第1回     スペクタクル・コーラス〜ヘンデル



ヘンデルの本領は元来オペラにあり、英国へ渡ったのもそのためだったが、もろもろの事情でオペラの道が閉ざされると彼はオラトリオへと転進し、結果的にそこでも成功を収めた。コーラスを多用するオラトリオでは、かれのスペクタクルな音楽作りが一層活かされ、アリアにコーラスに名曲が数多く生まれることとなった。ヘンデルのコーラスはほんとに派手で劇的、スペクタクルという言葉がぴったり。歌ってみたいっす。というわけで、私のお気に入りの合唱曲ベスト10。(00.6月現在)

1.「おお、輝かしき君侯よ!」(ベルシャザル)

オラトリオ自体だと「ユダス・マカベウス」がいちばんなんですが、単体となると、この曲。第2幕ラスト、キュロス2世率いるペルシア軍がバビロン城内へ突入する場面で歌われるもの。後半の「甘き自由、快き平和は、汝の統治により岸から岸へと押し広げられ、戦と隷属はもはやなし」のフーガ部分は、もう美しいとしかいいようがない。とにかく聴いてみて。このオラトリオは、旧約聖書「ダニエル書」、ほかにヘロドトスやクセノポンの著述をもとにして描かれた、ペルシア(キュロス2世)と新バビロニア(ベルシャザル王)の戦いとユダヤ人の解放の物語。預言者ダニエルも登場し、有名なアリア「おお、真実なる聖書よ」を歌ったり、壁の文字「メネ、メネ、テケル、パルシン」の解き明かしをします。
CDはアルヒーフのピノック盤、そしてダブリングハウス・ウント・グリム(MD+G)のペーター・ノイマン盤。後者は、キュロスとダニエルを歌う二人のカウンターテナーがイマイチなのが残念。キュロスはメッゾ・ソプラノに任せたほうがメリハリついていいんじゃないかなあ・・・

2.「神に向かって歌え」(ユダス・マカベウス)

ラテン語読みではユダス・マカベウス(英語読みはジューダス・マカベーアス)、ヘブル語ではイェフダ・マカビー。「槌のイェフダ(ユダ)」という意味。英語では「ジューダス・ザ・ハンマー」といったところでしょうか。イスラエルのサッカークラブ「マカビ・ハイファ」のマカビも同じ意味なんでしょうかね。セレウコス朝シリアの圧政に敢然と立ち向かったユダヤの英雄です。ユダは裏切り者とか、ナルシストばかりではないですよ。曲の内容も戦闘の連続で劇的起伏に富み、アリア・コーラスともに名曲の宝庫。この曲は第3幕、知らない奴の顔が見てみたい「見よ、勇者は帰る」の合唱の後、マーチに続いて歌われるもので、セレウコス朝の将軍ニカノルに対する勝利を喜ぶ合唱。ほかにも、第2幕冒頭の、将軍リュシアスを破ったユダヤ軍の合唱「敵は倒れる」や、終曲「ハレルヤ、アーメン」などが有名。個人的には、ソプラノ二重唱と合唱「めでたし、幸いの地ユダヤよ」もいい。ていうかこの作品の二重唱は絶品ぞろい。
ユダについては、旧約聖書続編「マカバイ記1,2」、フラウィウス・ヨセフスの「ユダヤ古代誌」(ちくま文庫)を参照のこと(ちなみにこの書の原語はギリシア語なので、彼の表記は「ユダス・マカバイオス」)。ルーベンスも彼を描いてます。
CDは、ハイぺリオンのロバート・キング盤かハルモニア・ムンディ・フランスのマギーガン盤か、というところでしょうか。

3.「正義の天は彼らの企みを見届け」(スザンナ)

「スザンナ」は、旧約聖書続編(外典)に見える預言者ダニエルの若き日のエピソード。この中でダニエルは鮮やかな裁きで淑女スザンナを冤罪から救い、二人の長老の罪を暴く。シェイクスピアの「ヴェニスの商人」でシャイロックやグラシアーノが裁判官に向かって、「ダニエル様!」と誉めるのはこれを出典とする。この合唱は、水浴びをしているスザンナに言い寄ろうと二人の長老が企むのを受けて決然と歌い出される。中間部は裁きの矢が飛び来るさまが3拍子の長調で軽快に歌われるが、冒頭部が再現された後のフーガは、シリアスの一言。「罪よ慄け、汝は知る、神罰は風よりも疾きことを!」の歌詞に乗って音楽がどんどん急迫していき、その頂点でトゥッティにて「神罰は風よりも疾きことを!」と叩き付け、嵐のような弦の後奏で締めくくられる。しびれます。
CDは、ハルモニア・ムンディ・フランスのマギーガン盤かダブリングハウス・ウント・グリム(MD+G)のペーター・ノイマン盤ですね。

4.「剣を帯びよ、力にみてる勇士よ」(サウル)

「サムソン」と同じく、オペラティックな面の強いオラトリオ。イスラエル初代の王サウルとダヴィデの物語。冒頭、ダヴィデがゴリアトを打ち破った歓喜のシーンから始まり、「ハレルヤ」がいきなり聴ける。
この合唱は終曲。サウルが死んだのち、ダヴィデを新しい王として推戴したイスラエル人による合唱。ラスト近く、ソプラノがパートソロで五線上のGを保持しながら「汝の美徳に魅せられし者は」と歌うとこが最高にきれい。ここポシャったら最悪だけど。ガーディナー盤のモンテヴェルディ合唱団は完璧。ライヴなのに。ダブリングハウス・ウント・グリム(MD+G)のペーター・ノイマン盤もいい。

5.「彼は主に拠り頼めり」(メサイア)

「メサイア」といえば、「ハレルヤ」なんですが、スペクタクル好きな私は、この曲です。これでもかと投げつけられる激しい嘲りと罵り。ここをいかに劇的に歌ってるかでその演奏の良否をあらかた決めてしまう私は変でしょうか。変ですね。
シャンドスのヒコックス盤がなかなか激しくていい。バスのソリストがブリン・ターフェルで、豪快に「何ゆえもろもろの国人は」や「ラッパ鳴りて」を歌ってるのもポイント高し。アルヒーフのマクリーシュ盤もいい。

6.「美徳、真実と純潔は、永遠に彼女の確かな護り」(エステル)

アハシュエロス王(クセルクセス王に比定される)の王妃であるユダヤ人の娘エステルを描いたオラトリオ。ユダヤ人撲滅の命令を取り下げてもらうために、「召し出されずに王に近づくものは死刑」という法を犯して王の前に立ったエステルをたたえて歌われるのがこの曲で、彼が以前作曲したブロッケス受難曲の冒頭合唱「わが罪の縄目より」の改作転用。美しく、気高い印象を与える佳曲。終曲の「主はわれらの敵を打ち倒したまえり」も、ソロを挟んで盛り上がっていくいい曲。
ちなみに、彼女とその父モルデカイの名は、それぞれイシュタル、マルドゥクというバビロニアの神の名を語源としている、という説あり。
CDはオワゾリールのホグウッド盤、もしくはハリー・クリストファーズとザ・シックスティーンのコリンズ・クラシックス盤か。

7.「香炉より煙立ち上り」(ソロモン)

ユダヤ人の王の中で最大の権勢を誇ったイスラエル三代目の王ソロモン(正確にはシェロモ)を描くオラトリオ。ダブル・コーラスを用いる豪壮華麗な作品で、聴くものを圧倒する。有名な「ソロモンの裁き」やシバの女王の来訪といったエピソードも盛り込んである。第3幕冒頭のシンフォニア「シバの女王の入城」がよく知られる。この合唱は第2幕冒頭、ソロモンを称えて歌われるもので、「万歳、敬虔なるダビデの子、力強きソロモンよ!」と連呼する。第3幕の「神を称えよ」も力強い曲。
CDはフィリップスのガーディナー盤と、アルヒーフのマクリーシュ盤が双璧でしょう。マクリーシュ盤は何で国内盤出さないかなあ。すごい演奏なのに。ソロモンがアンドレアス・ショルなのに。

8.「この予兆を止めよ、すべての力よ!」(セメレ)

「セメレ」は、世俗オラトリオと銘打っているが、要するにギリシャ神話のお話で、テーバイの姫セメレーにゼウスがいつものようにちょっかいを出すという筋書き。それで「世俗」になったのです。この合唱は、ボイオーティア王子アタマースとセメレーの婚儀の吉凶を占う場で、突如電光と雷鳴を伴う驟雨によって祭壇の火を消された祭司達が「ゼウス神が現れた」と狼狽して歌うもの。ティンパニが荒れ狂う劇的な曲。ほかにも、晴れがましいことこの上ない合唱「さあ、永遠の少年の招く愛をあがめ」が名曲。ちなみに、セメレーは、最後にはゼウスの妃ヘーラーの策によって命を落としますが(ゼウスの本相を見たいと願い、その光輝に焼かれて死ぬ)、ゼウスは、その胎からディオニューソス神をとりあげ、幕となります。
CDはドイツ・グラモフォンのジョン・ネルソン盤か、エラートのガーディナー盤がよいかと。

9.「天上の楽隊を一つに合わせ」(サムソン)

トランペットとの競演で有名なソプラノのアリア「輝けるセラフ達を」の後を受け、全曲を締めくくる合唱。「サムソン」は、ヘンデルのオラトリオ中もっともオペラ的なもので、彼の生前は大人気だった。リヒター盤(アルヒーフ)がいいっすよー。あとは、ハリー・クリストファーズとザ・シックスティーンのコリンズ・クラシックス盤でしょうか。

10.「ハレルヤ、汝らの声を上げよ」(機会オラトリオ)

戦勝を記念するために作られたはずが、戦争が長引いていざ演奏日になってもまだ終わっておらず、なんだかマヌケなタイミングで演奏されたオラトリオ。曲の構成は、転用の嵐で、当時はいまいち不評の《エジプトのイスラエル人》やその頃の一般人は普通聴けない《戴冠式アンセム》を使いまくり。この「ハレルヤ」も、元ネタあるのかどうか・・・あ、《ヘラクレス》からか!メサイアのものとはまったくの別物。しかし、いい曲。メサイアのものと違って、温かさがあるというか、そんな感じ。あっちは歌詞がヨハネ黙示録だし。
CDは、これしかないが、ロバート・キングのハイペリオン盤。唯一だが、水準は高い。




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