僕はたいがい目覚めはいいほうだ。仕事柄、4時5時といった早朝に起きなくてはいけない事もたまにあるのだが、 寝過ごした事はない。まぁ仕事だから当然なんだけれど、普通と違うかなと思うのは「ヤバかった事」がないという事なのだ。 おそらくは緊張のせいだと思う。でも、もう10年同じ商売をしているのに、いまだに緊張するってのも変な話ではある。 初心を忘れてないって事で、いい事なのかもしれないが。

起床のプロセスを説明すると、例えば朝5時に起きなくてはならない場合、 ダンダントーンの目覚ましを5時にセットする。で、電子アラームの時計を10分後にセット、 さらにベルの時計を15分後にセット、というふうに3つの時計を念のためにかけている。 願わくばダンダントーンで目覚めたい。僕は「ドキーッ!」っと目覚めるのが本当に嫌いなのだ。 でもたいていの場合、3つの時計のお世話にはならない。4時ぐらいから、30分ぐらいおきに何度も目覚めてしまうからだ。 そうでなくても、時計が鳴る数秒前に目が覚めてしまう。 時計が「そろそろ鳴ろうかなぁ」と思っているのを察知するのだ(笑)。 昔からの言い伝えで、起床時間の数だけ枕を叩いて眠ると寝過ごさないというのがあるけれど、 あれもあながち嘘ではないなぁ、と思う。

さて、運よくぎりぎりまで目が覚めないといいのだが、段階的起床に突入してしまうとちょっと面倒な事になる。 寝ぼけまなこで時計を見て、起きるには早すぎる事を確認し、2度寝・3度寝になるのだが、 その時の眠りが浅すぎて夢想が激しすぎるのだ。 楽しい夢想やHな夢想なら歓迎だけれど、ほとんどがその日の仕事のイメージだ。 ひどい場合、起きて1日働いて疲れて帰る、なんて夢を見る事もある。 この時の精神的疲労は夢といえども現実と変わらない。目覚めて夢だとわかった時の空しさといったらない。 もう1回働かなくてはいけないなんて、と思うとうんざりなのだ。

また、俗にいう金縛りにあう事もある。これは割と楽しい。 僕は金縛りについては、自分なりに追試したりして確信があるのだが、あれは霊現象ではなく、 精神が覚醒しているのに身体が眠っている状態なのだ。つまり、「自我がある夢」である。

初期の金縛りでは、身体が動かない事にパニックになってしまい、怖かったりしたけれど、 それはただのイメージ、夢なのだ。その時見えている部屋の風景は「記憶」である。 見ているわけではない。目は開いていないのだ。そういう記憶も慣れるとコントロールできるようになる。 全ては想像力なんだけれど。

例えば右手を持ち上げるという行為がある。現実の世界でそれを行うと、 右手の重さや空を切る感覚などで「右手をあげている」と認識するんだけど、 逆に精神だけで右手の重さや空を切る感覚を正確にイメージすれば、 それはイコール「右手をあげた」という身体の認識を導き出せるのだ。 よく聞く話に、腕を失った人にも腕を動かす感覚があるというのがあるが、それも同じであろう (試しに目をつぶって腕を上げてみてください。たぶんその感覚が、それです)。 だから、慣れてくると、そのイメージの世界で部屋の中を無重力のように跳ぶ事もできるようになる。 これも、その感覚を想像しているわけだ。触覚だけでなく、 跳んだ場合に景色がどう見えるかというのも、想像上の視覚でまかなえる。 もう一歩進んで、部屋の小物を移動させてみる事もできる。 こういった事はすべて自分の意識下で行えるのだけれども、現実に覚醒してみると、 動かしたはずの小物は移動していない。つまり、夢なのだ。

とかうつらうつら考えていたら目覚ましが鳴った。起きなくては。早起きすると胃が痛い。