「ひまわり号」とは


 車椅子の通れない改札口、階段が多く障害者の利用できるトイレのない駅や、列車の構造などで、障害がある人たちが自由に列車に乗って旅が出来ないという現状のなか「列車に乗ってみたい」「旅をしたい」という障害者の切実な願いを実現させようと専用列車を走らせたのが「ひまわり号」運動の始まりでした。

 1982年11月3日、史上初めての障害者専用列車「ひまわり号」が上野駅(東京都)~日光駅(栃木県)の間を走りました。このことは、全国的に大きな反響を呼び、そして、翌年1983年には、東京都(2)、千葉県、群馬県、京都府、広島県、愛媛県(2)、福岡県の全国9ヶ所でボランティアや障害者を含む4.300人を乗せて「ひまわり号」が走りました。 その後、「ひまわり号」は年々大きく全国各地に広がり、2000年には北海道から九州まで全国で68実行委員会が活動するようになりました。

 1991年11月3日には「ひまわり号」が走り始めてから10年を記念して全国の仲間が一同に会する集会として、「ひまわり号10周年記念祭典」をディズニーランドのすぐそばにある「東京ベイNKホール」に4.000人を超す北海道から九州までのひまわり号の仲間が色々な交通機関を利用して集合しました。この集会を成功させたことにより、社会的にも「ひまわり号」の運動が今まで以上に多くの人々に知られるようになりました。そして、多様な交通機関で障害者や交通弱者に対する認識も広がり、いろんな方面で施設の改善や多くの人々の理解も深まり、障害者への対応の仕方などに大きな変化をあたえました。

 全国各地の「ひまわり号」の実行委員会があるところでは、「ひまわり号」が走ったことをきっかけにして、障害者も利用できるトイレの設置や、スロープの設置、改札口の改善がされたりして、地域における住民たちの障害者にたいする理解やボランティア活動への積極的参加がなされるなど、バリアフリーへの道が開け始めてきています。行政機関や企業などでも施設の改善や、利用しやすいように工夫するなど社会の仕組みの変化となって表れてきています。

 残念ながら現状では、すべての交通機関、施設などが改善されてはおらず、又、ひとびとが十分な理解と協力の体制ができているとは言い難い実態があるのも事実です。

 「障害者の要求実現」という視点から出発した「ひまわり号」運動は今、「障害がある、ないにかかわらず」本当の意味で、差別のない、対等平等の精神の確立と、施設の充実を目指して政府や地方自治体・企業にも積極的に働きかけ、すべての人が「いつでも、だれでも、どこへでも安心して利用できる交通のしくみ」と安心して住み続けられる「まちづくり」をめざして全国統一の運動として取り組んでいます。

全国統一運動としての「ひまわり号」

 「ひまわり号」は現在全国の統一した運動として、北は北海道から南は四国までの日本各地で活動しています。各地の実行委員会は地域の中での運動を大事にし、地域や置かれた環境によって、それぞれに独自の取り組みや、運動をしていますが、いつでも全国統一運動としての「ひまわり号」運動の意義を理解しながら活動をしています。

 各地の「ひまわり号」の実行委員会はお互いに列車の運行や、情報の交換、運動の支援などに連帯の意識をもって援助しあっています。

 全国連絡会では全国統一運動をすすめる上で、毎年1回、全国総会と全国交流会を同時開催しています、全国の仲間と1年間の活動の方針を決めたり、その年の「ひまわり号」の成果を持ち寄って経験交流を進めています。普段、同じ地域の仲間とは会う機会も多々ありますが、全国の仲間が一同に会するのは全国総会と全国交流会になります。ここでは全国の仲間の経験交流が盛んに行われています。


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