僕は昔、片岡義男の作品に傾倒していて
今でも数十冊の文庫本が本棚にある。
ずいぶん読まないまま時間が経ったのだが、
この間ふとオートバイの小説が読みたくなって手にとってみた。

その中の美しいシーンとして、
美しい女性が無機質な風景の中で
美しいグラスを美しくコンクリートの渓谷に落とすシーンがあった。

確かに絵的にはすばらしい。
でも、それを読み返した瞬間に僕はその作品に、
今まで抱いた事のない嫌悪感を抱いてしまった。
僕は、およそ川と呼ばれるものには素足で入りたいし、入れる川であって欲しい。
また、氏の小説の登場人物にもそうしてほしい
(おそらくミーヨはそうするだろう)のに、
美しい情景のために素足で川に入るのを阻害する文章には共感できない。
僕はそういう洗練のされ方を好まない。
僕は、氏の作品を読む自分よりも、オートバイに乗る自分の方が大事なのだ。

思うに「一日じゅう空を見ていた」あたりから、片岡義男作品は
僕の好みと違い始めたようである。
しかし「ボビーに首ったけ」中の「どしゃ降りのラスト・シーン」等は
今でも僕の中で大切な位置を保っている。

世の中が変わっていくのを止める事はできないけれども
自分の中の世界は自分だけの物であるから
それを一番大事にしていってもいいんじゃないだろうか。
「あ、違うって思った。だから終わりにしようと思う」、本当にそういう事だと思う。

#なんでこんなにその部分が気になってしまったんだろう。
たぶん僕はタンク車の描写によって、一度はその女性を同類として認めたのだ。
しかし、次にその女性が自分とは違う種類の人間である事を思い知らされて
ショックを受けたんだと思う。