I.12月31日:出発〜大晦日のミラノ




 年の瀬も押し詰まった1998年12月31日早朝、私は関西空港にいた。なんでそんなところにいるかというと当然飛行機に乗るためで、どこへ行くかというと、芸術の国、文化の国、カルチョの国、食の国、スキピオの兜を頭に戴く国、イタリアへ。友人が非常勤で教えていた高校での元教え子と2人で行くということで、「行けるなら追加で頼んでみるが」と提案され、一も二も無くそれに乗ったものだ。海外へ行くのは数度目で特に緊張することは無いが、欧州へ行くのは初めて。集団ツアーではなく個人ツアー旅行で、だいたいの計画は立っているものの細かくはまだ決まっていなかった。前日にミシュランとか時刻表を買ったばっかりだし・・・期間は12月31日から公現の祝日前日の1月5日まで。ミラノに宿をとり、そこから各地へ日帰りで足を伸ばす、といったことは決まっていた。また3人の希望として、ミラノ(宿をとってるとこだから当然)、フィレンツェ、ヴェネツィアは外せないということは一致していた。あとはどういう順番で回るか、で、これは3人が揃った機内で相談することになった。
 正月を海外で迎えるのは初めてだが、まあ今までずっと日本で迎えてきたからたまにはいいだろう。しかし唯一気になるのは、天皇杯決勝に駒を進めた横浜フリューゲルスのことだった。解散が決まってから凄まじい戦いぶりで終盤のJリーグと天皇杯を勝ち抜き、ついに天皇杯では決勝にまでやってきたのだ。観たいが、これはいまさらどうしようもない。サンフが決勝に進出したらキャンセルしたかもしれないが・・・
 フライトまでのいつもながらの退屈な時間を過ごしたあと、10時発(といってもいつものことで結構遅れたが)のルフトハンザ航空で無事飛び立った。直接ミラノへ飛ぶのではなく、途中フランクフルトで乗り継ぎを行う。

 「さて明日はどうする?」
「ミラノは無理やろ。年明けから空いてる店あらへん」
「買い物が出来んなら、ミラノは意味なしですね」
「ヴェネツィアかフィレンツェか」
「どっちか言うたらフィレンツェかな。ウフィツィ美術館は閉まっとるけど、それ以外は結構観れそうや」
各自持ち寄ったガイドブックを見つつしばし討論を行い、とりあえず1月1日の行き先は花の都・フィレンツェとなった。
 飛行機はロシアの凍りついた大地の上を飛んでいく。とにかく真っ白で、川があるとおぼしきところも白く塗りつぶされていた。一眠りして起きてみるとまだ白い。大変なところだな、ロシア。それでも、だんだんと地上に赤い色や緑色が混じってきた。都市もちらほら見えてくる。
 フランクフルトが近づくと、下はもう深い緑一色。見渡す限りの森が広がっている。そのなかにぽつんと空き地が。あれがフランクフルト空港らしい。飛行機が高度を下げ、旋回してそちらに向かった。近づいてみるとさすがの大きさなのだが、広大な森林に比べれば猫の額ほどだ。世界は広いね〜、と感心した。
 現地時間14時20分、フランクフルト着。イタリア行きへはまた別便のルフトハンザ航空便に乗り継がねばならない。EU圏内行きとEU圏外行きの受付が別(だったかな、それともEU市民権保持者とそれ以外だったかな)なので、わからずうろうろしている日本人がいた。手続きを済ませ、一息つく。
 関空からいたおそらく父子連れがいた。父のほうはなんかワセダの吉村教授に似ていた。彼はいきなり風呂敷包みを取り出すとソファの上に広げた。中には何と山のようなみかんが!二人はそのみかんの山をもりもり平らげ始めた。ドイツの空港ロビーでみかんを食いまくる日本人親子、なかなか絵になる。
 まだ時間があるのでトイレに行ってみた。男性用の便器の位置が高くて、すごく用を足しにくかった。ドイツ人はみんな背が高い(ていうか足が長い)んだなあと思った。ていうか私の背が低いんですが。
 15分遅れの16時発のルフトハンザでミラノへ。

 フランクフルトからミラノへは1時間足らず。17時7分にリナーテ空港着。こっちはミラノにある2つの空港のうち小さいほうで、主に国内便に使われるほうだ。ちなみにもうひとつはマルペンサ空港。
 日本ならこの時間、まだ少しは明るいのだが、緯度の高いこのあたりはとっくに暗闇に包まれている。荷物を無事受け取って、外で待っていてくれたタクシーに乗ってザロット通りのイビス・チェントロ・ホテルへ。年末のせいか、道は結構混んでいた。小雨がぱらついている。
 ホテルでチェックインを済ませ、3人で集まってとりあえずどうするか話す。で、外出することになった。行くのは、もちろんミラノの大聖堂やヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリアの界隈だ。地下鉄に乗って向かう。といっても真っ暗なので地下鉄の駅を探すのに少し難儀したが。

 地下鉄の駅(ドゥオーモ駅)を出ると、とたんにパパパパーン!!と激しい音がした。何やー!と思ったら、爆竹の音だ。大聖堂の前などに若者たちが集まり、爆竹を鳴らしたり騒いだり、凄いことになっている。警察は?と見ると、とりあえずいるのだがこれを見ても特に気にも留めない。うーん、ということはこれが毎年恒例のことなのか?それを見下ろすミラノのシンボル、ドゥオーモは美しくライトアップされ、イタリア・ゴシック建築の粋を極めた圧倒的な威容を示していた。夥しい尖塔と彫像、そして最頂部に輝く黄金の聖マリア・・・でも爆竹と喧騒のため落ち着いて見られない。ヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリアへ退避した。
 「ガレリア」というのは英語で「アーケード」のこと。日本のそれのようなゴミゴミしたところではなく、ミラノらしい、とってもお洒落なアーケードだ。ここを抜けてオペラの殿堂・スカラへ。うむ!すごい!でも年末年始はやってない!悲しい。スカラの前で写真を撮って、引き返す。地下鉄のドゥオーモ駅へ戻る途中マクドナルドがあったので(どこにでもあるな)、一息ついてホテルへ戻った。帰り着いたときの時刻は21時30分。
 明日はフィレンツェ、朝早いので、早めに床についた。天気は大丈夫かなあ・・・とか思っている間もなく、ここでも激しい爆竹の音が。ひえ〜、寝られん!