サンフレッチェ広島DF18・トニー・ポポヴィッチ |
||
今までありがとう、ポパ! |
私たちはあなたのことを忘れない!
|
|
ポパが加入して4年半。 彼が入ってきたころは、チームは成績の不振や主力の大量離脱のためボロボロだった。 ポパはその中、秀でたフィジカルと優れた戦術眼で、リベロとしてサンフを最後尾から支えてくれた。 その重要度は、彼が負傷でもして出場できない試合のサンフの勝率を見れば明らかだった。 彼なしで勝った試合を思い出すことは困難を極める。 ちなみに、私は思い出せない。 チームが上向くと同時に、サンフの守備陣はリーグ屈指と呼ばれるまでになったが、 その中心は言うまでもなくポパだった。 代表のトルシエ監督にも、横浜VS広島の試合を観戦した際、 「広島のリベロをうちの代表にほしい。他の選手はたいしたことがなかった」 と言わしめた。ちなみに横浜のリベロは今の日本代表にも名を連ねているのだが・・・ 2000年元旦、サンフは国立で天皇杯の決勝を戦った。 ポパもそのピッチに立ち、名古屋を相手に奮戦、前半を終わって0−0。 しかし、負傷のためポパはカズとともに交代を余儀なくされる。 後半、サンフはピクシーの華麗なるプレイの前に2点を失い、準優勝に終わったが、 彼が90分ピッチに立っていたら、試合の帰趨は確実に変わっていただろう。 守るだけではなく、劣勢時には中盤に上がってパスをさばき、 時にはゴール前にオーバーラップして豪快なヘッドをゴールに突き刺す。 その姿を見て魂をふるわせなかった者はいない。 チームの信頼の証であるPKキッカーも務めた彼は、 久保とともにトムソン時代のサンフの象徴だったと言っても過言ではないだろう。 できるなら、いつまでもサンフにいてほしいが、 彼の決めたことをどうこう言うことはできない。 新天地(ダービー・カウンティ?)でも、その姿はきっとサポーターの心をつかむに違いない。 グッドラック、ポパ! 来年、オーストラリア代表としてW杯で会おう! (今年8月15日には代表として来てくれるか? ていうか、7月20日の浦和戦には最後の挨拶にきてほしい!) 『サンフレ絶対至上主義』さんのところのパクリみたいになってしまった。 でも、思いは同じ、ということで、なにとぞご容赦の程を・・・ |