日本基督教団 千歳船橋教会教会通信
「秋」号  2017年 11月26日 発行 No.17-2


「全信徒祭司性」
―教会一泊修養会テーマより

牧師 朴 憲郁(パク ホンウク)


今年は、プロテスタント宗教改革500周年を迎えています。ルターによる宗教改革の三大原理は、聖書のみ、信仰のみ、万人祭司と言われ、日本のキリスト教会でも明治期から最初の二つは特によく説かれてきました。しかし三つ目の原理は、どうも真剣には受けとめられてこなかったように思われます。日本語では<万人祭司>というアピール力ある訳語が定着しましたが、das allgemeine Priestertumというドイツ語は本来、正確な邦訳として「全信徒祭司性」と言うべきでありましょう。それが<万人祭司>と訳されますと、非キリスト教徒を含めた<万人が祭司>の意味に受け取られ、さらに万人祭司制度を意味するものと誤解されるきらいがあるからです。
「全信徒祭司性」とは、神と人との真の仲保者・祭司となってくださった御子キリストへの信仰が前提となっています。そこから実は、私たちが信じ仰ぐキリストご自身の権威ある委託を受けて、聖職者と信徒の区別なく、全信仰者が尊い祭司の務めを互いに果たすのです。この主張には、当時のローマ・カトリック教会のヒエラルキー(聖職者の支配構造)に対するルターの痛烈な批判が伴っています。聖礼典と説教と聖務に当たる聖職者は必要であるが、それは高い地位にあるからではなく、他の信仰者たちの間にあって、一つの役職・機能を担っているからにほかならないのです。
 あれから500年が経過しましたが、他の二つの原理と共に引き継いだ第三の原理は、プロテスタント諸教会の中でどう生かされているでしょうか。これを、今年の一泊教会修養会のテーマに定めるのは意義があるのではないかと、私は春頃から考え、それを役員会に提案したのでした。
 確かに教派によって教会組織としては監督制度、長老制度、会衆制度の三つのタイプに分かれますが、いずれにせよ、第三原理がうまく機能しない場合に、牧師と信徒の関係で申しますと、一方で牧師の独裁的権威主義がまかり通り、他方では逆に信徒が伝道・教育・奉仕の主要部分とその決定を牧師・伝道師に任せてしまうことが起こります。千歳船橋教会の主任であった熊澤義宣牧師は日本の諸教会にみられる後者の傾向を指摘し、それを「牧師ぶらさがリズム」だと皮肉って批判しました。これは、第一コリント書12章で語られますように、聖霊の多種多様な神からの賜物がキリストの体なる教会に連なる信徒一人一人によって十分に発揮されることを願っての発言でありましょう。それが日本の教会を何倍にも活性化する道となるであろうと、私も確信するところです。
一泊教会修養会に参加できなかった方々にも共有していただくために、初日の午後お話した主題講演の要旨を箇条書きにまとめて、締めくくりとします。
<序>
 宗教改革三大原理(聖書のみ、信仰のみ、万人祭司)の第三原理:das allgemeine Priestertum→「全信徒祭司性」(万人祭司制度ではない)、これはルターによる宗教改革の初期の書物で強調された(1520年の三大文書「キリスト者の自由」、「キリスト教界の改善について、ドイツ国民のキリスト教貴族に与う」、「教会のバビロン捕囚について」、1523年の「教会の教職の任命について」)。「・・・キリスト教貴族に与う」の中でこう批判する。教皇、市況、司祭や修道士たちが霊的階級で、諸侯や君主、手工業者や農夫がそれより劣る世俗階級であるとの考えは「驚くべき巧妙な作り事及び偽り」であると。そして第一コリント書12章の体と肢の譬えによる教会に基づいて、「すべての肢体は、他の肢体に仕えるために独特のわざをもっている」とし、「すべてのキリスト者は真に霊的階級に属し、ただ職務のため以外には、彼らの間に何らの差別も存在しない」と宣言し、第一ペトロ書2章9節(ヨハネ黙示録も)を引用して「私たちはその言葉通り、ことごとく洗礼によって祭司として聖別された」と教える。
  こうしてルターは、すべてのキリスト者が神の恵みと使命をもつ十分な成人であり、教職者であれ信徒であれ、等しく祭司の務めと責任を委ねられていることを強調した。
  →教会修養会の主題に定めた狙い:「全信徒が祭司として神に用いられ、生き生きと愛の業に励む教会となるために」。
  1.第一ペトロ書2章9節の意味(ローマ書9:1〜5も参照)
   神が旧約時代に約束した救い(過去)が、御子キリストにより「新しいイスラエル」(教会)において実現した(現在)。これは世の終わり(将来)における最後・決定的な祝福・救いの先取りである。祭司共同体としてのキリストの教会/信徒の存在の意義。これに暗闇の民への伝道の務めが伴う(10節)→現在の「祭司の仲保的役割」は神と人、人と人との間にあるが(大祭司キリストに基づく)、1ペトロ2:9によれば、過去と将来との間にもある(救済史的視点。朴牧師)。
  2.信徒の祭司性は<霊性>に基づく
  信徒の祭司性は、役割・職務に先立ち、御言葉と信仰による「霊的(内的)存在」によって保持される。この一点から、当時のローマ・カトリック教会のヒエラルキーを構成する教会身分を打破し得た。
  3.霊的秘儀である信徒の祭司性は、意外にも社会の変革的原理(例:職業観、ピューリタン革命、民主主義)
  4.祭司性の独占を克服する課題
   全信徒が祭司性を発揮する教会へ
   それを求めた教会形成論の一つに、「万人執事の群れ・愛の共同体」がある(全信徒の役員性!)。「万人執事パンフレット、『愛の共同体・教会』、鎌倉雪ノ下教会、2009年1月、2〜6頁。


◇行事報告◇

■教会一泊修養会

2017年9月17日(日)〜18日(月・祝) 於/YMCA東山荘
  主題「全信徒祭司の務め」(ペトロの手紙一2章9節)

修養会に参加して思うこと

原岡 寛子

 超大型台風18号が9月17、18日の修養会を直撃するのではという予報が出ている中、不安を抱えつつ教会に向かいました。
  修養会の開会礼拝である主日礼拝における須田牧師の「栄光」という説教に合わせて、私も奏楽者として前奏曲にベーム(Georg Böhm)作曲「高きにいます神にのみ栄光あれ」を弾かせていただきました。
   東山荘に着き、朴牧師の修養会の主題「全信徒祭司の務め」から始まり第一コリント12章の体と肢の譬えから霊的な賜物について学び、牧師ぶらさがり信仰(おまかせ)ではなく、主の思いを賜物として頂いてそれに答える形で生きることが大切であるとのお話に心から共感しました。
  幸い私は今健康を頂いています。神さまから派遣されているということを常に念頭におき、罪が贖われ祭司としての務めがゆだねられていることは感謝です。有難いことです。そして万人祭司万歳!!
   ルターの宗教改革五百年という節目の今年、16年前2001年に友人と「ルターとバッハの旅」に参加した時のことを思い出しました。ドイツの中心部にルターの思いを記した「我ここに立つ」と書かれた石畳を見て参りました。ルターの強い信念を眼の当たりにした時の衝撃は今も忘れられません。
  閉会礼拝に歌った讃美歌「391番」の4節<この世のわざ おわりて あまつ国にかえらば 主よ、み前に仕えまつらん ときわに>は千歳船橋教会初代北森嘉蔵牧師の葬儀に歌った讃美歌です。あの時、胸つまる思いをしたことを忘れることはできません。
  主から頂く霊の賜物によって、生ける聖なる捧げ物が私にもできることを信じて感謝して教会生活を続けていきたいと確信することができた修養会でした。
   翌朝は台風一過の日本晴れ!富士山が<ど〜ん>と目の前にそびえ立ち、同室だった田中薫姉と「富士山て遠くで見るものね!」と贅沢な話をして笑ったことでした。

■教会バザー

バザーに参加して

鈴木 裕幸

私は2015年の12月に受洗させていただき、昨年に引き続き今回2回目のバザーに参加いたしました。昨年とは異なり、大型台風の接近で思いもかけぬ悪天候に見舞われた今回のバザーでしたが、事故やケガ人もなく無事に終了し、雨の中たくさんのご来場者の方々にも恵まれ、楽しく過ごすことができました。私は壮年会に属していますが、壮年会は今年も昨年に引き続き「おやじ合唱団」としてヒムプレイスに参加、「主イエスの愛は〜なんという愛〜大波のように メドレー」を熱唱しました。お忙しい中、礼拝終了後に毎回ご指導してくださった米澤姉には本当に感謝です。練習の甲斐あって、本番はまずまずの出来だったのではないでしょうか(笑)?そして、バザーでは食券販売のお手伝いもさせていただきましたが、食べ物がどれも安くておいしい!私は、特にチヂミの大ファンです。最後に、準備に奔走された各会、各委員会の皆様、本当にお疲れ様でした。そして楽しい会をありがとうございました。

◇教会学校報告◇

教会バザーのお手伝い

CS保護者 M

教会バザーでは毎年、娘が教会学校の生徒としてヒムプレイスに参加しています。娘は、讃美歌を讃美することや買い物、チヂミや豚汁をいただくことを楽しみにしています。私も讃美歌やパイプオルガン、バイオリンの演奏を聞くことを楽しみに伺っています。そんな中、今年は保坂校長先生から教会学校担当のキャンディレイの準備、販売のお手伝いのお話をいただき、今までは保護者として娘と一緒に楽しんでいるだけでしたので、少々プレッシャーを感じながらも少しでもお役に立てればと思いお引き受けいたしました。
  キャンディレイ作りの準備では、娘が大好きなバザーのチヂミのレシピを教えていただいたり、教会学校の先生方とゆっくりお話ができたりと貴重な時間となりました。また、休日にお手伝いに参加している生徒さんからは、神様へご奉仕することへの気持ちが伝わってきて感心いたしました。当日、販売をしていますとさまざまな方が話しかけてくださり教会との関わりのお話を伺うことができ、娘も同じ学校の大学生と話をしながら楽しく過ごしていました。
  バザーが教会の方々の交流の場であり多くの人たちをつなぐ大切なものなのだと感じ、娘と教会とのつながりもこういったイベントを通じてより深いものになっているように思います。今までとは違ったかたちでバザーに参加できましたことは嬉しく、このような機会をくださったことに感謝しております。

教会学校に通い始めて思うこと

CS保護者 A.H

娘が千歳船橋教会にお世話になって、早1年半が経ちました。
  教会へはキリスト教の幼稚園に通い始め、幼稚園からのご指導によるものでしたが、母である私自身、小学生から高校生まで教会学校へ通っていたこともあり、久しぶりに歌う「こどもさんびか」は身体に染みついており、親子ともに楽しく毎週の礼拝に参列しております。
  私が通っていた教会では課外活動はあまりありませんでしたが、こちらの教会ではバザーやそこでの讃美歌斉唱や夏期学校で行った新江の島水族館への遠足、流しそうめん大会など、子どもが楽しく参加できる行事があります。一人っ子の娘はお兄さんお姉さん方や先生方と交流を持つ機会があり、喜んで行事にも参加しております。
  「優しい気持ちと強い心は神様がくださったんだよね!」。娘が言った言葉です。これからもお友だち、先生方と共に神様に愛される子どもとしてすくすくと成長していってもらいたいです。

◇教会と私◇

教会と私

谷川 元

1受洗:1999/4/4イースターに、千歳船橋教会において、熊澤義宣牧師から受洗、64歳でした。
2.動機:長年勤めていた会社を1994年末に退職し、土・日の接待ゴルフもなくなりました。退職して2〜3年した頃、ある日突然、教会の礼拝に出席したくなりました。何処の教会に行こうかと迷っていたところ、知人が千歳船橋教会の熊澤牧師を勧めてくれました。1997年の夏頃、熊澤牧師にお会いして、教会に通う気になり受洗に至りました。
3.信仰:使徒信条の、処女懐胎・復活・昇天・三位一体は、一応自然科学を学んだ者として、不合理と思いましたが、人間の限界、Something Greatの存在を感じていたこともあり、ぐっと飲み込むことができました。
4.遠因:@両親の晩年、時々、池袋西教会へ車で送迎し、礼拝に陪席していました。
    A両親の葬儀を同教会で執り行いました。
    B1980〜1990年代にかけてよく米国に出張しており、ダラスに行くことも多く、友人宅を訪問していました。私が行くたびに家族ぐるみで私のために祈ってくれていました。
    C4歳の頃、福井県丸岡教会付属の緑幼稚園に通っていました。(この教会は1915年カナダメソジスト教会の日本海沿岸伝道の中で設立され、1918年幼稚園併設)
5.学び:2007/4〜2009/3東神大の夜間講座(61期生)を受講し修了。非常に楽しく、とても勉強になりました。
6.教会:神様と出会うところであり、教会員との交わりは、同じ教会を構成する仲間として大切にしたいと思っています。

◇受洗者の声◇

生かされていく

伊藤 えみ

主の御名を賛美します。この度このような機会を与えられたことに感謝いたします。
  先日、主の導きによって受洗のときが与えられ、主の下で生きる深い喜びを改めて感じながら日々を過ごしています。
  私は神様と本当の意味で出会うまで、ずっと「自分の生きる理由」を探して過ごしてきました。なぜ自分は生まれて、何のために生きているのか、どんなに考えても全くわかりませんでした。もちろん、両親からたくさんの愛を与えられて育ててもらったことには、本当に感謝しています。しかし深いところで、自分の生きる理由がいつまでも見当たらず、そして、そんなことをいつまでも考えて縮こまる状況に、常に絶望していました。そんな時、大学に入学して、私は本当に大きな出会いを与えられました。私は自分で生きようとしていた、自分の傲慢さに気づかされたのです。自分で生まれようと思って生まれたわけではないのに、自分一人でやってこられたものは何一つないのに、自分の力で生きていると思っていたのです。それは間違っているということに気づかされたとき、それが、神様との本当の出会いだったのではないかと思っています。「自分で生きている」のではなくて、「生かされている」ということを、初めて実感しました。
  主にあって生かされているということを日々思わされる中で、何よりも愛の主を求めること、そしてイエス様の愛に学び、人を愛することを、心に刻んでいきたいです。

◇特別寄稿◇

七戸教会との交わりを感謝しつつ

牧師 朴 憲郁

今年、御教会が創立110周年を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。
  明治から平成まで110年に亘る激変の時代の風雪に耐えて、伝播された福音が諸世代の信徒の間に継承され、実を結んで、地域に建てられた教会が地の塩、世の光として尊く用いられていますことは、都会に建てられた教会に仕える私たちにとりましても大きな喜びです。私の牧会する都心の千歳船橋教会は今年で創立67年を迎えますから、大先輩になります。
  2007年10月に発行なさった『100年の歩み』の年表を見ますと、遠近を問わず様々な教会の牧師や信徒の方々との交わり・研修・伝道集会などをもって励む開かれた教会であることを知らされます。御教会と千歳船橋教会とは1973年4月に姉妹関係を結び、北森嘉蔵牧師や熊澤義宣牧師を招いて伝道集会や役員研修会を開き、機会あるごとに当教会の信徒たちを招いて礼拝の場で証しの機会を設けてくださいました。
  私が14年半前に今の教会に赴任した頃からしばらくの間、姉妹教会の関係が途絶えていました。しかし、野口忠子牧師が赴任なさった後に、早春の雪解けの頃、私はしばしば自ら進んで御教会を訪ね、主日礼拝において御言葉を取り次ぐ機会が与えられ、食卓を囲んで信徒の方々と語り合うことができました。一方通行だけではなく、野口牧師もすでに数回千歳船橋教会で新年の礼拝説教でご奉仕くださり、信徒と語り合う場が与えられています。こうしていつの間にか自然に、姉妹関係の修復の素地ができ上り、今年度それが実現しましたことは、日本伝道における都会・地方の教会間の交わりと協力の絆を固くする不思議な神の摂理であると信じます
  私はある年明けの大降雪の後に、初めて七戸教会を訪ねて二階の礼拝堂に入った時、最初に目に入ったのが講壇左上のステンドグラスでした。しかし、その絵柄や構図が何となくどこかで見たものと同じだと感じ取りました。あとで分かったのですが、そのステンドグラスをデッサンしたのは小坂圭二さんという方で(青山学院中等部の美術の先生)、千歳船橋教会講壇正面のステンドグラスのデザイナーと同一なのです。私はこれには驚き、そこで姉妹関係を結ぶ摂理的な一致の徴を直感した瞬間でした。両教会の誰もこの一致に気づいていなかったようです。
  今は、毎年の講壇交換と待降節のCSカードやプレゼントの交換に限られていますが、今後は何か機会あるごとに信徒間の祈りと信仰の交わりへと広がって教会が豊かにされ、相互の理解と協力によって、福音伝道と証しの業が力強く押し進められることを心から願っております。(2017.8.30)*本文は七戸教会創立110周年記念誌に寄稿したものです。

編集後記

2017年度「教会通信秋号」をお届けします。台風に見舞われた教会一泊修養会と教会バザー、前日まで気をもんで祈りつつ待ちました。やはり神さまは私たちの働きを良しとされて、両方とも恵まれた素晴らしい行事となりました。ご寄稿くださった皆様、奉仕してくださった皆様に感謝いたします。
 そして今号には若い受洗者の真実な思いと、献身を決意された兄弟の祝福に満ちた今を生きる証しが掲載されました。人には計り知れない上よりのご計画を改めて示されました。この世の様々な出来事に思い煩い、「祈り」が「願い」ばかりになっていることを反省しつつ待降節を過ごしたいと思います。
今年度より「教会通信」の表紙をリニューアルしました。さらに親しみやすい読み物となるための試みです。様々なご意見を幅広くお寄せいただけたら幸いです。(書記委員会)


発行者  朴 憲郁
編 集   書記委員会
発行所  東京都世田谷区桜丘5-26-16

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