2.ルネッサンス情熱


福原ありす:

ここはルネサンス時代の音楽について。
芸術はイタリアがリードしたけど、
音楽は、ブルゴーニュ、フランドル地方(オランダ、ベルギー)にて
発達、各地に広まっていった。

と、とりあえずやっつけで。もーちょっと補足するよ。

*むかしむかし〜
アルス・ノヴァ
*ルネサンス *バロック音楽・1 *バロック音楽・2 *ヘンデル *バッハ
*古典派 *ロマン派 *メンデルスゾーン *そして近代へ。



*ネーデルランド楽派 15世紀〜16世紀
 アルス・ノヴァはブルゴーニュ公国(ベルギーやオランダのあたり)に本拠を移し、ギヨーム・デュファイ(c.1400-1474)ジル・バンショワ(c.1400-1460)などを輩出した。彼らはブルゴーニュ楽派と呼ばれる。
 同時期、海の向こうのイングランドでは、ジョン・ダンスタブル(c.1380-1453)が優れた作品を多く残した。

 ブルゴーニュ公国が滅びるとその地はハプスブルク家の領地となったが、その地の繁栄は変わらず、音楽も発展を続けた。そして、「音楽の父」「オルフェウスの再来」と呼ばれたヨハネス・オケヘム(オケゲム、c.1410-1497)、その作品は「完全なる音楽」と称されたジョスカン・デプレ(c.1440-1521)「音楽の帝王」「天才オルランド」ことオルランド・ド・ラッスス(1532-1594)らが現れる。
 彼らはフランドル楽派と呼ばれ、欧州に優れた音楽家を輩出し続ける・・・んだけど、ここらへんになると有名人ばっかりで紹介しにくくなる・・・
 デュファイはモテット「薔薇の花が先ごろ」、オケヘムは現存最古のレクイエム、デプレは美しさ抜群の「ミサ・パンジェ・リングァ」が代表作かな。デプレは宗教改革者マルティン・ルターにより、
「他の音楽家たちは音に支配されているのに対し、ジョスカンのみは音を意のままに支配する」
と評されたそうだよ。その音楽は生前から欧州各地で愛唱されていたみたい。これは当時としては異例なことだったんだって。

 ルネサンス期は旋律の美しさと均整の取れた対位法の様式美が特徴で、とにかく聴いていて美しい。そのぶんメリハリや起伏が少ないのが弱点かも。その中、ラッススはイタリアなどの各地の様式を取り入れた刺激的な作品を好んで書いたみたい。そのため、教会での演奏禁止命令も出たらしい。
 彼はイタリアやドイツなどにも立ち寄って生涯に二千曲以上の作品を残し、教皇グレゴリウス13世からは「黄金拍車の騎士」勲章を受章した。ルネサンス音楽からバロック音楽への橋渡しをした一人、といえるかな。
 代表作、を挙げるのは難しいけれど、とりあえずまとまった作品では『ダヴィデ懺悔詩篇曲集』かな。
旧約聖書『詩篇』から、巨人ゴリアテをスリングで倒したことで知られるイスラエル二代目の王ダヴィデが神に懺悔するときに作った(とされる)詩の数々に曲をつけたもの。ラッススの、テキストを料理する融通無碍な才能が堪能できるんじゃないかな。ヒリヤード・アンサンブル盤でGo!
 彼は子供の頃聖歌隊にいたんだけど、ものすごい美声で有名で、そのために三度も誘拐されたらしいよ。

 近年はブルゴーニュ楽派・フランドル楽派を総称して、「ネーデルランド楽派」という。

*フランス・シャンソン 16世紀
 そのころフランスでは、中世吟遊詩人の歌曲の後継に当たる世俗歌「シャンソン」が花盛り。
イングランドとの百年戦争も終わり、フランソワ一世のもと国力も回復し、人々の心にも余裕と明るさが戻ってきていた時代、
市民階級を中心に、明るく伸びやかで開放的な音楽が広まった。その中で活躍した作曲家で最も有名なのが、
クレマン・ジャヌカン(c.1485-1558)。
フランドル楽派のデュファイらのマジメな?シャンソンに比べ、
バリバリに世俗的で猥雑さも多分に含んだ愉しすぎるポリフォニー・シャンソンを作りまくった。
でもフランス語訳詩篇や宗教的シャンソン、ミサ曲も作ってる。
前者は、さまざまな鳥の声を模倣して歌う「鳥の歌」「戦争」、後者はミサ曲「戦争」(自作シャンソンの旋律使用)などが有名。
聴くなら、もちろんドミニク・ヴィスさま率いるアンサンブル・クレマン・ジャヌカンだね!ヴィス様飛ばしまくりでもう最高! 

*ローマ楽派 16世紀
 フランドル楽派は各地に伝播したけど、その火花はイタリアで光を放つ。
その光輝の名は、ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ(c.1525-1594)。
彼はパレストリーナの町に生まれ、ローマに出てサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の聖歌隊員となり、
それから故郷に帰って教会のオルガニストに。その後、再びローマに戻り、教皇庁サン・ピエトロ大聖堂のジュリア礼拝堂楽長に就任。
その後教皇の代替わりごとに職を失い転々としたが、最終的にジュリア礼拝堂楽長に復帰し、死ぬまでその職を全うした。
 彼の作品はすべて声楽曲で、ほとんどがア・カペラ。仕事柄ほぼ宗教曲だけど、一時エステ家に仕えていたときに世俗曲も若干作曲。
その作品はルネサンス様式の集大成と呼べるもので、とにかく静謐で流麗。その完璧なる対位法が生み出す響きの美しさはたとえようもない。
そのスタイルは「パレストリーナ様式」と呼ばれ、後に続く「ローマ楽派」の代名詞となった。
 彼のスタイルは当時の「反宗教改革」の波にぴったり合った守旧的で穏当なものだったため、
彼は必要以上に持ち上げられ、シンボル的な扱いを受けた。そのため生前からカトリック世界では絶大な人気を誇り、
彼の葬儀に際してはローマのすべての聖歌隊が参加したといわれている。
 いわゆる「スターシステム」に乗せられた作曲家、なのかな。でももちろんそれが彼の音楽の魅力を損なうことはないけれどね。
有名な『教皇マルチェルスのミサ』は、当局から依頼されて書いた制約バリバリの作品のため、イマイチ面白くない。
とりあえず『ミサ・アスンプタ・エスト・マリア』あたり聴いてみてはどうかな?タリス・スコラーズ盤(ギメル・レーベル)で。
よく演奏される小品『バビロンの川のほとりで』もいい曲。プロ・カンツィオーネ・アンティクヮ盤が国内盤(アルヒーフ・レーベル)であるから探してみて。

 

*ヴェネツィア楽派 16世紀
 パレストリーナに代表される「ローマ楽派」に対し、水の都・ヴェネツィア共和国では「ヴェネツィア楽派」が隆盛。
こちらは静謐アカペラなんてくそくらえのド派手な作風が特徴。
 その始まりはフランドル出身のアドリアン・ウィラールト(c.1490-1562)。彼がヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂楽長に就任し、
2つのオルガンと合唱席が互いに向かい合っている大聖堂の特殊な造りを最大限に活かす「二重合唱」スタイルを確立したといわれる。
左翼からオルガンごと合唱!右翼からオルガンごと合唱!
そのふたつの合唱の間に生じるハモり状態の圧倒的壮麗空間は

まさに洪水的音響の小宇宙!
その後アンドレア・ガブリエーリ(c.1510-1607)とその甥のジョヴァンニ・ガブリエーリ(c.1555-1613)らにより、それは発展していった。
ガブリエーリといえば反射的に金管楽器の壮麗な響きが脳裏に響く人も多いと思うけど、ヴェネツィアでは器楽演奏が飛躍的に発展。
この時代、楽器の改良が進み、複雑な奏法も可能になった。ヴェネツィアはこれをいち早く取り入れたんだね。
器楽演奏が発達したということは、演奏者も増えるということで、そうなれば必然的に和声法も発展する。
対位法から和声法へ・・・これがバロック音楽への架け橋となる。



*イングランド、スペイン 16世紀
 この頃、イングランドではウィリアム・バード、スペインではトマス・ルイス・デ・ビクトリアらが活躍。
バードは、これも有名なトマス・タリスの弟子。英国国教会のエリザベス女王お抱えでありながらカトリック信者であったという大胆なひと。
『三声のミサ』、『四声のミサ』が有名。師のタリスは『エレミヤ哀歌』が有名ね。タリス・スコラーズで聴くのがお手軽お薦めかな?
ビクトリアは、フェリペ二世の庇護を受け、生涯宗教曲を書き続けた。イタリアでパレストリーナに学んだ可能性もあるらしい。
ローマ楽派の様式を学びながらも、スペイン人らしい情熱を曲に込めた独特の作風をもつ。
『ミサ・オ・マーニュム・ミステリウム』が有名。




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