アイブラーのレクイエム


アイブラーといえば、モーツァルトの未完のレクイエムを完成させるべくコンスタンツェが補筆完成を依頼した人物。アイブラーはセクエンツィアの途中までオーケストレーションを補筆したものの、セクエンツィアのラストとサンクトゥスより後は新たに作曲しないといけない、という難事業を前にお手上げとなり、断念してしまった。結局それはジュスマイヤーによって完成するのだが、アイブラーの仕事もそれなりに評価され、H.C.ロビンズ・ランドン版などに取り入れられている。

ヨーゼフ・レオポルト・アイブラーは1765年にウィーン近郊で生まれ、長ずると聖シュテファン大聖堂のカペルマイスターであるアルブレヒツベルガーに教えを受け、ウィーンの音楽界で活躍した。モーツァルトやハイドンらの親友であっただけでなく、時の権力者からも気に入られ、女帝マリア・テレジアなどにはことのほか重用された。1804年には彼女の意向により、時の宮廷音楽長アントニオ・サリエーリのアシスタントに任命され、1824年にサリエーリが宮廷作曲家の地位を退くと、彼は皇帝フランツ1世によってその後任に指名された。その勢いは「エードラー・フォン・アイブラー(アイブラー公)」とあだ名されるほどとなったが、その輝かしい経歴はしかし、突然に終わりを告げる。1833年、演奏中に突如発作を起こしたアイブラーは職務を続けることができなくなってしまったのだ。そして1846年、彼は亡くなった。彼が倒れたときに演奏していたのは、かつて補筆完成を依頼されたモーツァルトのレクイエムだったという。
彼は宮廷に仕えてウィーンの音楽界をリードし、またオペラや室内楽曲、交響曲、宗教曲などを作曲したが、現在彼の作品を知る機会は絶望的にないといっていい。彼の名前が話題にのぼるのも、彼の人となりや作品についてではなく、ほぼモーツァルトのレクイエムがらみの時だけである。

彼はモーツァルトのレクイエムを完成することはなかったが、1803年、皇帝レオポルト2世を記念するミサのために自前でレクイエムを作曲している(レクイエムの正式名称は「死者のためのミサ曲」。入祭唱のテクストの最初の単語が「レクイエム【安息を】」で始まることから俗にそう呼ばれる)。彼の師アルブレヒツベルガーや彼と同時代のハイドン、モーツァルトのスタイルを思わせる、ダブルコーラス、多彩な管楽器の起用が特徴の曲となっている。

I.イントロイトゥス(入祭唱)とキリエ

1.レクイエム(永遠の安息を) [ソロ、コーラス(4部)]
2.キリエ [ソロ、コーラス(4部)]

ハ短調のしめやかな出だし。詩篇の語句を借りる「シオンにて御身に賛歌を捧ぐるは」ではテンポを速めて流れるような対位法を聴かせる。最初のテクストが繰り返される段になると再び落ち着き、ソリストたちが入ってくる。そしてコーラスとソリストたちが呼び交わすようにキリエが歌われる。

II.セクエンツィア(続唱)

1.ディエス・イレ(その日は怒りの日) [コーラス(8部)、バス]
2.モルス・ストゥーペビット(死と生とは驚くだろう) [コーラス(8部)]
3.リーベル・スクリプトゥス(書物が差し出される) [アルト、バス、コーラス(4部)]
4.レコルダーレ(憶えたまえ) [ソプラノ、テノール、バス、コーラス(4部)]
5.コンフターティス(呪われた者たちが) [コーラス(8部)]
6.ヴォーカ・メ(われを呼びたまえ) [コーラス(8部)]
7.ラクリモーサ(その日は涙の日) [テノール、コーラス(4部)]

管楽器の轟く中、ダブル・コーラスが「その日は怒りの日・・・」と激しく歌いだす。「いかなる戦きあらん」では皆が声をひそめ、だんだんクレッシェンド、バス・ソロが管楽器に導かれ「妙なるラッパが・・・」とつなぎ、恐れに満ちた面持ちのコーラスが引き継ぐ。それからアルトとバス・ソロが裁きの不安を歌い、合唱が「大いなる御稜威の王よ」と許しを請う。レコルダーレは、ソロ−コーラス−ソロ−コーラス・・・という形式。「呪われた者たちが」はモーツァルトと同じく激しく切り込み、ダブル・コーラスが互いに呼び交わすように最後の審判のさまを告げる。そして「われを呼びたまえ」では弱々しく消え入り、それを受けテノール・ソロが「その日は涙の日・・・」と歌い始める。「われを憐れみたまえ」からは合唱が引き継ぎ、フーガはなく「アーメン」1回で締められる。

III.オッフェルトリウム(奉献唱)

1.ドミネ・イェズ(主イエス・キリストよ) [ソロ、コーラス(4部)]
2.オスティアス(讃美のいけにえを) [ソロ、コーラス(4部)]

出だしはモーツァルトの同じところそのまんま。初めて聴いた時は「パクリじゃねーかー!」と大笑い。それ以降は、モーツァルトと比べるとずっとおとなしい表情。「アブラハムとその子孫に」のフーガも、モツさんやケルビーニに比べるとさすがにちょっと落ちる。出だしがあれだと、どうしても比べてしまうでございますよ。後半は四重唱で簡潔に歌われ、コーラスは再現フーガから入ってくる。

これが奉献唱の出だし。(声楽パートのみピアノで演奏)
いかがでしょうか。

IV.サンクトゥス [コーラス(4部)]

V.ベネディクトゥス [ソロ、コーラス(4部)]

サンクトゥスは短調で、非常にしめやか。オザンナのフーガも小規模で、あっさり終わる。ベネディクトゥスは四重唱で、コーラスがフーガを歌って締める。

VI.アニュス・デイとコンムニオ(聖体拝領唱)

1.アニュス・デイ(神の小羊)とルクス・エテルナ(永遠の光が) [ソロ、コーラス(4部)]
2.クム・サンクティス(御身の聖人たちとともに) [コーラス(4部)]>MIDIファイル(50kB、2分30秒)
3.レクイエム(永遠の安息が) [コーラス(4部)]
4.クム・サンクティス [コーラス(4部)]

「世の罪を除く神の小羊よ」とアルトが歌いだし、「彼らに安息を与えたまえ」とコーラスが続ける。同じようにテノール、コーラス、バス、コーラスと続き、それらを受けてソプラノが聖体拝領唱「永遠の光が彼らを照らしますように、主よ」と祈るように歌う。それに続いて力強く美しいフーガ「御身の聖人たちとともにとこしえに」が始まる。そのあとにイントロイトゥス冒頭のテクストと音楽が繰り返され、最後に「クム・サンクティス」のフーガが再現され、曲を締めくくる。
このフーガはちょっとハイドン色を感じるが、掛け値なしにかっこいい。モーツァルトのキリエ・フーガにも張り合える曲だ。モーツァルトの「クム・サンクティス」に(移調して)差し替えても遜色ないと思う。これを聴けただけでも、CD代の元は取れたと断言できる。

率直に言ってモーツァルトやケルビーニのレクイエムと比べるとやや印象度は薄いが、アニュス・デイ以降、ことに最後のフーガが素晴らしいので、私の中ではランクは高い。小結というところか。モーツァルトのレクイエムを完成できなかったアイブラーの、12年後に出した答えがこれだったのかも・・・

CDは、
レーベル:CPO
ヴォルフガング・ヘルビヒ指揮
アルスフェルト声楽アンサンブル、シュタイントール・バロック・ブレーメン
バルバラ・シュリック(S)、イゾルデ・アッセンハイマー(A)、
ハリー・ファン・ベルネ(T)、ハリー・ファン・デル・カンプ(B)
[CPO 999 234−2]

でした。


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