《メサイア》に行ってきましたよ。


全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。声を放って喜び歌え、ほめうたえ。
琴をもって主をほめうたえ。琴と歌の声をもってほめうたえ。
ラッパと角笛の音をもって王なる主の前に喜ばしき声をあげよ。
(詩篇98:4−6節))


2001(平成13)年12月22日(土曜日) 晴れ


 広島に住んでいると、声楽曲の演奏会なぞに行く機会はほとんどない。まずやらないからだ。よって関西にでも行くしかないのだが、ここでの問題は、日程がなかなか合わないこと。平日はもちろん行けない。土日に入っていても、こちらが用事があったりで諦める、ということが続いている。といっても今まで聴きに行った演奏会って、

*フィリップ・ピケット&ニュー・ロンドン・コンソート、キャサリン・ボット(ソプラノ)とデイヴィッド・トーマス(バス)
*エマ・カークビー(ソプラノ)、ヒロ・クロサキ(ヴァイオリン)&ウルリク・モルテンセン(チェンバロ)

くらい。
 でも今回は、大阪・いずみホールで行われる、バッハ・コレギウム・ジャパンによるジョージ・フリデリック・ヘンデルのオラトリオ《メサイア》HWV56だ。J.S.バッハの教会カンタータ全集録音、マタイ・ヨハネ受難曲、クリスマス・オラトリオなどで世界的に高い評価を得るこの団体の演奏!演目が年末ありがちな、ベタなネタでもある《メサイア》だが、BCJならば喜んで聴きに行きますとも。まだS席が残っていてよかったよ。22日はちょうど休みだし、朝早く起きて大阪をぶらぶらして、おもむろにいずみホールへ行って・・・と思っていたら、午前中に仕事が入ってしまった。No!

 正午までには終わる予定だったがこれが延びてしまい、急いで家に帰ったが、時はすでに12時45分。今から着替えても最寄の駅に来る一時間に一本の電車には間に合わない。前日チェックした時刻表では14時3分、16分の2本の福山発ひかりに乗らないと、焦りまくりながらのいずみホール到着になる。落ち着いて聴きたいので、なんとしてもこのどちらかに乗らなければならない。しゃーない、タクシーで行くか、3,000円くらいで福山まで行けるやろ、と思っていたら、母が、
「福山でついでに買い物するから送って行ったげようか?」
み言葉のとおりになさせたまえ。
 かくて母の車で福山駅へ。14時3分のひかりにゆっくり乗ることができた。
サー・アーサー・コナン・ドイルの『白衣の騎士団』を読んでいると、新大阪駅に到着。

 大阪駅に行き、ここで降りる。この日の宿をとると、みどりの窓口そばのコインロッカーに大きい荷物を放り込んだ。隣の区画のレストラン街が模様替えされていてちょっと驚く。2階のほうはインターネットカフェに改装されていた。後で行ってみよう。というわけで、環状線外回りで大阪城公園駅へ。
 駅に着くと、結構な人出になっている。大阪城ホールで河村隆一のコンサートがあるらしいが、そんなものはどうでもいい。
駅を出て、右手に見えるいずみホールへと向かう。

 開場は16時30分。ちょっと早かったので向かいのホテルの中をぶらぶらして時間をつぶし、16時20分過ぎにまた行ってみると開場していた。けっこう早く来た人が多かったみたいだ。入場してクロークにコートを預け、紅茶を飲んで一息つき、ホールに入る。すでに結構人が入っていた。ステージではチェンバロの調律が行われている。
パンフレットやチラシを読みながら時間をつぶす。それにしても暑い。暖房かけすぎです。セーターを脱ぐ。
両サイドに訳詞の出る電光掲示スタンド(ていうのかどうかは知らないが)が立っている。下手側2階席の端にも譜面台が立っていた。だれかあそこで演奏するらしい。
 パンフレットによると、今日の演奏は1753年上演版を基にしているらしい。ということはCDのものと一緒か?
 合唱は各パート5人の計20人。アルト・パートには、カウンターテナーが2人名を連ねていた。
 ソリストは、ソプラノにスザンヌ・リディーン、アルトに波多野睦美、テノールにヤン・コボウ、バスにステファン・マクラウド。
ソプラノは鈴木美登里さんでアルトはロビン・ブレイズがよかったなーとか、出演者に失礼なことを思っていると、オーケストラの面々が入ってきた。続いてコーラス、そして4人のソリストと指揮者の鈴木雅明さんが入ってきた。拍手が盛り上がる。さて、いよいよ始まりだ。

 BIS(日本ではロマネスカ)レーベルの録音では、まずバスのソリストによって、《メサイア》台本冒頭の“MAJOR CANAMUS”が朗読されていたが、今日もするのだろうか・・・
 と、ステファン・マクラウドがすっと進み出た。そして口を開く。
“And without controversy…” 
「確かに偉大なのは、この信心の奥義。
『キリストは肉において現れ、霊において義とせられ、御使いたちに見られ、諸国民の間に伝えられ、世界の中で信じられ、栄光のうちに天に上げられた』
彼のうちには知恵と知識の宝のいっさいが隠されている」
その最後の言葉「Knowledge知識」の言い終わりに重ねるように指揮者が腕を振り下ろした。荘重な序曲が始まる。
 CDでは、デイヴィッド・トーマスがcontroversy「コントローヴァスィ」と発音して、海外の批評で「正確なイングリッシュじゃないよ」と言われていたが、マクラウドはちゃんと
「コントロヴァースィ」

と発音していた。
CDでは、序曲からチェンバロがとにかくジャラジャラ鳴っていてカッコよかったが、今日は控えめだ。

 序曲が終わると、テノールのヤン・コボウが進み出た。
慰めよ、汝らわが民を慰めよ、と汝らの神は言われる・・・」
続いてアリア「すべての谷は高くされ」に入ったが、彼はとにかく表情が豊かというか大げさというか、身振りや表情をつけて歌っていく。ちょっとあざとい感じもないではないが、声は整っていてきれいだ。言葉にかなりの表情をつけて、時々発声をわざと崩したりするが、これはこれで楽しい。

 そして合唱「かくて主の栄光はあらわれ」。
ギャー、上手い!ソプラノもアルトもバスも、それに、こんなにテノールの上手い合唱団、今まで生で聴いたこと無いいッ!!!
とにかく声がクリアで濁りがない。器楽ともとけあっていて、全体でアンサンブルしている。
締めの“Hath spoken it”のところでは思わずのけぞった。凄いや!

 そしてバスのレチタティーヴォ「万軍の主かく言いたもう」
 マクラウドは昨年、全世界に中継されたバッハ・コレギウム・ジャパンの《ヨハネ受難曲》BWV245(第4版)でイエスとバスのアリアを歌っていた。その時彼は風邪をひいていたそうだが、それを感じさせない安定した歌唱を見せていた(時々咳をしていたが)。今回はその時に比べればずいぶん楽そうな顔をしていた。威圧感を感じさせない、柔らかく暖かみのある声が「shake揺り動かす」のメリスマを軽々と歌いきる。上手いなあ。でも、テクストからすれば、もうちょっと迫力がほしい気も。
 続いてアルトのアリア「されど彼の来る日に誰かよく耐えるをえんや」。波多野睦美さんが落ち着いたしっとりした声で歌っていく。カウンターテナーのクリアーな音色もいいが、こういうのもいいな。そして合唱「彼はレビの子らを清めん」

 アルトとバス、そして合唱によってキリスト降誕の予言が歌い継がれていく。合唱「われらにひとりの嬰児が」の中で、初めて「Prince of peace平和の君」という言葉が出てくるところ、ここはほぼスタッカートでしかもディミヌエンドしていく。CDで聴くかぎりではかなり軽やかな感じだったが、鈴木さんのここの指揮振りはかなり気合が入っていた。
 そして一息つき、田園シンフォニア。ここで2階席の戸が開き、トランペット奏者の島田俊雄さんと村田綾子さんが入ってきて例の譜面の前に立った。ああ、「天のいと高きところには神に栄光」の合唱で上からラッパを鳴らすって趣向か・・・でもだんだん眠くなってくる。
 ソプラノのレチタティーヴォ「羊飼いが夜、野宿しつつ」で目が覚めた。スザンヌ・リディーンが「羊飼いと天使」の場面を歌っていく。でも、なんか発声がヘンだ。絞り気味に声を出し始め、だんだん口を開いていく。そのため、発音が定まらない。まだ喉が温まっていないのか、それとも最近かなり寒いから、喉をいためてしまっているのだろうか。
 合唱「天のいと高きところには神に栄光」で、2階のトランペットとともに輝かしく盛り上がり、ソプラノのアリアに続く。

 アリア「大いに喜べ、シオンの娘よ」。やっぱり、リディーンは本調子ではない。発声がままならないようだし、中間部終わり、ダカーポ前の装飾音に入る直前、「Peace・・・・」と伸ばすところで、ピッチが微妙に低い!心臓がきゅーっとなった。その後の装飾音は高音への跳躍を抜き気味にして無難に抑えたが、CDで鈴木美登里さんの素晴らしい歌唱を聴いている身としては(もちろん録音とライブの違いはあるとはいえ)、ちょっと残念だった。続くアルトのレチタティーヴォ「その時盲人の目は開け」〜アルトとソプラノのアリア「主は羊飼のごとくその群れを養い」も、CDの幻影が頭に残っていてちょっと入りきれなかった。私がこの2曲を大好きということもあるんだろうけど・・・合唱「そのくびきは安く」で第1部が終わる。合唱もちょっと安全策っぽかったかな・・・



 休憩。チェンバロの調律、そしてティンパニが入ってくる。

 第2部は、合唱「見よ、神の小羊」で始まる。そしてアルトのアリア「彼は侮られ」。波多野さんがやや速めのテンポながら、落ち着いて歌っていく。そして一転、弦の鋭い前奏で始まる一連の合唱、「まことに彼はわれらの悩み苦しみを担い」〜「彼の打たれし傷により」〜「われらみな羊のごとく迷いて」。合唱の聴かせどころであるここを、速いテンポで決然と歌っていく。そして劇的なテノールのレチタティーヴォ「彼を見るものはみな嘲り笑い」、ヤン・コボウがたっぷりと表情をつけて嘲りの調子で語る。そしてアタッカで合唱「彼は神に拠り頼めり」。キリストを嘲る群集の言葉、作中最も激烈な合唱だ。指揮の鈴木さんも凄まじい気合で、なんとクライマックスからはフーガの入り「He trusted・・・」のところで自らも歌詞をシャウト!か、かっこよすぎるッ!
 ライヴではいつもこうするのか、クライマックスのソプラノのメロディ、「Let Him deliver him!」のdeliverで通常同じ音で歌うところ上へジャンプ!これもいい。
 それからテノール、ソプラノがレチタティーヴォとアリアを歌い継いでいく。リディーンは喉が持ち直したようで、第1部とはまったく違う美しい声を披露する。あ、これならこれからは期待できる・・・そして合唱「門よ、こうべを上げよ」。新約外典・ニコデモ福音書では、キリストの冥府下りに伴い冥府に閃光がさしたときに、天空から響いたという言葉(詩篇24)だ。イエスは冥府の門を破り、囚われていたアダムをはじめとする人々を天へと導いた。合唱は十全な輝かしさをもってこの曲を歌いきる。それからはソロと合唱が入れ替わり立ち代り出てくる。このあたりは比較的短く地味な曲が続くので通常はダレがちなところと思うが、絶妙な曲作りでちっともそう感じさせない。ここは指揮者の力量というものだろう。ソプラノのアリア「ああ麗しきかな」は素晴らしかった。
 バスのアリア「何ゆえもろもろの国人は」。マクラウドが安定極まりない美しいバス声で軽々と歌う。ぜひロングバージョンを歌ってほしいが、この版ではショートカット版を採用している、残念。急き立てるような速いテンポで合唱「われらその枷を壊し」が続く。そしてそれをあざ笑うテノールのレチタティーヴォとアリア「天に座するものは笑い」〜「汝、黒鉄の杖もて彼らを打ち砕き」、ヤン・コボウが上体を盛んに揺らしながら、ほんとにあざ笑うように歌っていく。
 そして、第2部を締めくくる名高い合唱「ハレルヤ」。小編成ながら、合唱・オケがひとつに溶け合って響いてくる。そのさまはまさに壮麗だった。
ソリストも座ったまま歌ったりしていた。


 第3部。スザンヌ・リディーンの歌うアリア「われは知る、わが贖い主の生きたもうことを」から始まる。ああっ、美しい!初めからこういう声が出ていれば・・・「神もしわれらに味方したまえば」も歌ってくれないかなあ・・・・でもCDのとおりアルトが歌うんだろうし・・・合唱「人によりて死の来たるごとく」。霊妙なアカペラと、管弦が入っての劇的展開との対比がお見事です。そしてバスのレチタティーヴォとアリア「見よ、われ汝らに奥義を告げん」〜「喇叭鳴りて」。マクラウドはピアノの音量で歌いだす。「mistery」の言葉が言葉どおりに「ミステリー」な響きを伴う。続くアリアも、威厳に満ちて圧倒するというより、尊厳をもって語りかけるという感じで、とても聴きやすい。前者だと、ダ・カーポのころには「もういいや」って思ってしまうのだ。マクラウド、いいなあ。
 アルトのレチタティーヴォ「そのとき聖書の言葉が成就する」〜アルトとテノールの二重唱「おお死よ、汝の棘はいずこにありや」〜合唱「されど主に感謝せん」。デュエットはCDで使われたロングバージョンと違って、通常使用される版を使っていた。ということは、次のアリアを担当するのは・・・
 ソプラノのアリア「神もしわれらに味方したまえば」。最後のアリアはリディーンに与えられた。このアリアはよくカットされたりしちゃうのだが、私はこのアリアが好き。「キリストは神の右にいまして、われらのためにとりなしたもう・・・」のところの旋律はたまらない。リディーンはこれも美しく歌ってゆく。先ほど書いたところで装飾音を付けたのはちょっと蛇足な感じもしたが、最後の装飾音は本当に美しかった。
 そして最後の合唱「小羊はふさわし」。もういうことはなし。全曲を締めくくるにふさわしい、パーフェクトな合唱でした。「ハレルヤ」と同じく、ソリストも座ったまま合唱に参加していた。

 アンコール、「きよしこの夜」をドイツ語歌唱で。ちょっと変わった編曲で面白かった。

 
 8000円でも安いくらいのいい演奏でした。でも、これほど上手いと、かえって細かいところが気になってしまう。下手な団体なら、少々は笑って済ませるんですが。たとえるなら、普段悪いことやってるやつがたまにいいことしたら良く見られて、普段いいことやってる人がつい悪いことやってしまうと必要以上に悪く見られる、というところか。ほんとにいい演奏だったんだけど、もう少し上が見たかった。
 あとは、ライヴ特有の熱気がもう少しほしかった気もする。たとえばクーベリックやガーディナーなどが、スタジオ録音とライヴでは別人のような演奏かますように。ましてや音楽史中屈指のドラマティスト・ヘンデルの作品なんだから、少々発声のポジションを崩してもいいから心をガーンと打つようなインパクトが欲しかった。特に合唱。といっても、普段バッハをやっているとそうもいかないのか・・・?まあ、人数が20人ではキツイ、かもしれないけど・・・
 私は、指揮の鈴木さんが「彼は神に拠り頼めり」でシャウトしたところがいちばん鳥肌が立った。ライヴはやっぱり気合っすよ!!

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