日本基督教団 千歳船橋教会教会通信
教会通信 「春」号 2017年3月19日発行          No.16−3


◇神の静けさ◇

世代を超えたキリストの体に連なって

牧師 朴 憲郁(パク ホンウク)

都会の喧噪を離れて、春の訪れを告げる鳥のさえずりや木々が芽を出す山林に身を浴しながら、私たちは神の静けさに思いをはせます。そして、静けさの中で神の語りかけに耳を澄まします。
  今年の教会暦に従って、3月1日の灰の水曜日から受難節(レント)が始まりました。主イエスが斬新な神の国運動を押し進めながら、次第に十字架の道を歩まれたことに、私たちは自らの信仰の歩みを重ね、悔い改めと克己の季節を過ごします。イエス・キリストの受難を心に刻みつつ、自分自身にも打ち克つ時、克己の時とするためです。
   福音書が描く受難物語は、十字架上の御子が苦しみの中から父なる神に叫び求めた言葉によって頂点に達します。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ福音書15:34)。日々の祈りの中で親しく交わり、意志を通じ合わせた父なる神がこの場面では何もお答えにならない。この静けさは安らぎでなく、恐ろしいほどの沈黙の瞬間です。人が真剣に祈り求めれば与えられ、答えてくださると約束なさった神(マタイ福音書7:7)が、こうした試練の場面で沈黙なさることがあるのです。私たちもしばしば試練の場面で、それに類することを経験いたしますが、十字架上の主イエスの場合はその極みです。
   先日、映画化された遠藤周作の『沈黙』を映画館で鑑賞しました。アカデミー賞に輝く映画人の巨匠、マーティン・スコセッシ監督によって、ハリウッドと日本の豪華キャストが集結したこの映画を見て、昔この小説が発刊され、私が高一の頃に読んだ時の強力な印象が、彷彿と蘇ってきました。舞台は17世紀、江戸時代の長崎における激しいキリシタン弾圧の時代です。原作に忠実に沿って制作されたと思われる映画「沈黙」の終局で、激しいキリシタン弾圧に屈して棄教していたイエズス会の高名な宣教師フェレイラと、彼の棄教を激しく非難するセバスチャン・ロドリゴ神父との再会における激論がクライマックスではないかと思われます。
   ロドリゴのせいで、棄教してもなお残酷な拷問にあう信徒たちを目のあたりにし、ロドリゴは、神はなぜ沈黙するのかと嘆きます。信徒の命を守るのか、信仰を守るのか、最後の選択を迫られ追い詰められた孤独な彼の決断・・・ それは踏み絵を踏んで屈辱的な仕方で棄教することでした。棄教による彼の新しい名は岡田三右衛門。
   映画にも反映された原作『沈黙』には、いろいろなモチーフが織り交ぜられています。布教国日本の宗教的精神土壌は不毛な沼地(汎神論的風土)である、何度も棄教してはパードレ(神父)の前で赦しを乞うキチジロー(吉次郎)における<神の赦しとは何か、信仰とは何か>、母性的な赦しと愛の神をもっぱら説く日本宣教が求められるのか、苦難の局面における神の(介入とは反対の)沈黙は何を意味しているのか、神の不在なのか、いや、苦しみの同伴者キリストなのか、等々。遠藤周作は、ヒューマンな視点からの宗教的人間論、布教論を忌憚なく描き出して、孤独な現代人の心を揺さぶる文学的才にたけています。今回の映画の俳優たちも、見事にそれを演じ切りました。しかし、絶対的な権力と栄華を極め、バテレン撲滅を果たした豊臣・徳川幕府のような国家権力とそのイデオロギーといえども、永劫には存続せず、永遠者の前で朝露のごとく消え去っていくとの視点からの論を展開してはいません。
   私が若い頃読んだ周作の『死海のほとり』だったと思いますが、そこでは、イエスの十字架上の叫び(マルコ福音書15:34)が彼の愛読した詩編22編に従って始まり(2節)、絶望で終わらず神信頼の祈りにつながっている(23節以下)ことを示唆しました。これは、周作の卓見だと思います。
   『沈黙』ではなく『聖書』のメッセージに立ち返りますが、御子が十字架上で最後に自らの魂をゆだねた父なる神は、御子を死の世界に捨て置かれることはありませんでした。むしろ、死と罪の支配から引き上げて、勝利させてくださいました。この勝利による真の平安(シャローム)を、復活者イエスは弟子たちにお与えになります(ヨハネ福音書20:19〜21)。勝利に裏付けられた平和・平安によってこそ、神の静けさは慰めに満ちた希望の徴となります。


◇行事報告◇

■クリスマス


クリスマス讃美礼拝

津下旧Z

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)
  礼拝堂に大きく響き渡る聖歌隊や一同で歌う讃美歌、司式者の聖書朗読、牧師の説教など、キリストの降誕をお祝いする教会の一大イベント「クリスマス讃美礼拝」の準備は、11月の中旬から始まりました。
  まず、讃美礼拝のご案内の基になる通知ハガキ、チラシ、ポスターなどは、今回も素敵な絵が描かれて制作されました。その後、塀に貼られたこのポスターを、何組もの親子連れが立ち止まり、楽しそうにじーっと見つめている姿を見かけました。ハガキ(220通)の発送、チラシ(700枚)の配布、ポスター(10枚)の貼付などは手分けして行われます。
  11月27日のアドベント入りに合わせて、教会建物の内外へ、クリスマスツリーやイルミネーションの飾りつけが行われ、点灯も開始されました。また、12月の上旬には150本のペンライト点検と電池入れ、聖歌隊が着る45着ほどのガウン点検、当日ご奉仕いただく方々の軽食手配など、役割ごとに定められた担当者が責任をもって行います。12月の中旬からは、讃美礼拝プログラムの制作についての原稿の作成、校正、印刷、折り込み作業などを進め、160部を完成いたしました。
  一週間前には、礼拝堂へ聖歌隊席の設置をします。CSホール、祈祷室から重い長椅子を移動させるために、たくさんの方々がご協力くださいました。
  讃美礼拝当日は、司式者、受付、出席者の誘導、聖歌隊の誘導、献金などの係を配置いたします。天候に恵まれた当日は受付の混乱もなく、スムーズに入場していただけました。出席者数は合計121名、男性39名、女性82名でした。今回は3連休の谷間ということもあり、例年よりは若干少ない人数でしたが、「讃美歌が心に響いてすごく感動した。」「独特な雰囲気の中で、楽しい時間でした。」「礼拝に出席して良かった。」などの感想を聞くことができました。
  終了後の後片付け、翌25日の礼拝準備など順調に行われ、神様のお導きにより、全てが無事に終わりましたことを心から感謝いたします。


私のクリスマスイブ

山下 舞


私は1歳くらいの時にこの教会に初めて来ました。教会の人たちはみんな優しくて、とても居心地がよかったです。中学生になってからは部活など予定が立て込んで教会にもあまり行かなくなってしまいましたが、教会学校の先生方は行事のお知らせやお手紙などをくれて、嬉しかったです。
  今年も部活やテストでクリスマス前は忙しくて聖歌隊の練習もギリギリでしたが、私は歌うことが好きで、またクリスマスイブ礼拝ではたくさんの人と神様を賛美できるので、どうしてもクリスマスは教会で讃美歌を歌って、聖書の御言葉を聞きたくて、聖歌隊に参加することにしました。
  練習日のうちの一日は、期末テスト週間でしたが、先生方がCSホールを使っていいと言ってくれたので、礼拝と聖歌隊の練習のあとはそこで勉強できて、すごくはかどりました。
  そして迎えたクリスマスイブの夜。
  今年は子どもの数が少なかったこともあり緊張感がありましたが、リハーサルの時は小学生の子たちとも仲良くなれて嬉しかったです。
  みんなで一緒にサンドイッチを食べてガウンを羽織り、神様にお祈りをしていよいよ本番。私たちはみんな緊張しながらも礼拝が楽しみでしょうがなく、ずっとそわそわしていました。礼拝でのことは緊張であまり覚えていませんが、とても楽しかったです。
  来年もまた出られたらいいなと思いました。


◇活動報告◇

■青年会


青年会の活動2016年度

篠田 速人

 青年会は毎月部会がある週に例会を持つことにしていますが、行事等が重なってできない時もあるので、できる時には集まって例会を行っています。普段例会では連絡事項や行事などに関する会議の後、学びの時間を持っています。今年度は四竈揚先生が書かれた『この最後の者にも』をテキストとして、毎回発表者を立てて、それぞれの視点から発表して、そこからさまざまな意見が飛び交い共有していくという形で学びを進めています。
  教会行事では、バザーで販売をすることが毎年恒例となっています。今回はチヂミとフランクフルト、そしてチャプチェの販売も担当しました。チヂミは前の日から材料の仕込みをやりました。100食も作るとなると、手分けしてやってもかなり時間がかかりました。当日、私はチヂミの売り場を担当しました。一時的にお客さんが集中して慌ただしい時間帯がありましたが、おかげさまで今回も完売しました。来年度は何をやるかは分かりませんが、またやりたいなと思いました。
  3月には青年会最大の行事である修養会があります。ここ最近は外の施設が取れなくて教会に泊まったり、祝日1日だけになったときもありました。私の記憶が正しければ、2011年の震災直後に予定していた施設が使用できなくなって、急遽教会でやることになって以来ずっと教会内での開催だったと思います。今回は久しぶりに外の施設で1泊する予定です。日曜日の昼に出発して片道約2時間かかる場所なので、使える時間は少ないですが、今から楽しみです。
  最後にこれまで青年会を見守り支えてくださった方々に感謝申し上げます。これからも青年会を温かく見守ってくださるようお願いいたします。

■聖歌隊

聖歌隊の奉仕に参加して

牧師 東方 敬信

私は、男声が足りないから聖歌隊に入ってほしいという願いを聞いて、2015年から喜んで聖歌隊に入って奉仕しています。「なぜ喜んで」かと言うと、青山学院の大学生時代に「オラトリオ・ソサエティー」という合唱クラブでベース(バリトン)を歌っていたからです。当時の指導者・指揮者は、奥田耕天という教授でした。奥田先生については当時の仲間たちは「奥天」「オクテン」と呼んでいました。伴奏者は、岡井晃という助教授でした。岡井先生は、後に東北大学の教授となられました。そして時々奥田先生のお嬢様の「草間美也子さん」も伴奏者として参加してくださいました。部員はざっと130人ほどで、週3回は練習していました。私は大学3年の時に部長として選挙され責任も担いました。家内久美子もその時の短大から参加していた書記でした。毎年12月にはヘンデルの「メサイア」を上野の文化会館で読響などの伴奏で演奏しました。恵泉・青山・YMCAの「KAY合唱団」として初夏にはメンデルスゾーンの「エリヤ」やバッハの「ロ短調ミサ曲」などの演奏会をしました。 
  ある時、奥田先生が「研究室」に寄るように言われたので行ってみると、ご自分の紺のブレザーを私に着せてみて、「これ君に合うから演奏会ではこれを着るように」とプレゼントしてくださいました。私はしばらく呆然としましたが、それを演奏会用として着用していました。このような経験から「喜んで」教会の聖歌隊の奉仕に参加させていただいています。ちなみに東京神学大学を卒業して最初の任地が都心の「銀座教会」でしたが、そこでも奥田先生は、教会聖歌隊の指揮者として奉仕されており、再会を楽しみました。人と人の間に経験させていただいた愛を意義深い価値として感じさせていただきました。このような思い出に背中を押されて賛美しています。


■讃美歌を歌う会


心よりいず 再び心に至らんことを

米澤 二美

 表題はベートーベン晩年の作品「ミサ・ソレムニス」冒頭に記された言葉ですが、信仰と祈りから生まれた讃美歌もまた、再び、口ずさむ方の心に種まかれ、歌い継がれていきます。メロディーが心を捕らえ、詞によって心(腑)に落ち、ハーモニーによって友との連帯を深めていることに気付かされます。
  「讃美歌を歌う会」はおよそ20名。未信者の方、他教会員、当教会員がほぼ同数参加されています。年齢は50代から90代まで、近くから遠くから、友だちと、また親子で参加されている方もあります。個性も関わり方も様々であるにもかかわらず、「光は私たちの周りを廻り」と若松さんが表現してくれているように、恵みと喜びと平安を分かちあう集いになっています。月に1度、朴牧師による聖書の学び(ヨハネ福音書)をとおして、愛の源である主イエスについて解き明かしを頂きます。それぞれの讃美が礼拝への捧げものへと導かれることを祈り求めたいと思います。


「讃美歌を歌う会」に参加して

若松 和子

 朝、柔らかな光がステンドグラス越しに礼拝堂に差し込んでいます。光は私たちの周りを廻り、一緒に讃美歌を歌う友の、声と気持ちとを一つにしていくように感じられます。
  近所から風に乗って流れて来た歌声に「きれいな曲ですね」と声をかけたのがきっかけで、この会を知り、参加するようになって4年が経ちます。最初、楽譜を見て難しいと思った曲も、どこかで聴いたような懐かしさを感じることができました。歌詞は美しい音楽に乗って、私たちの生活の中に息づいていくように思いました。日常の生活や、身の回りで起きる出来事の中で、歌詞が口からフッと出てくることもあります。
  先日、友人たちとの新年会で ♪古いものはみな 後ろに過ぎ去り〜 という讃美歌をみんなで歌いました。新しい年を、仲間と共に迎えられる喜びと感謝の気持ちが共感できました。讃美歌は毎日の暮らしの中で、見過ごしてしまいがちな思いを、言葉によって気付かせてくれます。声に出して初めて、言葉が心に、より響くのに驚いています。米澤さんが時代背景や、作者のこと、曲が生まれるエピソードなどを話してくださいます。時を超えて歌い継がれる讃美歌の心を知り、より深く歌えるような気がします。
  「讃美歌を歌う会」はおよそ20名。未信者の方、他教会員、当教会員がほぼ同数参加されています。年齢は50代から90代まで、近くから遠くから、友だちと、また親子で参加されている方もあります。個性も関わり方も様々であるにもかかわらず、「光は私たちの周りを廻り」と若松さんが表現してくれているように、恵みと喜びと平安を分かちあう集いになっています。月に1度、朴牧師による聖書の学び(ヨハネ福音書)をとおして、愛の源である主イエスについて解き明かしを頂きます。それぞれの讃美が礼拝への捧げものへと導かれることを祈り求めたいと思います。

◇転入会者の声◇

転入会に際して

魯 郁子

  昨年のクリスマスに息子と共に千歳船橋教会に転入会を許され、心より感謝しております。私は2004年のイースターに、実家の近くにある京都洛西バプテスト教会で受洗いたしました。私が生まれ育った家庭はクリスチャンホームではなく、私にキリスト教信仰を持つきっかけを与えてくれたのは夫でした。
  結婚後には、夫と共にニューヨークで生活することになり、韓国人教会での教会生活が始まりました。当初、全く韓国語を話すことができなかった日本人の私を温かく受け入れてくださり、いつも励まし助けてくださった教会のみなさんに今も感謝しています。そして、日韓関係が悪化するたびに、「神様の目から見たら、韓国と日本は兄弟のようなものだよ」とハルモニたちが私を気遣って言ってくれたことを懐かしく思い出します。
  日本や海外での教会生活の中で様々なことがありましたが、主が導いてくださり、多くの方々の祈りに支えられて今日まで歩んで来られたことを感謝しております。神の御前で誠実に生きることができるように、これからも祈りながら信仰の歩みを続けていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


客員として本教会に出席して

牧師 魯 恩碩

  私は魯恩碩(ロ・ウンソク)と申します。ソウルで生まれた韓国人です。私はドイツのMünster大学で神学を勉強し、旧約聖書学で博士論文を書きました。Münster大学で博士号を取得した後には、京都で日本の文化や宗教について学ぶ機会を頂き、その時に妻の郁子と出会いました。その後、アメリカのニューヨークで結婚し、ユニオン神学校で客員教授を務めながら、ニューヨークにある韓国人の移民教会で教育牧師として牧会を始めました。同じニューヨークにあるフォーダム大学でも教える経験を積んだ後に、2008年から東京の三鷹市にある国際基督教大学でキリスト教概論や旧約聖書学などを教えています。
  千歳船橋教会については、日頃より尊敬している朴憲郁先生が主任牧師として牧会されておられることを知り、以前から関心を持っておりました。『神の痛みの神学』の北森嘉蔵先生が創立された伝統ある教会であることも存じておりました。このような教会で客員牧師として出席することが許され、大変喜ばしく思っております。足りないところばかりの私ですが、千歳船橋教会で皆様と共に一信仰者として歩んで行きたいと願っております。

◇教会と私◇

教会生活について

三瀬 啓介



   私も昨年11月の誕生日で81歳になりました。腰痛と高血圧と糖尿病で、歩くのもままならず、50メートルも歩くと休まないとなりません。何回か転びました。CTやMRIを撮って、頭を調べても年相応で特に悪いところもありませんでした。これも主の恵みと感謝しています。
  クリスマスにはCSからカードをもらいました。「共に座って、出席できるのが恵みです。」
  クリスチャンにとって、主の祈りと聖餐式が大切だと思います。クリスマスには日曜礼拝に出席できました。今後ともよろしくお願いいたします。壮年会から皆様の寄せ書きをいただきました。元気がでました。読書会にもできるだけ出席したく思います。昨年1月には右目の白内障の手術をしました。聖書も讃美歌もよく見えるようになりました。神さまに感謝します。左目も近く手術する予定です。お祈りください。
  栄光在主


◇特別寄稿◇

子育てが始まって

朴 大信


  「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか。」(ローマの信徒への手紙10:15)
  美礼(みれい)が産声をあげたその日、私は足の怪我で松葉杖状態でした。自由に抱っこができないどころか、逆に自分が初産直後の妻のお荷物となってしまう始末…。美しさとは程遠い姿でした。
  あれから約3か月。ちょうどクリスマスの日から我が家での生活が始まり、今では春の訪れとともに、娘は呼びかけに応えるような笑顔を見せてくれることも多くなりました。抱っこをしていると、まるでホッカイロのようにポカポカと熱が伝わってきます。そして命の鼓動と主の息吹がじわじわと感じられ始めます。「いついかなる時も、御前に礼拝する者とされ続ける美しさに生きてほしい」。そんな願いを込めながら、幼子の名を呼んでいます。
  くじけた足を立たせてくれるのは、まだ自分で地に足もつけられない、この娘の存在なのかもしれません。美しさの源であるお方を指し示してくれる娘に、私たちも親として日々育てられているようです。親といっても、妻の方は私よりもはるかに早く、母親として成長しているようですが…。主と皆さんからの愛を体いっぱいに受けながら、娘が教会の中ですくすくと育っていけるよう、今後ともお交わりをよろしくお願いいたします。

編集後記

 執筆者の方々の協力を得て復活節を前に「春号」をお届けします。
  聖句を縦横に示された巻頭言は今の時代を生きる私たち一人ひとりの信仰を問われています。
  神の沈黙のあとに勝利に裏付けされた平和のあることを信じたいと思います。教会外の方たちにもこのメッセージが届きますように。
  (書記委員会)


発行者  朴 憲郁
編 集   書記委員会
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