日本基督教団 千歳船橋教会教会通信
教会通信 「春」号 2018年3月25日発行           No.17−3


◇巻頭言◇

光の中を歩む

牧師 朴 憲郁(パク ホンウク)


 晴れた朝にすがすがしい空気を吸い、燦燦と輝く太陽の光を浴びながら、実に晴ればれとした気持ちで歩いた道を、夜には不安と恐怖に襲われながら歩くということを、私たちはしばしば経験します。同じ道を同じ人が歩いて、朝と夜とではどうしてこんなにも違うのでしょうか。それは、光があるかないかということから来ています。闇は恐怖を誘います。闇には光がないからです。人生の道も同様であります。
 諸宗教でも、真理をよく光として表します。聖書では「すべての人を照らすまことの光があって、世に来た」(ヨハネ1:9)と述べて、イエス・キリストのことを「光」になぞらえています。トルストイの童話に、「光のあるうちに、光の中を歩きなさい」というのがありますが、それはおそらく、ヨハネ第一の手紙の御言葉(1:6〜7)から取られたものでありましょう。
 今教会の暦による受難節(四旬節)が始まっています。十字架の道を歩まれる神の御子イエスの御跡に従って、信仰者は己の我欲に打ち勝ち(克己)、御子によって差し出された神の愛を、困難な中にいる人々に実践するために尽くします。教会はそのようにして、伝道・社会福祉・医療・教育・地域開発の働きを進めてまいりました。救世軍の創立者ウイリアム・ブースは今から130年ほど前のこの季節に、克己週間募金の運動を起こしましたが、それが今日、開発途上国における職業訓練、識字教育、衛生教育などによる自立支援、また、エイズ対策プログラム、トラフィッキング(人身売買)対策の運動として発展しています。教団の東京教区では今、教区内の弱い諸教会と伝道者を助けるための克己献金を実施しており、私たちの教会でも祈りをもってこれに協力しています。
 主イエスが暗い十字架の苦難の道を歩んで死なれ、復活なさったのは、私たちを罪の滅びの道から贖い出すためでした。若き日に罪の滅びの道を思う存分歩んだ挙句、むなしさに襲われ、激しく苦悩した人の一人に、後に偉大な教父となったアウグスティヌスがいます。若くして淫乱にふけり、盗みを楽しみ、マニ教におぼれ、むなしい修辞学をもてあそび、ありとあらゆる道草を食って、彼が遂にイエスを主と告白したのは386年の夏、彼が32歳の時でした。彼の『告白録』にそれが書かれています。自分のみじめさに泣きぬれるアウグスティヌスが、イチジクの根元に身を伏して慟哭しました。「神よ、いつまであなたは怒り給うのですか。明日と言わず、今の今、私の恥ずべき生活を改めさせてください」と祈る時、隣家から子どもの歌が流れてくるのですが、それは「取りて読め、取りて読め」(Tolle, lege!)と彼の耳に響きました。とっさにそれが聖書のことだと察して、彼が開いて読んだのはローマ書13章13節と14節でした。「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません」。読み終わると共に、平和の光が彼の心を包みました。
 光陰矢の如く過ぎ去ろうとするこの15年間の牧会に終止符を打つ私は、愛する主にある兄弟姉妹と苦楽を共にしてきました。あれやこれやの出来事や思い出がたくさんありますが、それらはひとえに、十字架と復活の主の福音に仕えるためであって、それ以外ではありません。多くの方々のお支えと祈りによって、一方では伝道者養成の神学校での働きを果たし終えることができ、もう一方で神様から伝道・教育・奉仕の務めを委ねられた千歳船橋教会での私の牧会を支えてくださったことに、心から感謝します。
 このたび新たに赴任なさる主の僕はお若い年齢ですが、主イエスもまた神の国運動を開始なさった時、30歳の青年でした。山畑譲牧師とご一緒に光の中を歩んで、神の御栄となりますようお祈りします。       


◇行事報告◇

■クリスマス


2017年 クリスマス讃美礼拝 報告

伝道・教育担当 田中 英俊


  皆様の祈りとご協力に支えられて、2017年クリスマス讃美礼拝を無事終えることができました。感謝いたします。教会の外の社会から見ても教会のクリスマスは大変大きな行事であり、伝道の大きな機会でもあります。本年度の出席者は133名でした。昨年度の121名よりは多かったですが、2014年の145名、2015年の154名に比較すると少なかったようです。
  保坂姉に作成していただきました資料によると、2014年、2015年のクリスマス讃美礼拝はそれぞれ水曜日、木曜日でした。2016年の伝道・教育委員会の議事録を読み返しましても、2016年のクリスマス讃美礼拝は連休の中日であったために出席者が少なかったのではないかとの反省が述べられていました。2017年のクリスマス讃美礼拝は3連休の最終日でした。教会員の参加者と聖歌隊の人数を足すと60~70名の間を推移しています。一方で来会者の数は53名から84名と30名位上の幅がありました。クリスマス讃美礼拝の曜日に影響が大きくでるのは教会員以外の来会者のようです。
  来会者名簿に書いていただいた「何を見て来たか」の欄を見ますと、一番多いのが教会学校の家族で2番目が知人の紹介です。ポスター、インターネット、チラシよりも、やはり、地道に知り合いを誘うというのが最も身近な伝道になるのかもしれません。
  讃美礼拝の第一の目的は神様を心から讃美することです。神様への感謝と喜びを分かち合うことを大切に、教会における伝道を考えていきたいと思います。

クリスマス讃美の喜びを家族と共に

横尾 美香


  昨年の12月24日、クリスマスイヴの讃美礼拝では久しぶりに聖歌隊員として参加することができました。教会員の方々と共に讃美するのは何年ぶりでしょう…。
  出産、育児に追われ千葉の自宅から遠いこともあり、毎週の日曜日の礼拝出席や、大好きな讃美や奏楽をする機会が少なくなり自分の教会生活が乏しくなる現実に心寂しく思っていました。その穴を埋めてくれたのがクリスマス讃美礼拝でした。  
  クリスマス讃美聖歌隊は、出席条件として3回以上練習に参加しなければなりません。
  夫や子ども2人に迷惑をかけてしまう不安もありましたが快く受け入れてくれ、練習の時には礼拝堂の後ろや、親子礼拝室で見守って讃美の歌声を聞いてくれる姿はとても励まされました。特に下の子の柊真(しゅうま)は、私の隣に座り同じように楽譜を持って2歳ながらじーっと耳をすまして聞く様子は感心してしまいました。(きっと音楽が好きな子なんだな…。と将来が楽しみです)子どもたちは、クリスマスの曲をお風呂の時、寝る時、車の中で、時には替え歌にして鼻歌のように自然と口ずさんでいる姿はとても微笑ましく、夫もクスクス笑っている様子でした。そんな姿は私だけでなく家族皆でクリスマスを讃えているようでした。
  今回、聖歌隊員としてクリスマス讃美礼拝に参加できたことは、自ら参加したというよりも主の導きによって招いてくださったように思います。そして家族みんなで主イエス・キリストの誕生をお祝いすることができたことを嬉しく感謝いたします。2018年度もまた聖歌隊員として参加できるのを楽しみにしています。

赤ちゃんのイエス様―12月24日 CS礼拝説教

川村 哲章


  今日は、クリスマスです。皆さんは、先週ページェントをしましたね。聖書にあるように、ページェントでも、お生まれになったイエス様は、飼い葉おけに寝かされました。今年のページェントでは、お人形さんでしたが。
  イエス様は、人間と同じ姿になって、私たちと同じように赤ちゃんになって、私たちのところに来てくれました、と教会でお話しします。でも私は、ここで少し考えました。どうしてこんな赤ちゃんの姿で来たのかな、と。自分の子どもが赤ちゃんだったころや、今、教会に来てくれる赤ちゃんを思い出してみました。赤ちゃんは、どんな存在なのかな?
  赤ちゃんについてまず思うことは、「愛されて当然」みたいな顔をしている、ということです。でも、ほんとうにそのとおり、愛されて当然の存在です。だれでも、生まれたときは、みんな赤ちゃんで、愛されたのです。愛されて当然だったのです。赤ちゃんのイエス様は、そのことを教えてくれているのではないかと思いました。
  イエス様がお生まれになったとき、宿屋には部屋がなくて、牛や馬が飼育されているところ、当時は洞窟で飼育されていたらしいのですが、そこの飼い葉おけに寝かされました。人間の側は、準備不足、とかいうかもしれませんが、神さまの側からすると、こんな愛されて当然の赤ちゃんが、ほっておかれるわけがない、ということでしょうか。
  教会に来る赤ちゃんを教会の人が抱っこします。そして「癒される」「力が与えられる」とか言います。よくわかります。言葉で「愛」を説明するのは、難しいことですが、赤ちゃんを見ればわかることもあると思います。「愛されるために生まれてきた」、のです。イエス様はそれを証しするためにこの世にお生まれになった、そういう気持ちでクリスマスを迎えたいと思います。
  お祈りをします。天の父なる神さま、クリスマスの礼拝に集められて、感謝します。どうか、私たちが、おとなも子どももみんなが、「クリスマス、おめでとう」「メリークリスマス」と、この言葉を掛け合えますように。世界が平和になって、それがずっと続きますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

◇活動報告◇

キリストの体なる教会に連なる各信徒、また各組織が、讃美と奉仕の喜びに貫かれているとはなんと尊いことでしょう!この尊き恵みが満ち溢れますように。

■聖歌隊

聖歌隊と私

小松 信子


  以前にも書いたことがあるが、教会設立式に居合わせたのは今では私一人である。そのとき、会堂もなく、実は牧師もまだいなかった。「信徒の群れ」であった。やがて北森先生の時代を経て、朴先生が着任され、初めて聖歌隊が誕生し、スタートしたのである。最初に声を掛けていただいたときは本当に嬉しかった。準備が整い、いよいよ隊員の募集からスタート。以来聖歌隊は神様と教会の多くの方とに支えられ、育てられて来たと思う。
  現在は聖日礼拝前のいわゆる朝練(あされん)、礼拝後の昼練(ひるれん)と毎週練習を行い、毎週ではないが礼拝での奉唱、そして年一度外部の講師を招いての学びの会と、活動は定着して来ている。いつもご指導くださる川瀬姉にもお礼を申し上げたい。少しずつでもレベルの向上をと一同心から願っている。
  教会の皆様のご支援これからもよろしくお願いいたします。

■青年会


ゆくともくるとも

越智 さやか


  2017年度の青年会は、安定感と危機感で始まりました。メンバーが青年会の動きに慣れて行事等の役割分担がスムーズに決まる安定感。役割の偏りが伺われる危機感。一度足元を見つめて互いの現状を共有することになりました。その決断は正解で、責め合うのではなく理解し合う姿勢をもって前向きに再始動できました。
  そんな場にも爽やかに凛として臨んでいた伊藤えみさんは、その数か月後、主の招きに真っ直ぐに答えて受洗しました。新しい仲間が与えられたことは青年会にとっても大きな喜びでした。
  普段は昨年度末の青年会修養会から始めた十戒の学びをゆっくりと継続しています。少人数でも、必ず気付きが与えられます。誰かが「どこかにこんな聖句があった」と言うと、聖句箇所捜索大会が急遽始まります。
  朴大信さん、沈行美さんが年度末にこの教会を離れられることは、とても寂しいことです。どこに居ても同じ主を仰げることに感謝しつつ、新天地での主の守りを祈ります。理路整然とした語り口と人間味を併せ持つ、青年会の兄貴的存在であった大信さんが、週報経由で、「来月結婚します」との朗報をもたらした時は、「そうだこの兄貴は直前まで何も言わない隠れファンタジスタなんだ。いや事後報告じゃない分良しとすべきか…」などと思ったものです。行美さんは、青年会に暖かな明るさと優しさをもたらしてくれました。いつかの青年会修養会で、就寝前の教会の和室で、2人で約5分間笑い続けたことは忘れられません。どんなことで笑ったかは内緒です…と言うより、笑った印象が強すぎて原因が思い出せません。いっちゃん、何だったっけ?


◇朴牧師退任に寄せて◇

朴 憲郁牧師のご退任にあたって

津下 


  この度は、朴 憲郁牧師にはお仕事を全うされてのご退任に際し、心から「おめでとうございます」とお祝い申し上げます。しかしながら、一方で何か寂しい気持ちになるような複雑な思いがいたします。
  私は、2007年4月、妻と共に朴 憲郁牧師から洗礼を受けました。以来11年間に亘り、至らぬ私たち夫婦は何かにつけて牧師ご夫妻のご指導と激励を頂きながら、今日まで無事に信仰生活を続けることができています。まずこの事に深く感謝して、厚く御礼を申し上げます。
  朴牧師の毎週の主日礼拝でのご説教はとても熱心に、解りやすく解き明かしてくださるので、お陰様で理解を深めることができそして癒されて参りました。その上、約4年間私は教会役員も経験させていただきましたが、その際も司式の内容、特に悔い改めのお祈り等について、とても解りやすい形でご指導くださり大変助かりました。更に、2009年3月の韓国での研修旅行へ参加した際は、牧師には全体スケジュールの作成から訪問する韓国の教会との予約や詳細のつめまで、いろいろご手配いただきました。その上現地での案内をはじめ、地下鉄切符の手配、訪問先での通訳から食事先の選定等まで、何から何まで全部お世話くださり、お陰様で充実した楽しい研修旅行をすることができました。今でも素晴らしかった旅行を時々思い出します。加えて、2011年8月、私が膀胱がんを患った時には、お忙しい中をわざわざ入院先までご夫妻でお見舞いに来ていただき、大変慰められました。
  朴牧師には、ご退任後、これまで御多忙ゆえに出来なかった事が沢山おありのことと存じます。どうぞ今後は健康管理に十分ご留意の上、益々ご活躍されますことを心からお祈り申し上げますと共に、これまで大変お世話になりましたことを重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。


西南支区婦人部委員・家庭集会の思い出

田中 薫


  当教会婦人会の役を終え、他教会との交わりをと考え私は2013年4月から2015年までの2年間西南支区婦人部8人の奉仕委員の1人としてたずさわりました。私の想いを知った朴牧師が、背中を押してくださいました。
  その活動の一つとして2014年4月21日に千歳船橋教会での「西南支区教会の婦人の集い」を行いました。朴牧師も多忙の中ご出席くださったことは、お集まりの他教会員の方々にとっても有意義な実りの多い会になったと感謝しております。
  毎年行われている、NGOアジア学院研修生のためのホームステイではホストファミリーとしてインドネシヤ、韓国出身の若い二人を二泊三日の日程で迎えたことも貴重な経験でした。日曜礼拝を共に守り、特に朴牧師と親しくお話しし、教会員の皆様との交わりは二人にとっても良い経験でした。
  毎年春のわが家での家庭集会も11年になりました。大変お忙しい日程にもかかわらず御言葉の解き明かし、その後のお茶の時間もご一緒いただいた朴牧師に心からお礼と感謝を申し上げます。この会を支えてくださった教会員の皆様ほんとうにありがとうございました。他教会の多くの方との交わりの機会をもつことができたことは私の喜びでした。この集会には主人が毎回のように出席していたのですが、朴牧師は「黒一点にならず安心です」と言ってくださいました。
  朴牧師が千歳船橋教会をご退任されることは非常に残念で寂しいですが、健康に留意されて、先生にしかできない研究を続けられますよう願っております。

朴先生から洗礼を授けられて

入谷 眞知子


  朴先生から洗礼を授けられた極く<新しい人>として、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
  私は還暦を過ぎての受洗でしたので、先生は「お葬式が主目的な人も…」「信仰者が全て(主のお目に適う)人とは…」とやんわり釘を刺され、一層の覚悟を促されたのでしょう。しかし、早トチリの私は「コレハ大変ダ、マズハ聖書ヲ読破スルノニ1年、礼拝ニ通ッテ教会ニ馴染ムノニ3年、ソレカラ何カ出来ルオ手伝イヲスル…ト5年間ハ生キテイナケレバナラナイ」と素早く計算したのです。
  キリスト教と無縁ではなく、知識はあっても畏れる知恵はなかった私は、見るもの聞くものに、その都度目から鱗の思いでした。
  なかでも毎週水曜日10時半からの<祈り会>は、私にとって、主日礼拝や婦人会例会とはまた異なる大切な、祈り・学ぶひと時でした。聖書日課に沿った旧新約の当該箇所を輪読し、朴先生が解き明かしをしてくださるのですが、単に解説に留まらない示唆に富む数々のお話を、(勿体なくて!?否紙面の関係で)全て記すことはできません。あえて挙げれば、<聖書の読み方>でしょうか。
  2月9日、東京神学大学での先生の最終講義を拝聴し、ご挨拶を伺って、感銘を深く致しました。「…洗礼を授けた人が、信仰者として正しく歩んで行く姿を見ることが喜びです…」とのお言葉は何よりの励みです。
  朴憲郁先生、真にありがとうございました。


朴憲郁牧師との十五年

和田 眞紀子


  朴牧師が着任された2003年度の婦人会の委員は、会長が藤吉怜子姉、会計が今井紀子姉、書記が私だった。会長と会計は、北森牧師時代からの婦人会のベテランで、私は新入りの委員だった。3月30日に朴牧師夫妻と委員3人でミーティングを持った。聖書の学びのテキストについて、朴牧師からはパウロ書簡というだけで、特定の手紙への言及はなかった。私は有名な愛の讃歌のあるコリント書を提案し、その席で了承された(1)。婦人会ではいくつかの団体に献金をしていた。その席で朴牧師がACEFの理事であることが分かり、藤吉姉が隅谷三喜男先生夫妻と親しかったこともあり、ACEFへの献金を決めた(2)。(1)と(2)は4月18日の総会で承認された。
  書記としての初仕事は、総会までに電話連絡網を作ることだった。姓だけを記すのだが、招聘の段階で朴夫妻は共に韓国籍で、韓国は夫婦別姓で、夫人は韓国の神学大学の学長の娘さんだと知らされていた。私は婦人の姓の表記について思案した末、牧師に「朴夫人がいいですか」と問うた。「金姉でいい。同じになれる」とお答えになった。リベラルな考え方の牧師だと思った。5月25日発行の「教会通信」で、金姉も韓国の教会の師母としてではなく、一信徒として教会を支えたいと記されている。
  十五年間、説教は勿論のことさまざまな場面で、それまで私が知らなかった多くのことを学ばせていただいた。つつしんで感謝申し上げます。


青年会でマッサージ

石本 温子


  「朴先生、マッサージします」
  「ありがとう、よろしくお願いします」
  そういった言葉を交わすのは青年会の例年のクリスマス祝会でのこと。
  私自身、マッサージが得意だと公言し、色んな方々に肩、腕、手をマッサージする場面は、教会内ではたまにあることだけれど、ほぼ全身マッサージをしたのはもしかしたら、朴先生だけなのではと思っています。
  実は、私が青年会に入った年は、私自身が教会に出戻ってきた年であり、朴先生が赴任された年でもあります。ということは、クリスマス祝会もおそらくそれだけの年月が経ったということになります。
  不思議なもので、求道者会に入ったのも出戻ってきて割とすぐだったので、青年会メンバーとしても個人的にも、その年は様々な縁のはじまりだったように思います。それから今日まで、様々なことが怒涛のようにあって、その年年の、年の瀬にあるクリスマス祝会の自由の時間に、肩や背中のマッサージをするというスタイルは、きっかけすらもう思い出せませんが、喜んで肩を預けてくださる姿が嬉しくて、思わず力が入ってしまったこともあったような。なかなか濃い時間を楽しませてもらったのは確実でしょう。
  青年会の皆にとって、この状況は変わったものにも見えるのでは、と思うこともままあるけれど、後悔したことはないし、一年一年その時の感謝を朴先生へと伝えるひとつの行いと思っていました。しかし、朴先生の任期は今年度が最後。一年に一回のマッサージが来年度はないのかと思うと、少し寂しくも。もしかしたら別の場で、私の手を使わせてもらう時がくるかもしれませんが、それまでお元気でいらっしゃることを、切に願います。


朴先生とクリスマス

高澤 亜美子


  先生とクリスマスにまつわる想い出をふたつ紹介します。
  先生はクリスマス聖歌隊に毎年参加くださり、特に忙しいアドベントシーズンにもかかわらず、礼拝後の聖歌隊練習にいつもいそいそと加わってくださいました。テナーでもベースでも、不足しているパートへ臨機応変にその美声で助っ人する姿はとても頼もしく、また本当に歌がお好きなんだなあと、ほほえましく思いました。
  もうひとつの想い出は青年会クリスマス会です。毎年先生のご自宅にお招きいただき一緒にお祝いしました。礼拝を捧げ、みんなでダイニングテーブルを囲み、金元恵さんお手製のチャプチェやトックなどごちそうもたくさん頂きました。そして、みんなでプレゼント交換をし、今年1年の近況や恵みを語り合います。年々参加メンバーもかわり、高校生や青年会員の子どもたちも加わるようになりました。毎年その場にいる全員が豊かで幸せに満たされる恵みのひとときであることはかわりません。それは神の国の食卓とはこのようであるのかもしれないと、まだ見ぬ神の国を臨む恵みにあずかったように思います。ふりかえれば毎年この青年会クリスマス会を通して、神様の臨在と信仰がより確かにされました。
  想い出は尽きず、先生が教会を離れてしまうことはとても残念ですが、先生が立ち上げられた聖歌隊がますます力強く主を賛美できますように。また主の食卓を共に囲む交わりを大切にする教会を立てあげていくことができますように、主に祈り求め続けます。
  最後になりましたが、朴先生のお働きに感謝し、ますます神様の恵みと祝福が豊かにありますようにお祈り申し上げます。


朴先生と私たち親子の歩み

宮田 靖子


  現在9歳の娘が、まだ2歳になる頃、私たち親子は千歳船橋教会に通い始めました。初めて教会にくる私たちに、いつも朴先生は声をかけ、温かく迎えてくださいました。ある時、求道者会に導いてくださり、その時教わったことが、今の私の心に根ざしています。当時抱えていた生活の悩みもいつも気にかけてくださったので、よく話を聞いていただきました。教会に行く道中は、大きな壁が目の前にあり、不安な気持ちでいっぱいでしたが、求道者会と礼拝が終わり帰る頃には、また一週間がんばれる…と力をいただき、幼い我が子と手をつなぎ、帰路についたのを思い出します。朴先生のお話は、心地よく耳に入ってきて、心を解き放つ力があります。ご挨拶するだけでも、いつも見守っていますよ、というメッセージを感じ、安心できました。
  また、教会学校の行事では、子どもたちと同じ目線で、気さくに接してくださり、いつも楽しい時間を過ごさせていただいています。教会に一泊する夏期学校では、手遊びでカエルを作るのを小さな子どもたちに教えてくださり、娘は今でも、朴先生に教えてもらった、とよく覚えています。
  私たち親子の教会生活の始まりには、朴先生がいらっしゃり、洗礼まで導いてくださいました。この度、ご退任を決断され、正直本当にショックです。でも朴先生に教えていただいたたくさんのことを一つずつ、少しずつでもできるよう、改めて日々意識していきたいと思っています。親の介護や仕事、学校のPTAに地域の自治会活動…と年々、役割が増え、日曜日の自由が利かないことも多く、もどかしいのですが、毎週の礼拝に招いていただける自分になれるよう祈りつつ、そのような日常生活の中でも伝道につながる働きができるよう、いつも神様に心を向けていきたいと思います。
  朴先生には、たくさんの知恵と勇気と励ましをいただき、初めて教会に来た日から、7年、いつも導いていただきました。たくさんの感謝を心よりお礼申し上げます。ご退任後も、変わらぬご指導をいただけたら心強いです。本当にありがとうございました。


「導きの場」としての「讃美歌を歌う会」

米澤 二美


  「讃美歌を歌う会」は発足から30年の年月が重ねられています。当時から、練習後のティータイムに聖書のお話を聞かせていいただくことは、参加者の大半を占める未信者方々へ、聖書そのものへ親しんでいただく目的があってのことと伺っています。私がこの会を受け継いで13年になりますが、約26名の登録メンバーの内、半数以上が未信者の方です。この会に参加するきっかけや目的は様々で、はじめは勇気をもって戸を叩かれる方も多いのです。そのような方たちが讃美歌の持つ力、慰め、また共に歌う方たちとの交わりに、親しく打ち解けていかれる様子に、個々に働きかけておられる導きの主への感謝が湧きあがります。
  力強く後押ししてくださるのが、月に一度の朴牧師の聖書の導きです。「詩編」に始まり「マタイ福音書」を3年、続いて「ヨハネ福音書」を3年に亘り解き明かしてくださいました。ティータイムでリラックスした後に解説いただくので、緊張も和らぎます。社会状況などを交えながら、身近な話題も絡めお話しいただき、交わりを持っていただきます。初めて聖書に触れる方も、輪読がスムーズになり、聖書に慣れていかれるのが感じられます。未信者の方々を導く経験の乏しい私ですが、会の終わりに「指導者をお支えてください」と神さまに祈ってくださる牧師の祈りにすがり、続けさせていただいているのが現実です。時代を超えて歌い継がれ、また新しく生まれ続ける「讃美歌」が、聖書のみ言葉に裏付けられた信仰の歌であることを受け止め、未信者の方たちが、歌と出合い、人と出会い、み言葉と、神との出会いにまで深められ、新しい創意に満ちた讃美へと導かれることを願ってやみません。牧師はじめ教会員、他教会員の皆様のお支えに感謝しつつ、これからも伝道の場としてこの会が継続していけることを祈っております。


神に倣う(イミタチオ・デイ)モチーフ
朴憲郁牧師への感謝と共に

東方 敬信


  J.M.ガスタフソンの『キリスト教倫理は可能か』(1975、拙訳1987)は、「イミタチオ・デイ」を論じており、「愛によってひとが行動することについて」私の友人S.ハワーワスを引用し「神の愛の経験によって可能にされるが、しかしまた人々とその共同体についての神の目的によっても命ぜられている」(訳、95頁)という神の行為に倣うことをすすめる言葉を残している。その直前には「そこには能力を形成し育てる習慣、態度、行動の制御という過程がある」と記して、その注に彼の弟子であったハワーワスを紹介していた。その注には「ノートルダム大学のハワーワス教授は、この思考パターンを明確にするために私を助けてくれた。」とあり、さらに「彼は、歴史的テキスト、現代的テキストを集中的また精密に分析したのち『性格(キャラクター)』を「人間の生が連続性、方向性、定位をもつ、人間の自己行動の資質を規定する。」と記して、ハワーワスの博士論文を指摘していた。そして、人間の倫理行動を単に「情動」を根拠にするのではなく、むしろ「物語をかたること」(訳86頁)と結合するとした。このように、ガスタフソンは、キリスト教倫理を物語の神学との関連にあることを示唆した。そして、これを人間の倫理行為が神の行為の物語に倣う成果だとする。それは、キリスト教倫理をただの規則と義務を克服するものにしていくのである。この分析方法をさらに丁寧に論じるのが、ハワーワスの『平和を可能にする神の国』(1983、拙訳1992年)の第5章「イエスー平和を可能にする神の国の現在」の「イエス、イスラエル、神に倣う」の項目である。ここでハワーワスは、「イミタチオ」の倫理行為が個人主義的に受けとられ易いことを察知して、「外面的にコピーする」ことではないと繰り返し、「イエスのようになることは、徳目を実行する共同体の一員になることである」として、「彼に似ることは、彼と共に旅することであり、非暴力的愛という神の国の民の特徴に向かって訓練されること」(拙訳、136頁)と主張している。このようにして旧約聖書の物語を引き継いで生きることは、王、祭司、預言者に導かれる神の民の物語を語ることになり、新約聖書のイエスの生涯と十字架・復活の物語を語り継いで生きる神の国の物語にパウロの手紙も加えて、倫理学を聖書物語に直結したのである。
  この点で、ガスタフソンも前書において、きわめて示唆的であった。なぜなら「聖書物語に育まれた人々」(96頁)によるとイミタチオになる代表的なものが、ヨハネ福音書第8章が示唆的だとしているからである。「イエスのある行為についての福音書の記事が心に浮かぶ」と記し、それは、「姦淫の女にむけられた報復的正義の主張に対する、敵意をしずめる応答『罪のない者が、まず石を投げるが良い』が心に浮かぶ。」(同頁)というのである。この点はまさに聖書物語のもつ挑戦的な神の愛のリアリティーとそれに対する応答の物語である。それをガスタフソンは、さらに「神の愛の行為に感謝して、宗教的人間は愛によって行動する意図をもつ、つまり神の行為に共鳴し、それに学んで行動する」(拙訳98頁)と記している。ガスタフソンは、これを「神のヴィジョン」に生きることと言う。この点でも、ハワーワスは、旧約預言者も「イスラエルに語りかけたのは、つねに神に倣う者(Imitator Dei)の使命に立ち返ることである。」(拙訳、138頁)と聖書物語にリアリティーを示され、「神の独自な性格を反映するように語りかけた。」(同頁)とキリスト教倫理を聖書物語に近づけた。それは、福音書によると、イエスに倣うことに収斂する荒野の誘惑に示されることにもなる。しかも、それは「暴力的世界において平和に生きることができる変革された民を創造する神の力を発揮する(拙訳、147頁)」ことになる。ところで、S・ハワーワスと同じデューク大学神学部で責任を負った、新約聖書学者リチャード・ヘイズは、小著ながら重要な『新約聖書のモラル・ヴィジョン』を記した(1997、河野、東方訳2011)。なぜなら、それは、聖書の*使信に耳を傾けながら生きることを明らかにしてくれる研究だからである。いわゆるキリスト教原理主義の立場にたつ人は、聖書の言葉を字義通り受け取り、現実をそのなかに押し込もうとするが、リチャード・ヘイズは、聖書のもつモラル・ヴィジョンをその時代背景から受けとり直し、それと異なる現代社会に対する新鮮なモラル・ヴィジョンとして提示した。このような研究に至るには、アメリカの神学史におけるキリスト教倫理学と聖書学の対話という背景があった。現代社会において政治倫理や生命倫理や経済倫理さらには環境倫理などの課題にとりくむキリスト教倫理学は、科学技術文化の最先端に位置する社会で発展し、また啓蒙主義以来展開してきた歴史学は、文献としての聖書を研究する学問を発達させてきた。そこで、J・ガスタフソンは、「過去30年、倫理学に対する関心が高まり、また聖書の学問が急成長したにもかかわらず、両者の研究成果を学問的に重ね合わせようとするものが少ない」(1984年、Christian Ethics and the Community)と問題提起をした。それから、キリスト教倫理学で聖書の使用の仕方を論じるものが次々と現れ、聖書学においても倫理的な課題に取り組もうとする研究が出はじめた。そこに、新約聖書学者リチャード・ヘイズの500頁以上の大部な『新約聖書のモラル・ヴィジョン』という書物が1996年に出版され、大きな反響を呼んだ。そのダイジェスト版が『新約聖書のモラル・ヴィジョン、共同体・十字架・新しい創造』である。
  私は、先に「聖書の使信に耳を傾けながら生きる」という言い方をした。それは、私が在外研究中にリチャード・ヘイズとも語り合ったが、「聖書を読む」という言い方より、聖書学と組織神学やキリスト教倫理学の対話を考えると、「聖書に生きる」という言い方の方が大切だと考えるからである。文化史として考えると、ドイツに起こった宗教改革から始まったプロテスタント的伝統は、まず「教養市民層」を生み出し、19世紀には「文化的プロテスタンティズム」となり、イギリスやオランダやアメリカにおいてプロテスタントのエリートたちが大学や文化領域においても優位を占め、文化的影響力を誇示した。聖書を土台とするプロテスタント信仰は、「書物の宗教」として読み書きを教える「読書文化」にも貢献しそれを促進した。日本でも明治期に宣教師から伝えられたキリスト教は、聖書を読んで知的に納得する教養市民層を生み出したのではないか。いやその一部を生み出したのではないか。しかし、聖書は、その使信に耳を傾けながら生きることを促す書物である。本来、救い主イエス・キリストと出会った人々は、罪赦され新しい生と新しい共同体に招かれ、そこに希望の歩みを展開していく。それは、個人として知的に納得するだけでなく、弟子としての訓練をうけ、まわりの世界に証しすることであった。このように生き生きと希望に生きる生き方が生まれ、聖書の使信に参加する人々が多くなることを願う。私自身があるキリスト教書店で、S・ハワーワスの『平和を可能にする神の国』(1983年、拙訳1992年)に出会って、その聖書物語に生きる姿勢に触れたのも、啓蒙主義的歴史学で聖書に接近するのではなく、キリスト教信仰の生き方を示してくれる聖書物語に出会いたかったからである。礼拝生活においても、朴憲郁牧師の御専門のパウロ研究に裏打ちされた説教に出会うためであった。千歳船橋教会に出席させていただくようになったのも朴牧師の説教の力強さと確信性に触れさせていただきたかったからである。私の妻久美子も養われ、私もみ言の説き明かしに励まされ感謝の他はありません。共にキリスト教教育を志し、教会生活に励むことができたことを深く感謝し、朴憲郁牧師の停年後の日々を癒しと新たなご研究の生活の恵みをお祈り申し上げます。
  (編集注) *使信:福音のメッセージ


朴牧師のご退任に寄せて

須田 則子


  朴先生とそのご家族がいてくださったことは教会の大きな実りとなったことを思います。わたしのように身内にキリスト者がおらず、しかも独り者にとっては、信仰で結ばれたご家庭の様子は、うらやましくもあり、神様の素晴らしさを知る証しでもありました。そして、教理の面で誤りのない説教をお聞きすることができたのは、大きな特権であったと思います。教会の歩み、個々人の歩みを整える根幹となる御言葉を与えてくださったことに感謝いたします。これからはできましたら、お体を気遣い、少しのんびりしていただきたいですが、先生のことですから、きっと研究等々に、より集中されるかもしれません。ご家族皆様への変わらぬ祝福をお祈りいたします。
  また、わたくしにつきましては、山畑先生による新しい体制では協力牧師は不要となるため辞任させていただきました。13年前、初めてうかがった時、教会員の方々が自立していると印象を持ったことを思い起こします。あまりお役に立てませんでしたのに、これまでお支えいただいたこと、祈っていただいたことに感謝いたします。教会訪問等、恵泉女学園の生徒へのご配慮にもお礼を申し上げます。これからも礼拝に出席させていただきたいので今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


朴憲郁先生への感謝

魯 恩碩


  私はこの2年間、毎週千歳船橋教会で朴憲郁先生の説教と温かいお言葉に大変励まされ、朴先生から忘れることのできない恵みを頂きましたことを心より感謝しています。2月9日に東京神学大学での朴先生の最終講義にも参加させていただきましたが、そこで朴先生は次のように述べられました。「日韓両文化価値の間に立つ境界人として、福音によって自己を回復し、平和と信頼の社会構築のための変革に寄与し、数々の壁を取り除く統合的和解のプロセスこそ、真のキリスト教教育の姿ではないでしょうか。… 私の場合、例えばヨセフ物語を自分のことのように読み解きます。兄たちの嫉妬とたくらみでエジプトに売り飛ばされた不運なヨセフは、後に神のご計画を知り、最後に食料を買い求めてきた兄たちを恨むのでなく、和解します。」そこで私は、宗教的少数者であり民族的少数者でもある朴先生が、その人生の中で直面した数々の試練と苦難をどのようにして乗り越えて来られたのかに関する一つのヒントを得たような気がしました。私も朴先生の素晴らしい生き方に学び、和解と赦しの信仰を持って、日本社会に福音を宣べ伝える者として歩んでいきたいと強く思う大切なひと時でした。朴先生、同じ韓国人として朴先生を誇りに思います。私もその足跡を少しでも歩めるように頑張ります。本当にありがとうございました。


◇教会員を偲んで◇

永遠のふるさとに

佐藤 正隆


  4年半前に受洗した折、藤吉さんがお祝いの葉書をくださいました。
  〈あなた様の御受洗で感激しつつ、讃美歌も実感こもりました。伺えば、一緒にいた生徒さんから先生でいらっしゃる由、何か親しみを感じました。私も元小学校教師…〉
  その後、私が以前に制作スタッフとして参加した演劇の演出家だった著名な深町幸男さんが、藤吉さんのいとこの方と知り、親しくお話しするようになりました。礼拝のあとに、度々食事をご一緒しました。藤吉さんは、たまに「がっつりしたお刺身が食べたい」とおっしゃいましたが、ランチではなかなか…。その迫力、いつもとは違うものを感じました。伊豆のご出身と聞いて、なぜか納得しました。施設に入られてからも時折おしゃべりに伺いました。
  藤吉さんはお会いした後に、よく葉書をくださいました。今、手に取ると藤吉さんの声が聞こえてきて、込み上げるものを押さえることができません。その葉書の一枚です。
  〈お母様が一〇三才でこの地上を去られ、お寂しく心塞がれた日々だったと存じました。でも母上は永遠のふるさとに帰られ、今は安らかそのものと思います。私達はいつかは終わります。その日まで「生きる」とは、むつかしいけれど、罪の赦しに生かされて生き抜きましょう。「わたしを信じて生きなさい」と主は言われ続けます。〉
  またあるときの葉書に
  〈大空を 弧を描きつ
  鳥 おおらかさ〉
  永遠のふるさとへ。


◇特別寄稿◇

行ってきます

朴 大信


  約15年にわたる千歳船橋教会での生活に区切りをつける時がやって来ました。私にとっては、信徒としての区切りでもあります。4月から長野県・松本東教会に伝道師(主任担任教師)として赴任することになりました。
  青年期をめいっぱいこの教会で過ごさせていただいたという感覚です。振り幅の大きいこの時期に、皆さんとの交わりの中でとても豊かに育てられてきました。奉仕の機会も次第に多く与えられるようになり(CS、青年会、聖歌隊、各種委員会、役員など)、そこでの働きと出会いは代え難き喜びとなって刻まれています。喜んでいるのは私一人だけはありません。この間結婚をし、娘を授かり、家族としても絶えず温かく支えられてきました。教会に来る毎に、次がまた楽しみになってゆく教会生活でした。
  伝道者として献身してからは、多くの励ましと祈りに支えられながら、神学生としての目線で、千歳船橋教会の豊かな伝統と礼拝、教会形成的な様々な諸行事・交わりに多くを学ばされてきました。奨学金によってもどれほど助けられたことでしょうか。
  大きな節目を迎えるにあたり、今思うこと。それはこの区切りが感傷的なお別れではなく、「宣教という愚かな手段」(第一コリント1:21)を尽くして福音伝道に遣わされる喜びの旅立ちだということ。またこの新たな一歩は、神の救いの御業の中での一手だということです。そう確信できるこの信仰は、家庭の信仰と共に、皆さんとの教会生活を通して育まれたものであり、私の献身の志は、主イエス・キリストを頭とするこの教会共同体が生み出したものです。そしてこれから私が出かけて宣べ伝えようとする福音は、この教会を生かし続け、さらに世界の果てにまで届けられるべき、世にはなき喜びの知らせです。
  感謝をこめて、行ってきます!帰るべき場所は、ただ一つ。御国への旅路を共に歩み続ける、主にある兄弟姉妹の皆さんとの出会いを生涯の宝として。


足跡をしっかりと

沈 行美


  私が千歳船橋教会に来たのは5年前のことです。その間に夫が献身することになったこと、娘美礼が生まれたことは、神様がお与えになった大きな出来事でした。そして今後、更なる大きな出来事に向かっていよいよ出発の時がやって来ようとしています。
  千歳船橋教会での教会生活を振り返りますと、様々な出会いや学びがありました。教会修養会や青年会では普段よりもゆっくりと信仰のことを見つめ、交わる時間として過ごせました。また娘が生まれる前には、微力ではありましたが、伝道・教育委員会やCSで奉仕させていただいたこと、また聖歌隊で賛美したことは、教会をよく知っていくだけでなく、より愛することに繋がりました。教会という木の枝として奉仕に尽くされている教会員の方々の姿がいつでもそこにあったということ、それは愛と信仰の証しだと思います。
  そんな千歳船橋教会にいる間に授かった娘美礼の存在を、教会の中で喜びとして迎え入れてくださったことを心から嬉しく感じました。昨年のイースターでは、まだ娘は抱っこされるがままの小さな姿で幼児洗礼を受けました。今では自分で歩けるまでに成長しています。今ここに至るまで私たち家族が導かれて、千歳船橋教会で礼拝を守ることができたのは、すべて神様の恵みであることと信じます。 千歳船橋教会の皆さまと共に歩んだ足跡に励まされながら、私たち家族もさらに前へと、主イエスの信仰の足跡をしっかりと踏みしめていきたいと思います。千歳船橋教会の皆さまもそうでありますように北アルプスの地より祈っています。


編集後記

2017年度最後の「教会通信『春』号」をお届けします。
  朴牧師退任特集がもりこまれています。
  編集作業中、浜辺兄の訃報をききました。教会に来るとまっすぐキッチンに行って無造作にお茶の葉の袋を机の上においていく姿を思い出しました。何気ない行動が印象的だった、と思っていたら今度は今泉兄……。
  春は、出会いと別れの季節と言いますが、それを痛切に感じる春になりそうです。(書記委員会)


発行者  朴 憲郁
編 集   書記委員会
発行所  東京都世田谷区桜丘5-26-16

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