流行に遅れる事、甚だしいが、やっと映画「リング」と「らせん」をビデオレンタルして見た。 小説のほうはずいぶん前に読んでいて、その続編である「ループ」も読破済みなのだが、 そもそもの題材が「ビデオ」であるから、視覚に訴えるメディアとして見る事ができてなかなか興味深かった。 映画の作りとしてはどうだかなぁ、と思う部分もあったけれど。で、感想だがこれが全然怖くなかったのである。 「ループ」を知っているから全ての謎が謎ではないのだ。ネタバレになるからちょっと改行したほうがいいのかな?





ようするにるーぷというはなしは、いわゆるゆめおちってやつである。 だからるーぷをよんでしまうと、りんぐもらせんもちゃばんげきになる。 だがじつはさんぶさくのなかで、ぼくがいちばんこわくてそしておもしろかったのはるーぷなのだ。 …そろそろ漢字もまじえよう。

僕は小学生の頃、軽いノイローゼの症状を自覚した事がある。もちろん親も先生もそんな事は気付いていないはずだが、 僕は相当苦しんだのだ。何に対する物かというと、「宇宙の果てはどうなっているのか」という問題に、である。 宇宙に壁がある、つまり宇宙というものに限りがある、というところまではまだ想像がついた。 でもその先となると、文字どおり「想像もつかない」。尺度さえもないのだ。4次元、とかいったって、 そういう非合理的な物で子供が納得するわけがない。ましてや「何もない、という事が存在する」なんて、 これは小学生がいくら脳味噌のクロック数を早めても理解できるわけもないのだ。 今でも僕はその問題について納得していないのだが、考えるのをあきらめたわけではない。 考えるのが怖いから、その問題から逃げているのである。

もう一つ、物の最小単位について。物を限界まで分解していったら何が残るのか。 その「残った最小単位」と隣り合せる「最小単位」の間には何があるのか?これも結局宇宙と同じである。

こういう事は宗教世界に通じるものがあって、それについて語るとヤバい奴と思われがちである。 実際にそういった事を教義に取り入れているところもあるだろうけど。色即是空とかそういう奴。

でも、子供の僕もその世界をかいま見たわけである。 例えば食事の時、ご飯粒を一粒落す。母親が「こぼさないように食べなさい」とか言って、無造作に落ちたご飯粒を捨てる。 もし、元素レベルのその先に宇宙があるのなら、米と水と熱によってご飯が炊かれた事で生成された宇宙は、 捨てられた瞬間に崩壊したかもしれない。少なくとも天変地異ぐらいは起きただろう。

そういうミクロとマクロの内包に関する概念は僕の中にずっとあって、 それを理解できない、それをはかる尺度がないという恐怖、それを物の見事に語っているのが「ループ」なのだ。

そして作者と読み手である僕のリンク、これもまた、「ループ」にリンクしているかのように感じられて、 僕にはすごく興味深い結果となったのである。