1997年1月
留学先の広西民族学院が冬休みに入るや否や、私は身の回りの物を留学生楼に預け、南寧火車站(駅)から貴陽(貴州省の省都)行き夜行列車の軟臥(1等寝台車)に乗り込んだ。
本当は硬臥(2等寝台車)が安くて良かったのだが、人気の高い硬臥の切符は既に売り切れで、この寒い中、硬くて直立した背もたれの硬座(2等座席車)に揺られて貴陽まで行く根性の無い私は、あっさりと大枚はたいて軟臥のチケットを購入したのだ。
なにしろ軟臥には初めて乗るので、多少緊張していた。中国で軟臥に乗るのは、かなり地位の高い人か、かなり金を持っている人だと聞いている。
いったい、どんな人達が乗っているのだろう?
少しどきどきしながら、自分のコンパートメント(軟臥は4人で1コンパートメント。部屋の両側に、2段ベッドが2つある)のドアを開ける。
中には、1組の老夫婦とその孫とおぼしき3、4歳と見える女の子がいた。
「ニイ ハオ」

と、かるく挨拶だけして、自分のベッドによじ登る(指定席です)。
しばらくすると、若い男女のカップルが入ってきた。どうやら乗って行くのは女の子だけで、男性の方は見送りに来たようだ。しばらく何やら話していて、男性の方は列車から降りていった。
暖房の効いた一等車は快適で、その日は早々に眠りについた。
翌日、朝食を食べてから何となく同じコンパートメントの人達と話をすることになった。 老夫婦のご婦人の方が、こういう時の常套句「どこから来たの?」という質問を、私に向かって投げかけて来た。
「日本から来ました。」
というと、不思議そうな顔をされたので、今度は
「私は日本人です。」
と言ったら、急にうれしそうな顔になり、孫娘(?)に向かって、
「わあ、このお兄さん(叔叔と言っていたが、ここではお兄さんと訳す・・・いいの!)日本人なんだって。」
と、いうような事を言っていた。すると、孫娘の方も、ニコニコと無邪気な笑顔で私に話し掛けてきた。そして一言、出て来た言葉が、
「日本鬼子(リーベン グイズ)」
・・・・・。

日本鬼子(リーベングイズ)というのは、日中戦争(中国風にいうと抗日戦争)中に使われていた日本人に対する蔑称で、英語では「Jap」と訳されるようだが、むしろ第二次大戦中に日本人が英米人に対して使っていた「鬼畜米英」という言葉を例に取ったほうがニュアンスが伝わり易いだろう。
流石に、現在の中国社会において、日本人に向かってこの言葉が投げつけらることは滅多に無い(皆無ではないが)。
ただし、抗日戦争を描いた映画(また、これがやたらに多い)の中では、割と頻繁に使われるようで、たぶんこの女の子も、そういう映画やテレビの番組を見て言葉を覚えたのであろう。ニコニコ笑っている女の子は、どうみても悪意を持って言ったのでなく、単に「日本人」と聞いて、「自分の知っている日本人についての言葉をしゃべってみただけ」としか思えない。
それはそれで、かなり深刻な問題だとおっしゃる人もいるだろうし、実際その通りだと思わないこともないのだが、生来ことなかれ主義を信条としている私としては、ここで彼らと口論を始めるつもりなど毛頭ない。気を取りなおすと、
「是阿、鬼子来了〜(そうだよ、鬼子が来たぞ〜)」
などと言って女の子をからかい、きゃあきゃあ言わせて面白がっていた。
しかし、気の毒だったのは彼女のおばあさんだ。見るからに善人そうな彼女にとって、自分の孫娘が外国からの大切な客人(中国の人の中には、本当にそう思ってくれている人々が少なからずいる)にとんでもない暴言を吐いただけでも一大事だったろうに、その相手が、その言葉の意味を知っていて、妙な対応を取り出したものだから、かなり慌ててしまっているようだった。
孫娘に向かって、
「不不不・・・這个叔叔是好人口巴!(違う違う、このお兄さんは良い人でしょう!)」
と必死に言っている姿は、こちらが申し訳なくなるくらいだった。
それを見ていた同室の若い女性が、
「あなた、日本鬼子の意味知ってるの?」
と聞いてきたので、
「ああ、知ってるよ。」
と答えると、彼女はケラケラと笑い出し、
「笑死了!(笑い死にしそう〜!)」
と、尚もケタケタと笑い続ける。おじいさんはと見ると、何だか遠くを見つめる目つきでぼんやりしていた。
あくまで無邪気にニコニコしている幼女と、おろおろし続けている老女、なかなか笑い止まないうら若い女性、遠くを見つめてどっかに行ってしまっているじいさんと事ここに至って、どういう対処をすれば良いのか混乱してしまった日本人を乗せて、列車は貴陽に向かってひた走る・・・



おしまい