#1 人間がつくった「狂」の病

まずは、ジャーナリストの船瀬俊介氏らの著書をてがかりに、狂牛病(BSE)問題をおさらいしよう。


「狂ったような牛」が世に表れたのは1985年4月、英国のある農場でのことだった。
翌年には国の各地で同じような発症例が見つかり、牛の脳がスポンジ状になることから、
「牛スポンジ状脳症=BSE)」という名前が付いた。

牛だけの伝染病なら、よかった。だが、96年3月、英国政府は「人間がBSEの肉を食
べると感染し、新ヤコブ病にかかる危険性がある」と発表、衝撃が広がった。

新ヤコブ病・・・。突然、手足のしびれや震え、痛みなどが起こり、やがて痴呆に似た症状を呈す。
歩行が困難になり、自分がだれか分からなくなり、話をしたり、食べたりするのも難しくなって衰弱。
ついには肺炎などを起こし、息を引き取る。

潜伏期間は早くて4、5年、ふつう10年から20年以上といわれ、発病したら、致死率は
非常に高いという。英国では2001年までに100人以上が感染し、多くの命が失われた。
若者が多いことが、悲劇をさらに色濃くしている。

2001年9月、日本でも狂牛病の感染牛第1号が見つかり、もはや対岸の火事ではなくなった。


狂牛病は、悪名高い「プリオン」と呼ばれるタンパク質によって感染する。遺伝子がないのに
自己増殖する不可解で不気味な病原体だ。放射能を照射しても生き延びる。
高熱炉で焼き、灰になっても死なない。ほとんど不死身だ。
手術器具に高圧熱蒸気照射をしても生き延び、英国では潜伏期間中の新ヤコブ病患者を、
それと知らずに手術したことによる病院での感染拡大騒動も起きたという。

感染力も侮れず、病原体に汚染された肉を1グラム食べても感染するといわれる。
英国では、70万頭以上の感染牛が国民の胃袋に入ったと推定され、
まだ今後、どれだけの患者が発生するか予断を許さない。

この恐るべき感染病が生まれてきた背景には、人間のエゴによって人工成長ホルモン
を乱用してきた現代畜産業のすさんだ実態がある。1頭の牛から何倍もの乳をしぼり出
そうと、先進国の畜産業者は大量の成長ホルモンを牛たちに投与する。寿命を何分の1
にも縮め、何倍もの乳をしぼり出すような不自然で苛酷な状況に絶えるため、牛たちには
濃厚な飼料が必要となった。

そこで、本来は草をはむ動物である牛たちに、
廃棄された動物の肉や骨から作られた飼料が
あてがわれるようになった。

「肉骨粉」である。


そうやって人間が牛たちに、「牛が牛を食らう」という自然の摂理に反した
「共食い」のタブーを強要したところから、「狂」のつく病が生まれてきた。


狂牛病について興味深いことのひとつに、それが一種の「老化病」だということがある。
牛の寿命を縮め、「成長」=「老化」を強引に進めたことから、めぐりめぐって、新ヤコブ
病という強烈な人間の「痴呆」=「老化」の病を招いたとすれば、実にできすぎた皮肉ではないか。



#2 肉食文化を見直す時代

狂牛病は、そうした畜産業のゆがんだ実態に対する警鐘であると同時に、
視点を広げれば、人間の食文化の見直しを迫る時代的メッセージとも受け取れる。

狂牛病騒動とあいまって、肉食が人間の健康にとって問題だという認識が欧米でも広まっているそうだ。
以前から、肉を食べるほど、ガンを発病するリスクが高いことなどが疫学的調査などで明らかにされて
きているというが、ようやくそうした警鐘に耳を傾ける空気になってきた。

人間は元来、穀物菜食をベースにして生きるようにできており、肉はスムーズに消化されず、腸内に
滞って腐りやすい。そこから生まれた毒素が体内をめぐり、病気のもとをつくり出す。

「腐」という文字を見てみよう。上と下に分ければ「府」と「肉」になる。
「府」はすなわち「腑」で、内臓のこと。
つまり、肉と内臓が合わさった時に「腐る」という状態が起きるのだという教訓を、この文字は伝えている。

狂牛病騒動によって少し目が覚めたところで、そろそろ世の中は、
不自然な肉食文化からナチュラルな穀物菜食文化への転換を図るべき時期に来ているのではないだろうか。


その大きな流れの中で、
桜沢如一や久司道夫といった先駆者たちが米国に渡って広めた「マクロビオティック」と呼ばれる
穀物菜食をベースにした食養理論は注目に値する。

それは、古いギリシャ語で「自然に即した生活」「健康と長寿を確立する生き方」
を意味する「マクロビオス」という言葉に由来している。

何だか近づきがたい理論のようだが、基本原則は明解だ。
「食べ物の陰と陽のバランスを取る」
「一つのものを丸ごと食べる(一物全体)
「その土地で獲れたものを食べる(身土不二=しんどふじ)」など。
いわばベジタリアンの基礎哲学のようなものだ。

西洋のベジタリアンの元祖は、かのピタゴラスだとか。
劇作家のバーナード・ショーもそうだったらしい。
ジョン・レノン、ジョン・デンバーといった人たちも実践者としてよく名前が上がる。
日本では法華経を信奉した人間芸術家・宮沢賢治が、ベジタリアンの意義を深く悟った人だった。


日本よりもむしろ海外で高い評価を受けているマクロビオティックは、単なる食養理論にとどまらず、
5つのステップを描くスケールの大きい世界変革理論でもある。


第1のステップは、オーガニック(有機)農業を世界に広めること
第2のステップは、エネルギー産業革命を起こすこと
第3のステップは、世界連邦政府づくり
第4のステップは、霊性を高めること
第5のステップは、宇宙の秩序をつかむこと


その階段をのぼり、やがて光り輝く「太陽文明」をつくりあげようと提唱する。
今、われわれは第1、第2のステップあたりをさまよっているところだろうか。
まだまだやることは山ほどある。


「食」を変えることが、世界変革につながる・・
たぶん、そう聞いてピンと来る人は、かなり少数派に違いない。
僕とても、そう確信したのは、ごく最近で、
しかも自分自身の体の変調から、ウンもスンもない状況に追い込まれたからという情けない理由による。
ただ、実際にそう気づいてみると、これは実に新鮮な発見だった。


久司道夫氏は、その著述の中で、肉をはじめとする動物性食品が増えるにつれ、アメリカなどにガンや心
臓病、アレルギー疾患が多くなってきたことを実証的に指摘。また、「マクロビオティック食」で刑務所の服
役囚たちの性格がすっかり変わってしまった事例なども挙げ、犯罪や青少年の心の荒廃などの背景にも
「食」の問題が横たわることを説いている。

「われわれが肉食をしているうちは、世の中の戦争が絶えることはなかろう」とは、
先に挙げたバーナード・ショーの言葉だ。

食文化の変革は、世の中の支柱を、男性原理から女性原理に大転換する土台ともいえよう。


とはいえ、何ごとも教条主義に陥るのはよくない。
人間には当然、心身に個人差もあり、場所による文化や風土の違いもある。
どこまで動物性食品を抑えるかは、原理原則を理解した上で個々に判断すればよく、
あまりかたくなになるのも問題だろう。




#3 大いなる異端学説

ここで千島学説と呼ばれる、まだ一般にはあまり知られていない画期的な医学生物関係の理論に目を向
けたい。岐阜大学教授を務めた故・千島喜久男博士(1899〜1978)が、頑迷な学会の権威とたたかい
ながら唱え続けた画期的な学説だ。あまりの革新性ゆえに、いまだ現代科学の世界では認められていな
いが、目に曇りのない医師らの間で評価は高まっている。

そのポイントの一つは人間の造血作用に関するもの。今の定説は「人間の血液は、骨髄(骨の中にある組
織)でつくられる」とする。だが、千島氏は「血液は、腸でつくられる」と説いた。わたしたちが日々、食べる
ものが腸で消化され、そこで血液になる。そして、その血液が細胞に変化して肉体をつくるという学説だ。

「血液は、腸でつくられる」と初めて聞くと、かなり違和感を覚える人も多いかもしれない。だが、これは千島
氏が顕微鏡で観察したもので、机上で描いた空論ではない。また、同様の説を唱える一級の学者はほか
にもいる。素人があらためて直感的に考えても、「食べたものが、ストレートに血液になる」というのは、むし
ろ自然な感じがしないだろうか。

「食べ物が、そのまま腸で血液に変わり、細胞になる」。
ここにおいて、「食」の大切さが科学理論的に導かれ、
耳慣れた「医食同源」という言葉の真相が浮かび上がってくる。

ガンなどの病気も、すべて血液の汚れから引き起こされると、千島氏は説いた。
ゆきすぎた肉食などで汚れた血液が、体のいろいろな部分に滞留し、
炎症を起こして、さまざまな病名がつけられる。
そうした炎症の極端なものが、ガンだとされる。


千島氏の理論を展開することで、ガンの持つ重要な役割も分かってきた。
すなわち、ガンとはつまり人間の体の「浄血装置」だという説が唱えられている。

血液があまりにも汚れ、そのままにしておくと命が危険になる・・・
そんな状態に陥った時、人間の体はガン腫瘍をつくることで、血液の汚れがそれ以上に進むのを食い止める。
そのことにより、ほっておいたら数日でなくなる生命に、しばらくの「猶予」が与えられる。

ここまでの理屈をはっきりとつかんだ時、
「ガンになったことは、ありがたい」という
今までなら考えられないような常識外れの解釈が、徐々に真実味を帯びてくる。


一般の病気で、
自然治癒力を引き出すかなめは「病はすべて、よくなるための変化である」と理解することだ。

風邪も、下痢も、あるいは皮膚病なども、
その本質は体内にたまった汚い毒素を体外に排出するクリーニング作用であり、
あとはただひたすら感謝しながら、少しばかり我慢をして、いかにうまく排出するかに心を配ればいい。
だから、その作用を強引に止めてしまう薬は、なるべく使わないのが賢明となる。

だが、こと相手がやっかいなガンとなると「話は別」と考えがちだ。
ところが、この千島学説は、その壁を乗り越え、新たな真正医学の道に達する可能性を示してくれた。

「猶予」の期間中に、穀物菜食などの実践などによって血液をきれいに変えることができれば、
ガンという「浄血装置」も存在理由を失う。すると、ガン腫瘍の自然退縮・・という奇跡も起こりうるわけだ。

また、千島学説の重要なポイントのひとつに、
「少食や断食によって体を一時的に飢餓状態に置くことで、細胞が血液に逆戻りする」というのがある。
そして、そうした体の状態においては、「ガン細胞さえも、血液に逆戻りする」としている。

もし、本当なら、その意味は、とてつもなく大きい。
ガンという非常にやっかいな病気の治癒の核心に迫ると言ってもよいだろう。


現実に優れた指導者のいる断食道場などでは、ガンが自然治癒するケースが見られるようだが、
それがなぜ、どのようなメカニズムによって起きるのかがこれで明らかになりそうだ。

断食は昔から、精神面、肉対面に大きな効果をもたらす実践術として知られるが、
その病気治癒的側面に科学的な支柱が得られたことは、たいへんな福音と言っていい。
断食の成否の分かれ目は、「心の安定」にある。ものごとの合理性にこだわる現代人が、
それをつかむうえで、科学的な理屈が分かっているかどうかは、天と地ほどの開きがあるからだ。



#4 カムナガラの叡智

古い伝説によれば、太古の昔、人類は大宇宙の法則に乗り、天の意のままに生きていたという。
いわゆる「エデンの園」の時代。
日本では、「惟神(カムナガラ)」の時代と呼ぶ。
人々には病もなく、争いもなく、大いなる調和の中に暮らしていた。

その「カムナガラ」の時代の法則や知恵を、現代版のプラグマティズムとしてよみがえらせること。
それこそが今、切実に求められている。

だれもが幸せに至るため、すべてがよくなるためのプラグマティズム=行法。
それを踏み行いさえすれば、
まるで太陽の光のように、すべの人に分け隔てなく、あたたかな恵みが与えられる。

「カムナガラ」の行法は、決して難しいものではない。
この世の中の本物は、すべてシンプルで、分かりやすく、
お金がかからず、だれにでもできるものだ。

最も基本的な行法としては、
これまで掘り下げてきた「食」のほかに、「息」、「動」、「想」の四つが重要な柱であるようだ。

「食」・・正しい飲食(及び、断食の上手な活用)。
「息」・・腹式丹田呼吸。
「動」・・運動(最も簡単で有用のは、歩くこと)。
「想」・・感謝と、(光をみる)瞑想。

そして、ここにもうひとつ、宇宙の真中心へと向かう意志を加えよう。
その意志のエネルギーを中心に、4つの行法を結ぶと、ちょうどピラミッドのイメージができる。

すなわち、これらがバランスよく組み合わさった時に、「カムナガラの道」は完璧となる。


21世紀は、個人が、世の中が、「全体性」をどう取り戻すかが最重要課題となる。
バラバラだったものがひとつになる。その回復の道筋で、かなめとなるのは霊性であろう。
だが、たぶん霊的な要素ばかりに頼っていると、いつかはゆきづまると思われる。
真のスピリチュアルリーダーは、そのことを、きっと自覚しているはずだ。


「カムナガラの道」を悠々と歩き、大きな峠を越え切った時、
見はるかす空には美しい虹が架かり、「完璧」という名の太陽が、燦然と輝いていることだろう。


                                       〜紫の乙女に、感謝を込めて
                                                 2002・3・1


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