僕は通勤電車が嫌いだ。昨年、乗るバイクが全て壊滅するまでは雨の日にしか電車通勤しなかったから、 人よりも免疫がないのかもしれない。朝の通勤電車はまだマシである。 人々は秩序を守っているし、駅の構内においても論理的な流れができ上がっていて無駄がないからだ。 問題は帰宅ラッシュの電車、及び駅だ。げんなりする。仕事で疲れているのにさらに疲れさせられる。

新宿駅など、広いコンコースを歩いていると、目の前を人が横切る。とたんにムカつく。 どう考えても、僕の歩いている方向が優先車線なのだ。そりゃあ君は横にそれて中央線に乗りたいのかもしれない。 でも、その中央線のホームへ行くために、僕の前を横切って、僕の歩くスピードを落とさせる権利は君にはないのだ。 0.3秒も待てば僕の通り過ぎた後を横に行けるというのに、 なぜ小走りになってまで僕の「前」を横切らないといけないのかね。 なぜ小走りになるのか。君が横切れると判断してその行動を開始したら、想像したよりも僕の進行速度が早かったからだろう。 つまり君の判断ミスである。車でいうなら割り込み事故寸前って奴なのだ。○○。

すれちがう時に、平気で肩をぶつけていく奴もいる。集団の中の1個体という意識がそんな行為も平然と行わせているようだ。 よくぶつかられる人は、試しに擦れ違う前に相手の目を見据えてみるといい。 その時、目があったならば避けてもらえる率は上がるはずだ。個体差を認識されるのが、本能的に嫌なのだろう。○○。

等と思いながらホームに着き、電車に乗り込む。たまに座る事もあるのだが、たいていは立っている。 席を譲る事になるかもしれないのが嫌なのだ。実際には僕は比較的、席を譲るのに頓着しないほうなのだが、 譲るにあたっていろいろ気苦労が多い。相手が譲るにふさわしいかどうか、非常に気にするほうなのだ。 妊婦や障害者などならすぐさま譲る。見てわかるからだ。でも年寄りはわからない。 おしゃれで金持ちそうな年寄りならなおさらわからない。譲った事で、相手の自尊心を傷つけないかどうか悩んでしまうのだ。 これは結構ストレスである。回避できるなら最初から回避したほうがいい (…ついでに言っておこう。常日頃思っているのだが、始発駅で席を譲るのはおかしい。 僕は本当に座りたい時には何本か電車を見送ってでも座りたいと思う。事実、ホームに電車が着いているのに、 次の電車を待つ乗客がそのホームに並んでいる風景も珍しくないだろう。 なのに、一部の者が、そうした工夫もせずに乗りたい時間に電車に乗って、さらに譲ってくれとアピールするのは 僕には納得できないのだ。これは始発駅だけの話だけれど、東京発の東海道新幹線でも同じである)。

吊革につかまっていると、酔っ払いが、ねめつけるような視線で僕を見る事もある。 僕は普段着で通勤しているから、学生もしくは遊び人と思われるのかもしれない。見下した目線だ。 ふざけんなボケ、お前も○○!

座席に座りながら新聞を読んでいる奴の中には、僕の股間に触るぐらい新聞を前に突き出している奴もいる。てめぇ○○!

駅に着いて降りる時、後ろからそれとなく手の甲などで押す奴もいる。 僕はそういう時、ゆっくりと振り向いてそいつの顔を見る。振り向かれて、顔を上げている奴はまずいない。 だいたいがわざとらしくうつむく。お前らみんな○○!