には見合わないんじゃないだろうか。
非常にマボロシ的な現象であり、
この本の主張と正反対なのが興味深い。

これから僕は第二章以降を読むが、基本的に、以後この本に関してテキストを書くつもりはない。
だが最後まで読んで、僕が書いたこのテキストが適切ではないと思ったら書き直すつもりである。
では、失礼。



…いや、もうこれダメでしょう。だめです、僕には。
「反応を起こさない、という反応をする」係数を
「係数ゼロ」にしてしまう神経がわからない。
ホントに読むほどに腹が立ちます。
例えて言えば、音痴の人が、その歌を他人に聞かせ続けるようなものです。
確かに歌詞は正確かもしれないがハーモニーとして崩壊しています。
なんだこの本は。
こんなのをベストセラーにした日本の市場を恥じよう。