『アナバシス』は、紀元前401年、ペルシア王アルタクセルクセス二世に反旗を翻した王弟キュロス(小キュロス)に従軍したギリシア軍傭兵一万余がキュロスの戦死によりペルシア王国の真っ只中に取り残され、そこから戦っては退き、退いては戦っての決死の退却戦を繰り広げつつ北へ逃れ、ついに6000kmを踏破しイオニアへと帰還する顛末を記したアテナイ人クセノポンの著作。
以前一度読んだが、内容忘れてしまったのでもう一回読んで要約してみる。
1.王弟キュロスの反乱 | 2.誓約 | 3.退却戦始まる | 4.カルドゥコイ人の地 |
5.アルメニア雪中行軍 | 6.海だ、海だ! |
1.王弟キュロスの反乱 紀元前401年、アケメネス朝ペルシア王アルタクセルクセス二世に王弟キュロスが反旗を翻した。小アジアに勢力を持ち、ギリシア人傭兵指揮官にコネを持っていたキュロスは、自らの十万の兵の他にクセニアス、プロクセノス、ソパイネトス、ソクラテス、パシオンらの指揮官に率いられたギリシア人傭兵一万三千を率い、サルデイス(地図。イズミールの100km東、サリヒリのあたり)を発しアルタクセルクセス向け進撃した。 |
2.誓約 しかしじきにキュロスの戦死と、アリアイオスが逃走し前回に宿営した場所にいるという事実が明らかになった。クレアルコスはアリアイオスに「こちらへ来るならば貴殿を王位につけることを約束する」と伝令を出す。時を同じくして大王からの使者が到着、「キュロスは死に、我々は勝利した。ギリシア人は武器を捨て出頭せよ」と告げる。ギリシア人傭兵指揮官たちは協議したが、武器を捨てたあとの待遇が保証されていないという理由で「それはできない」という結論に達した。それを伝えた後、再び伝令が来て「ここにとどまる限りは停戦、進むか退くかすれば戦いとなる」という大王よりの伝言を伝えた。クレアルコスも「われらもそれと同意見だ」と答えた。アリアイオスへ出した伝令が戻ってきて、アリアイオスの言葉を伝えた。いわく「自分より高位のペルシア人が多くいるため、自分が王になっても彼らが承服しない。退却するなら、今夜のうちに合流しよう」。 二十日以上が経過した。アリアイオスの許へ縁者が訪れ、王より全てを許すという命令が出た、と伝えた。安心したアリアイオスは、以後ギリシア軍に冷たくなった。ギリシア人は彼の態度に憤ったが、一方で「王は今のうちに軍勢を集結させわれらを討つつもりではないのか」と不安に駆られた。クレアルコスは彼らを宥める。そしてティッサペルネスが軍勢を率いて到着、先導して市場を提供するが、軍勢を率いてきたティッサペルネスそしてアリアイオスの変心に不信を抱いたギリシア軍は、ペルシア軍から離れて進んだ。 |
3.退却戦始まる 指揮官や隊長たちを失ったギリシア人は途方にくれた。さてその夜、アテナイ人クセノポンは夢を見た。彼は指揮官でも隊長でも兵卒でもなく、キュロス王子に紹介するためにプロクセノスが呼び寄せた者だった。その夢は、雷鳴が起こって生家に落雷し、家全体が明るく照り輝く、というものだった。真夜中に目を覚ましたクセノポンはこれが吉夢か凶夢か考え込んだが、いずれにせよすぐさま事を起こさねばとプロクセノス指揮下の隊長たちを招集した。「寝ていてはいけない。相手はすでに攻撃体勢を整えている。われわれが敵の手に落ちればどうなるか。どんな残忍な罰を受けるかわからぬ。何としても王の手中に落ちてはならない。今や相手は誓いを破った。今まで金を払って買い取った物資は、これからは戦利品だ。勝を制した者への賞品だ。審判役は神々だが、神々は必ずわれわれに味方する。敵は神々の名にかけて誓いながらこれを破ったのだから」クセノポンは隊長たちを説得し、彼らはクセノポンを新しいリーダーに推した。ただ、ボイオティア訛りのアポロニデスは大王を説得するように言って反対したが、クセノポンはすぐに彼を論破し、ステュンパロス出身のアガシアスの発言から全員一致で彼を追放した。そして全軍から指揮官、隊長百名を参集、隊長中最年長のヒエロニュモスの先導で軍議が開かれた。クセノポンがもう一度先ほどの言葉を語り、これから退却戦に入るよう説得した。スパルタ人ケイリソポスはこれに感服し、全員の了解をとりつけた。そして指揮官の再選出が行われた。そして、 |
4.カルドゥコイ人の地(地図。ティグリス河東岸に沿い北上を続ける。右手にカルドゥコイ人の住む山地が続く。 ギリシア軍は山頂に上るとそこから峠を次々に越えて山中の村へと達した。そこにいたカルドゥコイ人は村を捨てて山の中へと逃げた。ギリシア軍はこの村から食料を奪ったが、彼らの感情を可能な限り害さないためにそのほかのものには一切手をつけなかった。しかし、ギリシア軍は一万を超えるため、その最後尾が逃げてきたカルドゥコイ人と出くわしてしまい、攻撃されたと思ったカルドゥコイ人がギリシア軍に襲いかかってしまった。この小競り合いでギリシア兵数人が負傷した。ギリシア軍はその日はその村に宿営したが、カルドゥコイ人は周囲の山上に火を燃やして一晩中警戒していた。 次の日、別働隊二千が案内人を伴って出発した。この日のうちに高地を襲って占拠し、その日は警備に徹して次の朝に本隊にラッパで合図し、それから平地への出口を確保している敵を攻撃、本隊と呼応して攻め落とす、という作戦。この日は激しい雨が降った。クセノポンは後衛を率いて本道を通って平地への出口に向かった。これは別働隊の動きを悟られないためだった。坂道に差し掛かる谷間へと入ると、突如カルドゥコイ人が山から大石を転がしてきた。大石は道に落ちると砕けて飛び散り、積み重なってたちまち進軍が不可能になってしまった。他の道を探そうとするも見つからず、夕刻になったのでひとまず退却した。カルドゥコイ人は一晩中落石をやめなかった。 翌日は案内者なしの行軍に。カルドゥコイ人はまたも攻撃を仕掛けてきた。狭いところでは先回りして攻撃を仕掛けようとするので、敵が先頭を妨げる時にはクセノポンが敵よりも高所に回り込んで攻撃、後衛を妨げる時にはケイリソポスが敵よりも高所に回り込んで攻撃と、互いに助け合うようにして進んだ。カルドゥコイ人は敏捷で、弓と投石器以外は身につけていないが、優れた弓の使い手だった。弓の長さは三腕尺(ペーキュス)あり、その矢は二腕尺(ペーキュス)に近かった。弓を引くときには、弓の下部を左足で踏みながら弦を引き、その矢は楯をも貫いた。ギリシア軍はその矢を得ると、投げ紐をつけて投槍代わりに使用した。この辺りの戦いでは、クレタ弓兵が最も活躍した。その指揮者はストラトクレスといった。 |
5.アルメニア雪中行軍(地図。11月から12月に入り、アルメニアは雪に覆われる。ヴァン湖の西を過ぎ、さらに北へと)) 次の朝、ギリシア軍は出立しようとして愕然とした。河の向こうに軍勢が展開していたのである。河沿いに完全武装の騎兵が布陣、その後方の高台には歩兵隊が戦列を組んでいた。これは、先にもティッサペルネスとともにギリシア軍を脅かしたアルメニア総督オロンタス、そしてアルトゥカイらの軍隊で、アルメニア人、マルドイ人、カルダイオイ人から成る傭兵隊だった。カルダイオイ人は独立した民族で、勇猛で知られている。歩兵隊のいる高台の後ろには道が続いており、まさにギリシア軍の渡河予定地点に向かい合わせに布陣していた。ギリシア軍は河岸にやってきたが、その地点は水が胸にまで達し、下は石が滑りやすく歩きづらい。装備を外して頭上に掲げながら用心して渡るしかないが、それは対岸のペルシア軍に虐殺されに行くようなもの。ギリシア軍は引き返して河畔に宿営した。背後では、前夜宿営した村にカルドゥコイ人が集結しているのが見えた。まさに前門の虎、後門の狼。ギリシア軍は前夜の安堵から一転、落胆してしまった。ギリシア軍は進むも退くもできず、その日はそのままそこにとどまった。 ギリシア軍はそこを出ると二日行軍、ティグリス河の水源(ヴァン湖に発するビトリス河のこと?)を越えた。 三日行軍。ティリバゾスは軍を率い10スタディオンの距離をとって並んで行進した。王宮のあるところへ着く。周囲には数多くの村があった。ギリシア軍はここに宿営したが、その夜に大雪が降った。時は11月だった。 次の日もギリシア軍は雪の中を一日行軍し、日の暮れるころ前衛のケイリソポスは村へと到着した。城壁の前の泉のほとりに女が幾人かおり、誰何してきた。通訳がペルシア語で、自分達は大王に遣わされ総督を訪ねるところだ、と答えると、女達は、総督はここではなく1パラサンゲス離れたところにいる、と言った。ケイリソポスは村長に会うべく、彼女達とともに村へ入った。こうして前衛は村で一晩を過ごしたが、まだ村に到着しない後方では食事もとらず火の気もなしで進軍を続け、そのために凍傷で死ぬ者がいた。また、ペルシア軍の中には一団となってギリシア軍からの落伍兵や駄獣を襲うものもあった。 村へ来て八日目、クセノポンはケイリソポスに道案内として村長を渡した。その時、道案内が無事に済んだあとは一緒に帰すということで彼の息子を一人連れて行かせていた。村長の家にはできる限りの物資を運び込み、それからギリシア軍は荷造りをして出発した。村長は雪の中を縄をかけられずに案内していったが、三日めの夜中に逃亡してしまった。これは、その日の日中、村に案内してくれないとケイリソポスが村長に腹を立て、このあたりには村はないと主張する村長を殴りつけてしまったからである。彼は息子を置いたまま逃亡してしまったので、その息子は、彼を監視していたアンピポリス出身のプレイステネスのもとに留まった。プレイステネスは彼を気に入って国に連れ帰り、彼もよくプレイステネスに仕えたという。この事件によりクセノポンとケイリソポスが口論をする一幕もあったが、ともかくギリシア軍は先へ進んだ。案内者はいなくなり、手探りでの進軍となったのだが。 |
6.海だ、海だ!その後の七日間を日に5パラサンゲスのペースで進み、パシス河畔に達する(パシス河はカスピ海に注ぐアラクセス河上流のこと。現在のアラス河。黒海東岸にも同名の河があったため、ギリシア軍はそちらの河と勘違いしてこの河沿いに進んでしまい、大きく回り道をすることになる)。川幅は1プレトロン。この河を渡りさらに二日、10パラサンゲスを進んだが、平野に通ずる峠にさしかかる時、カリュベス人、タオコイ人、パシス人の部隊が前方に姿を現した。ケイリソポスは敵30スタディオン手前で軍を止めると戦闘隊形をとるよう命じ、それから指揮官と隊長を集めて軍議に入った。ケイリソポスは、まず全軍に朝食をとらせ、その上で山越えを今日にするか明日にするか協議しようと提案する。しかしクレアノルは、朝食後すぐに武装してあの敵を攻撃しようと言う。そこでクセノポンが提案した。現在越えようとしている山は60スタディオン以上の広さがあるが、敵が監視しているのはこの道のみである。よって、敵のいない山中のいずれかの地点を「盗み」、そこから攻撃をかけるのがいい。夜に兵を進めればそれも不可能ではないだろう。陽動作戦としてこの道から攻めれば、敵の増援がさらにあそこに集中するため、山はそれだけ手薄になるだろう、と。 「・・・ところで窃盗作戦については、私がでしゃばって言うことではありません。ケイリソポスよ、スパルタではあなたのような上層階級(ホモイオイ、直訳は「平等者」)の人間は子供のころから盗みの稽古に励み、法が禁じていないものなら何でも盗むことは恥辱ではなく手柄になると聞いています。巧みに盗み人に捕まらぬようにという趣旨から、盗みをして捕まった者は鞭で打たれる法律があるとか。ですから今こそあなたは幼児からの鍛錬の成果を発揮し、われらが山を盗んで捕まり、鞭で打たれぬようにしてほしい」 最後にクセノポンがそう冗談を言うと(話の内容は事実)、ケイリソポスも冗談で返した。 「わたしのほうでも、君たちアテナイ人は公金を盗むことにかけては名人だと聞いているぞ。しかもいわゆる最高級の人間が一番敏腕だそうだな、君たちの国でそのような最高級の人間が政治を行うのに相応しいと考えられているなら、だが。したがって君にとっても、君の受けた教育の成果を示すには今が絶好の機会なのだ」 見事に返されたクセノポンは、それでは自分が山の占領に向かおうと言ったが、ケイリソポスは後衛部隊の長がその任にあたるには及ばないとそれを退け、志願者を募った。すると、メテュドリオン出身の重装部隊隊長アリストニュモス、キオス出身の軽装部隊隊長アリステアス、同じく軽装部隊隊長であるオイテ出身のニコマコスが名乗り出た。高地を占領したら火を燃やすという取り決めがなされ、朝食後ケイリソポスは全軍を率いて峠へ10スタディオンの距離を進み、この道から進撃するように見せかけた。そしてその日の晩、別働隊が出発して高地を占領、多数の火を燃やし続けた。 夜が明けると、ケイリソポスは犠牲を捧げたのち軍を率いて道路を進んだ。これに呼応して山を占領した部隊は尾根伝いに進撃する。敵軍の一部が別働隊のほうに向かったが、別働隊はこれを打ち破って追撃に入った。道路のギリシア軍は、まず軽装歩兵部隊が突撃、そして重装歩兵部隊がそのあとに続く。峠の敵は、山上の分遣隊が敗れたのを見ると逃走した。ギリシア軍は打ち棄てられていた編楯多数を切り刻んで使えぬようにし、峠の頂上で生贄を捧げ戦勝記念碑を建てると平野へ下り、物資の豊富ないくつかの村に到着した。 その後、タオコイ人の国に向かって行程五日、30パラサンゲスを進んだ(河の勘違いで道を間違え、東に向かっている)が、食料が底をついてきた。タオコイ人は防御を固めたところに住んでおり、食料もすべてそこに運び込んでいたからである。そのような要塞のひとつに着いたとき、ケイリソポスはこれに攻撃をかけた。要塞の周りは切り立った崖になっており一斉攻撃はできず、部隊を入れ替えながら攻撃していたが、なかなか陥とせない。砦へ至る道はひとつしかなく、そこを通ろうとすると傍の岩山から敵が石を転がしてくるからである。そうしているうちに後衛部隊とクセノポンが到着した。二人は協議し、砦を防御する人数はごく少ないので、先に石をうまく使い尽くさせればよいということになり、ケイリソポスとクセノポン、そして、後衛部隊先導の当番だったパラシア出身の隊長カリマコスが七十人の兵士とともに続いた。林の茂みに身を隠し、カリマコスが時々そこから飛び出して落石を誘うと、たちまち車十台分以上の石が消費された。 これを見ていたステュンパロス出身のアガシアス(カリマコスと同僚の後衛部隊隊長)は、一番乗りの功績を他の者に奪われることを恐れ、やにわに走り出すや砦に向かった。カリマコスはそうはさせじと彼の楯の縁をつかんだが、その間にこれも同僚のメテュドリオン出身のアリストニュモスとルソイ出身のエウリュロコスがそれを追い抜いて砦へと走る。この四人はいつも武勇を競い合う仲であったが、彼らはここでも競い合って砦を占領した。彼らが突入すると、もはや石は降ってこなかった。 占領時の光景は凄惨を極めた。女たちはわが子を投げ落としてから自らも身を投じ、男たちも同様だった。ステュンパロス出身のアイネイアスは美しい衣装を着けた一人の男が身を投げようとするのを見、止めようとしてその体に手をかけたが、男は彼を引きずっていき、二人とも岸壁から墜落して死んだ。ここでは捕虜の数は少なかったが、鹵獲した牛と驢馬と羊は多数にのぼった。 ここを出るとようやく踵を返して西に向かい、カリュベス人の国を通ること七日、50パラサンゲスを進む。カリュベス人は、ギリシア軍がこれまで通過してきた国々の住民の中では最も剽悍で、白兵戦を挑んできた。彼らは下腹まで届く麻の胸当てをつけ、裾布の代わりに綱を固く編んだものを使っている。脛当てや兜も着け、帯にはラコニア(スパルタ)人の用いる短刀ほどの大きさの短剣を挟む。相手を倒すとこの短剣で息の根を止め、首を切り取って行進する。敵に姿を見られそうになると、必ず歌をうたって踊る。また長さ15腕尺(ペーキュス)で穂先のひとつしかない(穂先の反対側の端に槍を地面に立てる石突のようなものがない)槍も持っている。彼らは小部落に住んでいるが、ギリシア軍が通過するときは必ず戦闘態勢で追尾してきた。彼らも堅固な場所に住み食料をみなそこへ運び込んでいるので、ギリシア軍は彼らから食料を調達できずにタオコイ人から奪った家畜で食いつないだ。 カリュベス人の国を離れ、ハルパソス河畔に達する(現在のアラス河に沿ってアルメニア共和国に入るまで行き過ぎたあと引き返し、北へ向かってアルダハンのあたりで西へ折れ、近隣の川沿いに西へと向かっている)。川幅は4プレトロン。ここからスキュテノイ人の国を通り、平坦な道を四日の行程、20パラサンゲス進みいくつかの村落に到着。ここに三日間逗留し食料を補給。出発して行程四日、20パラサンゲス進み、ギュムニアスという大きな町に着いた。ここの支配者はギリシア軍に一人の道案内を送り、自分たちに敵対する勢力の中を通って案内してやろうと言った。道案内の男は「五日のうちに海の見えるところまで案内できなければ殺されてもいい」と断言した。 ギリシア軍は彼の導きで先へ進み、やがて彼らの敵地へと入った。すると、彼はその土地を焼いて荒らしてくれとしきりに頼んだ。彼らが道案内を申し出たのはこれが理由だった。ギリシア軍は道案内してもらっていることでもあり、これに従った。 五日目、ギリシア軍はテケスという山に着いた。ギリシア軍は山を登っていったが、先に山頂に達した先頭部隊が凄まじい叫び声を上げた。それを聞いたクセノポンと後衛部隊は新手の敵が攻撃してきたのかと思った。彼らの焼き打ちした地域からは追尾の兵が来ており、後衛部隊は先立ってそれと交戦していたからである。叫び声は次第に大きく近くなり、叫び続ける部隊を目指して後続の部隊が次から次へと駆け登ってゆく。頂上の人数が増えるにつれて声はいよいよ大きくなり、クセノポンは容易ならぬ事態が起こったものと馬に飛び乗ってリュキオスと騎馬隊を率い救援に駆けつけた。すると、彼らの耳に兵士たちが後ろへと伝え送る叫び声が聞こえてきた。 「海だ、海だ(タラッタ、タラッタ)!」 後衛部隊はそれを聞くと全員駆け出した。頂上に着いた者は遠くに広がる黒海を見ると、指揮官も隊長も一般兵の区別もなく泣きながら互いに抱きついた。突然、誰が言い出したのか兵士たちが石を運んできてそれを積み上げ、大きな石塚を作った。そしてその上に牛皮や杖、鹵獲品の楯を積み上げた。道案内した男は楯を切り刻み、他の者にもそうしてくれ、と言った。ギリシア軍は道案内の男に全軍共同の蓄財の中から、馬一頭、銀製の皿一枚、ペルシア風衣装一式とダレイコス金貨10個を与え、国元へ帰してやった。この男は特に指輪を欲しがり、兵士たちから指輪をたくさんもらっていた。男はギリシア軍の宿営地についての指示を与え、マクロネス人の国へ行く道を教えると、日暮れを待って夜の道を立ち去った。 行程三日、マクロネス人の国を10パラサンゲスを進んだ。 一日目に、マクロネス人の国とスキュテノイ人の国の境になっている河に到達した。渡ろうとする河岸は木立で覆われていたのでギリシア軍がそれを伐採し始めると、毛の肌着をまとった人たちが対岸に集まり、投石してきた。もっともギリシア軍までは届かず、それらはみな河中に落ちた。 その時、軽装歩兵隊の一人で、アテナイでは奴隷であったと自称している男がクセノポンのところに来てこう言った。自分はおそらくここの出身だと思う、差し支えなければ彼らと話し合ってみたい、と。クセノポンはそれを許し、彼らが何者であるか、なぜ自分たちに敵対するのかを問うようにと命ずる。その兵士が対岸の人々に向かってその旨を聞いてみると、彼らはマクロネス人であり、ギリシア軍が自分たちの国に入ってきたから攻撃しようとしたのだ、と答えた。指揮官たちが「自分たちに攻撃の意思はない、自分たちは大王と戦ってギリシアへ帰るところで、海岸へ出たいだけだ」と兵士に言わせると、向こうはその保証がほしいと言う。ギリシア側もマクロネス人が自分たちを襲わない保証をほしいと言い、かくて双方が保証の印として槍を交換し、神々にかけて誓約した。 誓約が終わると、マクロネス人たちはギリシア軍と一緒に木を伐るのを助けたり、ギリシア軍が通れるように道を作ってくれたりした。また物資のほうも可能な限り調達の便をはかってくれ、自らの国を三日間にわたり誘導してくれた。 マクロネス人の国を過ぎ、コルキス人の住む山岳地帯へと達する。 マクロネス人たちと別れて進むギリシア軍は、進路の山上にコルキス人が戦列を敷いているのを見た。彼らとどう戦うかについて協議が行われる。当初は、相手の戦列に合わせてこちらも戦列を展開させ山を登る案が出ていたが、クセノポンは、山道を登る途中で道の状態により戦列が切れ、軍の足並みが乱れることを懸念した。そして現在の戦列を崩して中隊単位で縦隊を組み進撃するのがよいと提案する。中隊同士は全体として敵軍の戦列の幅よりもやや広くなるくらいの間隔をとって各々通りやすい道を進み、敵の攻撃があれば各々連携して事に当たるようにと。これが採用され、ただちに各隊は縦隊に組み直された。重装歩兵隊が約八十中隊となり、各中隊は約百名。軽装歩兵と弓兵は三部隊に分け、両翼の外側、そして中央に配置される。各隊の兵力は約六百名。クナクサの戦いでは(クセノポンの記述によれば)一万二千五百四十人だったので、ここに来るまでに投降・脱走者含めて三千人近くが脱落したことになる。 ギリシア軍は祈願し、戦歌を歌って進軍した。ケイリソポスおよびクセノポンそれぞれの率いる軽装歩兵は敵の戦列の外側に出て進んだ。ケイリソポスが右翼、クセノポンが左翼を担当。敵はそれを見ると、これを迎え撃つために一部は右へ、一部は左へと走ったために中央に穴ができてしまった。これを見てギリシア軍中央の隊が一斉にそこへ殺到する。アカルナニア出身のアイスキネスが指揮するアルカディア人部隊の軽装歩兵隊が一番に山頂を占拠し、オルコメノス出身のクレアノル率いるアルカディア人重装歩兵隊がそれに続いた。敵軍は完全に分断されたことを知ると、散り散りになって逃走した。 ギリシア軍はその後、豊富な食料を貯えていた多数の村で宿営。ここには蜜蜂の巣が多数あったが、この蜜を食べた兵士が嘔吐や下痢を起こし、中には重体に陥る者もあった。多数の者が倒れ士気の沈滞ははなはだしかったが、ただ死人は一人も出ず、日を追うごとに容態は良くなり、四日目には全員快復した。 ここから行程二日、7パラサンゲスで海岸に達し、住民のいるギリシアの町トラペズス(現在のトラブゾン)に入った。黒海に臨み、シノペ人がコルキス人の国に建設した植民市である。ここでコルキス人の村落に宿営し約三十日間逗留。ここを基地としてコルキス地方を掠奪して回った。トラペズス市民はギリシア人のために市場を開き、また牛や大麦粉や葡萄酒などの歓待の贈り物もした。また、近隣の平地に住むコルキス人のために、彼らとギリシア軍との交渉にも加わり、そのお礼としてコルキス人から友好の印として牛が届けられた。 ギリシア軍は神々に対する犠牲式を執り行った。多数の牛を調達し、ゼウスには無事脱出の、ヘラクレスには道中の導きを謝し、またその他の神々にもそれぞれの祈願に応じて犠牲を捧げた。犠牲式が終わると、宿営地の山中で体育競技会を催した。この総監督に当たったのはスパルタ人のドラコンティオスで、子供のころ心ならずも友人の少年を短刀で切り殺し国を離れた男だった。ドラコンティオスに犠牲の牛皮(競技会の賞品)を渡し、競技会の場へ案内させようとしたところ、彼は、この丘が絶好の場所です、と言った。こんなに下が硬く草の茂ったところでレスリングができるのか、と質問が出たが、彼は言った、「投げられた奴がそれだけ痛いということですよ」 かくてその場で競技会が行われた。少年たち(大部分は捕虜)が短距離走を走り、クレタ人六十人以上が長距離走を走った。レスリング、拳闘、パンクラティオンも行われたが、戦友たちの見守る中であったので出場者の勝利への執念は凄まじく、その光景は壮観であった。また競馬も行われた。急な斜面を駆け下りて海中でターンし丘を駆け上って祭壇へ戻ってくるというもので、多数の馬が下りでは転倒、上り斜面では悪戦苦闘し、見物人の叫び声と笑い声、応援の声で騒然とした雰囲気だった。 |
『アナバシス』は全七巻で、ギリシア軍が黒海沿岸のギリシア人植民市トラペズスに到着するのは第四巻。
やっとの思いで黒海へたどり着いたものの、彼らの本拠であるイオニア地方はまだまだ遥か彼方。
ここから黒海沿いに陸路・海路で異民族の地を進みながらギリシア植民市でひと息つく、ということを繰り返しつつ西へ向かう。
しかしギリシア圏内に入ったにもかかわらず様々なトラブルに見舞われ、
食料に窮しやむなく傭兵として使われたりするなど、数多くの苦難を体験することになる。
そこが知りたい人は原作を読んでもらうとして、このページはとりあえずここまで。