本文・注とも主なものにとどめる。
年 | 陳寿『三国志』・魏書武帝紀より | 本文への裴松之の注 | ||
214年 建安十九年 (60歳) |
春正月、公は初めて籍田を耕した。 南安の趙衢(ちょう・く)、漢陽の尹奉らが馬超を討伐、 その妻子の首をさらす。馬超は漢中へ逃亡。 韓遂は金城に移り、テイ族の王・千万の部落に入り、 羌族の一万余騎を率いて夏侯淵と戦う。 夏侯淵はこれを大いに破り、韓遂は西平に遁走。 夏侯淵は諸将とともに興国を攻め、これをほふった。 安東・永陽の両郡を設置。 安定太守の 毌丘興(かんきゅうこう)が 任地に赴こうとした時、公は注意を与えて、 こちらから羌族へ人を派遣すればその者が自己の利益をはかろうとするから、 向こうから派遣してくるのを待つようにと言ったが、彼はそうせず、 羌族へ派遣された范陵は彼らをそそのかして、 自分を属国都尉に任命せよと要求させた。 三月、天子は魏公の位を諸侯王の上に置き、 金璽・赤フツ(璽につける赤いひも)・遠遊冠を授けた。 秋七月、公は孫権を征討した。 隴西の宋建という者が河首平漢王と称し、抱罕に軍勢を集結し、 改元し百官を設置し三十年を経過していた。 これを討つため夏侯淵を興国から向かわせる。 冬十月、抱罕は陥落。宋建を斬り、涼州は平定された。 公は合肥から帰途についた。 十一月、漢の皇后伏氏が父の伏完に送った手紙が発覚。 それには、帝が董承の処刑の件で公に恨みを抱いているなどと書かれていた。 伏皇后は后位を廃されて死に、兄弟皆処刑された。 十二月、公は孟津に到着。 天子は公に旄頭(天子の旗につける飾り)をつけ、 宮殿には鐘虚(鐘を吊り下げる台)を設けることを許可。 十九日、公は布告を出した。 所管の役人は才能ある人物をその短所にかかわらず評価すること、 軍中の裁判に関する職責を設置すること、がその内容。 後者に対して、理曹掾属を設置。 |
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215年 建安二十年 |
春正月、天子は公の真ん中の娘を立てて皇后とした。 雲中・定襄・五原・朔方の四郡を置き、 各郡は一つの県を設置してその住民を管轄、四県を合わせて新興郡とした。 三月、公は張魯征討のため征西。 陳倉に到着、武都からテイ(氏の下に一)へと入ろうとしたが、 テイ人らが道をふさいだため張[合β]・朱霊らを派遣、これを打ち破る。 夏四月、公は陳倉から散関に出て河地に到達。 テイ族の王・竇茂は一万余人の兵を有し、険阻をたのんで服従せず。 五月、公はこれを攻撃して陥落させた。 西平・金城を占拠する将軍、麹演(きくえん。キクは代字)・蒋石らは、 協力して韓遂の首を斬り、送ってよこした。 秋七月、公は陽平に到達。 張魯は弟の張衛と将軍陽昂らを陽平関に立て籠もらせる。 山を横切って十余里にわたり城を築いており、公は攻撃したがこれを陥とせず、 いったん軍を引いた。賊はそれを見てその守備を解いた。 公は密かに解ヒョウ(りっしんべん+剽)・高祚らに険山を登らせて夜襲させ、 これを大いに撃破。楊任を斬り、進撃して張衛を攻めた。 張衛は敗走、張魯は巴中へ逃亡した。 公の軍は南鄭に入城、張魯の倉の財宝を押収した。 巴と漢はすべて降伏。 漢寧郡を再び漢中郡とし、 漢中郡より安陽・西城の両県を分けて西城郡として太守を置き、 錫と上庸の両県を分けて上庸郡とし、都尉を置いた。 八月、孫権が合肥を包囲。張遼・李典に彼を攻撃させ、打ち破った。 九月、巴の七豪族のうち蛮王の朴胡(ふこ)と ソウ(宗の下に貝)邑侯の杜コ(とこ。コはさんずい、くさかんむりに隻)は 巴の蛮人とソウの住民を率いて帰順してきた。 そこで巴郡を分割、朴胡を巴東の太守に、杜コを巴西の太守とし、 いずれも列侯にとりたてた。 天子は、公に独断で諸侯・太守・国相を任命する権限を与えた。 冬十月、はじめて名号候(実封のない名称だけの侯)から 五大夫までの爵位を設け、旧来の列侯・関内侯と合わせて六等級とし、 それによって戦功を賞した。 十一月、張魯が残存の兵とともに巴中から投降。 張魯とその五人の子らをすべて列侯にとりたてる。 劉備が劉璋を襲撃して益州を奪い取り、巴中を占領した。 張[合β]を派遣してこれを討たせる。 十二月、公は南鄭から帰途につき、夏侯淵を漢中に残して駐屯させた。 |
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216年 建安二十一年 |
春二月、公は[業β]に帰還。 三月三日、籍田を耕す。 夏五月、天子は公の爵位を昇進させて魏王とした。 代郡の烏丸族の行単于(単于代行)普富盧がその配下の侯王とともに来朝。 天子は魏王の娘を公主と呼び、湯沐の邑(化粧料としての領地)を 与えることを許した。 秋七月、匈奴の南単于・呼廚泉がその配下の名王を引き連れ来朝。 賓客の礼をもって待遇しそのまま魏に引きとめ、 右賢王の去卑にその国を取り仕切らせた。 八月、大理の鍾ヨウを相国とする。 冬十月、兵の観閲を行い、孫権征討に赴く。 十一月、[言焦]に到着。 |