日本基督教団 千歳船橋教会教会通信
教会通信 「秋」号 2016年11月27日発行          No.16−2


◇巻頭言◇

世代を超えたキリストの体に連なって

牧師 朴 憲郁(パク ホンウク)


  大正時代後期に優れたクリスチャン詩人として活躍して、短い生涯を終えた八木重吉の展示会が今、町田市の市民文学館で開かれていることについては、先日の説教の中で触れました。秋深まるこの季節にふさわしい彼の詩集『秋の瞳』の中の詩「咲く心」は、こう綴っています。「うれしきは/こころ 咲きいづる日なり/秋、山にむかひて うれひあれば/わがこころ/花と咲くなり」。哀愁と憂いに包まれようとも、心に望みを抱く詩人の心境が、ここに表されています。
  先日、三日間(2016.10.25-27)に亘って開催された第40回日本基督教団定期総会に私も議員として出席しました。いろいろな討議・決議がなされ、出版活動や財政など様々な努力による安定した運営活動なども報告されました。しかし同時に、教勢と財政の将来に暗い影を投げかける憂うべき報告も各部署から出されました。それは、高齢化に伴う教勢と財政の急速な衰退現象です。老若男女の多様な世代のメンバーが共に集う教会であれば健全だと言えるでしょうが、そうはなっておらず、今後ますます高齢者層が急増していきます。少子高齢化は教会に留まらず、日本社会全体の現象でありましょう。先日、総務省の2015年国勢調査の確定結果の発表によれば、前回2010年に比べて96万2607人の初減少に転じたと報じられました。
  このたびの教団定期総会で配布された教団の全国信徒の年齢別推移統計表によりますと、現在すでに70歳以上の構成比率は40%、60歳代の23%と合わせると63%です。これは、教会運営上の困難をもたらすばかりか、主から委ねられた福音伝道の務めが十分に果たせず、少子化はCS生徒の一層の減少と信仰教育の後退を引き起こすことを暗示しています。
  この現象そのものは今後も長期的に避けられないでありましょうから、世俗的な言い方をすれば、生き残りをかけて運営および教会のなすべき働きを大幅に縮小せざるを得なくなるでありましょう。しかし、頭なるキリストによって贖われた体なる教会は、この世での組織・建物・教勢の維持に努めつつも、それを最終目標に据えてはおらず、世の終わりを見据え、神の御国の完成を目指して希望の福音を語る終末論的共同体であり、ヘブライ書11章が描くように、旅人の信仰者の姿を帯びています。
  少子高齢化が今や確実な勢いをもって進行し、目の当たりにする現実において、教会と社会の構成員の多数を占めつつある高齢者に、どのようにイエス・キリストの十字架と復活の恵みに基礎づけられ希望の福音を語り、信徒が互いに祈り配慮するよう促すかということは、教会の欠かせない大切な務めですし、今もそのことに努めています。
  <教勢>の視点だけで将来の日本伝道を考えると、死期が迫る高齢者への牧会・伝道というテーマははやらないでしょうが、実は若者への伝道を考える場合にも、種々の喪失を経験する高齢者がなおも信仰を貫き、教会に通って共に交わる姿は、福音の本質を明らかにし、伝道を促す重要な側面となり得ています。なぜなら、イエス・キリストの十字架の死と復活を中心に据えた福音の伝道は、人間を取り巻く生と死、成長と衰退、強さと弱さ、喜びと悲しみ、若さと老いの現実を真剣に受けとめるからです。それによって、世代を超えたキリストの体が形を整えられていきます。
  先日の教団総会である一人の信徒代議員は立って、「この時期に老人伝道をも真剣に推し進めようではありませんか」と力強く発言しました。私たちは、ゼカリヤ書14章7節の希望の言葉を思い起こします。「ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られている。そのときは昼もなければ、夜もなく、夕べになっても光がある。」。
  哀愁と憂いに包まれようとも、心に望みを抱いた重吉のあの詩に合わせて、ゼカリヤが預言した希望の言葉を心に留めたいと思います。



◇行事報告◇

■教会一日修養会

主題「聖徒の交わり」

使徒信条の中に<聖徒の交わり>(コイノニア)が告白されています。御子キリストの十字架の死による贖いと清めによって神の子らとされた聖徒らは、ブドウの木と枝の譬えのように、御子と繋がり、信徒相互の生命的な交わりに生きています。(招きの言葉より)
 
  日  時:2016年9月18(日)10:30~17:00
  会  場:千歳船橋教会
  参考図書:D.ボンヘッファー著『共に生きる生活』


「一日修養会」報告

津下旧Z


  「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。」(第一コリント10:17)
  「教会一日修養会」は、一泊で行う「教会修養会」と交互に開催されています。今年は本来「教会修養会」の年でしたが、条件を満たす宿泊先の予約を取ることができなかったため、前年と同じ「教会一日修養会」の開催となりました。当日までの準備としてまず、朴牧師に主題の決定とテキストの選定をしていただきました。続いて伝道教育の各委員が役割を分担して、申し込みの受付や、テキストの販売、昼食の準備等を実施して参りました。
  主題は「聖徒の交わり」、テキストはD.ボンヘッファー著『共に生きる生活』、特にテキストのU「共にいる日」を中心に議論することになりました。「共にいる日」は、共に歌うこと、共に祈ること等、八つの小項目からなり、イエスキリストを通してのキリスト者の交わりが具体的に示されていて、理解しやすくまた議論が進む内容となっていました。グループ分けして議論するに際しては、書記を置かずに全員が議論に集中できる体制を敷き、進め方は司会者に一任といたしました。当然ながら、三つのグループはそれぞれに異なった進行になったと思います。朴牧師、須田牧師、東方牧師には各分団の議論終了後に、全体会にて感想を述べていただくことの了承を得ました。
  さて、29名の参加で始められた当日は、開会礼拝を兼ねた主日礼拝、昼食、グループ分かち合いの@とティーブレーク後のA、そして全体会、閉会礼拝が、すべて滞りなく進められました。全体会では、予定通り、各牧師からご感想を賜りましたことを深く感謝いたします。日頃はテーマを決めて議論をする場面が少ないのですが、「教会一日修養会」に参加して経験、意見、感想等を交換することで、お互いの交わりが深まり、新しい知識を得ることができましたことを感謝いたします。教会の研修会には、今後も参加をして参りたいと思います。


ボンヘッファーと教会生活

Y.T


  今回、千歳船橋教会の一日修養会に初めて参加した。使用するテキストは『共に生きる生活』で著者はD・ボンヘッファーである。
  私は今年のペンテコステに受洗したが、恥ずかしながら、それまで著者に関してはほとんど知識がなかった。しかしその後通勤時間等を利用して、キリスト教の関連書籍を何冊か読んだことで、著者がどのような人生を歩んだのかがわかり、修養会の話があった時には、もう少し深く学んでみたいと思うようになった。
  テキストの購入から修養会まで、若干日にちがあったので、本書を一通り読んだが、正直内容を詳しく理解するには勉強会の場が必要であると痛感した。
  今回のテーマは第U章「共にいる日」で、司会者がリードし、各自がそれぞれ意見を述べ、その後牧師先生による解説が加えられていくという流れで進められた。今回の修養会で特に印象に残ったのは、「共に歌うこと」で、日頃教会で歌われる讃美歌は斉唱であり、聖歌隊以外に合唱で歌われる機会がないのは、教会で歌われる歌はすべて「霊的」なもので、上手に歌えなくとも教会の肢となり教会が歌うからなのだと理解できた。
  ヒトラー統治下の緊迫した状況の中、この本が僅か1か月で書かれたことには驚きを感じるが、各自が当時のボンヘッファーの心境にまで思いをはせ、話し合いの場を持ったことはとても有意義であったと思うし、私にとっても今後教会生活を送るにあたり非常に貴重な経験であった。


■教会バザー


パンフレットへの思い

田中英俊兄


今年度の教会バザーは209,968円の収益をもって、無事に終わることができました。教会員の皆様のご協力に感謝いたします。
  今後の新会堂建築へ向けての動きも始まっていますが、今のところバザーの収益は伝道のために使うという目的で、教会の一般会計へ収められています。1985年の教会堂建築の時には、バザーの収益は会堂建築のためという目的があり、年間100万円という目標金額も定められていたと記憶しています。
  しかし、バザーの目的が収益を上げることだけだとしたら、その分献金を増やせばいいではないかという議論はその当時からありました。あらためてバザーの目的を考えますと、収益を上げる以上に、教会員が一団となって、神様に奉仕するというイベントであること、また、教会の外の人たちに教会の存在をアピールすることという広い意味での伝道にあると思います。
  今年は、以上の2点を念頭に置き、ヒムプレイスのスケジュールと、教会の見取り図がひとつとなった、バザーのパンフレットを作成いたしました。パンフレットを作成するにあたり、形としては学校の学園祭のパンフレットのようなものを考えました。千歳船橋教会のバザーの特徴であるヒムプレイスが行われる礼拝堂と各売り場がバラバラに活動しているのではなく、一体感を持つことができるようにと願って、タイムスケジュールと売り場の地図が一目で見えるものにしたいと思いました。また、教会外の人たちにも入口でパンフレットを配布することにで、売り場だけでなく、ヒムプレイスの場もあることを知って、足を運んでいただき、教会とはこんな人たちがいるところだと、少しでも見ていただけたらと願っていました。
  今後、新会堂の建築計画によっては、バザーは新会堂建築のためという新たな目的を持つことになるかもしれません。しかし、教会員が心を合わせ奉仕するという点と、広い意味での伝道という性格はこれからも続いていくものと思います。


バザー今・昔

丸山久美子姉


  毎年行われる教会バザーは時代の推移によってさまざまに変化する。私が千歳船橋教会に転会して以来、バザーには必ず参加していたので、その時代の変容が教会バザーに与えた影響もよくわかる。1980年代のバザーはまるで古道具屋のように古着や古雑誌、古道具が山と積まれ、その中から品物を選び出す醍醐味は、今日のように整然と実施されるバザーとは一味異なった様相を呈していたように思う。
  現在のバザー開催は伝道・教育委員会が主体になって教会員に呼び掛け、品物の提供を依頼している。当時も「お仕事会」があって、婦人会の少数の人たちが丹精込めてクリスマス・グッズなどを作成していた。真新しいクリスマスの飾りや買い物袋、エプロン、台所用品等々、手作りの品は高価であっても売れ行きは上々でいつも完売していた。
  伝道・教育委員会主導の教会バザーである以上、教会の内実を訪れた人たちに披露することが必要である。バザーと並行して「ヒムプレイス」という讃美の場が開催される。讃美歌や楽器、パイプオルガンの演奏など、教会学校・壮年会・婦人会・青年会などの面々がそれぞれ独自に賛美する。その催しを提案したのは教会の音楽を指導していた、当時恵泉女学園の音楽教師であった西牟田和子姉だと聞く。「ヒムプレイス」という名称で定着したのは、朴牧師がいらしてからだと記憶している。    
  今年は私もこれまでになく、「お仕事会」に興味を持ち、お手伝いのつもりがひどく熱中して、生まれて初めてクリスマス・リースを作った。 指に刺さる細い針を猫の爪よりはましだと思って作品作りに励んだ。
  私が関わった頃のバザーは非常に悠長で和やかなものであった。その頃はバザーが終わりに近づくと、売れ残った品物の値段を下げることがごく自然に行われていた。それがいつの間にか、残品を安くするまで待っている人は、初めに何も知らず購入していた人たちと差別されている。品物の値段はそのままにして残しておくべきであるというふうに変わっていた。教会バザーにも世間の荒波が押し寄せてきたことに驚いたのは私だけであろうか。
  それにしても、私のおしゃべりはいささか度が過ぎるようだ。現役を離れやっと自分の自由な時間が作れるようになったとき、多様な社会的常識をいかに欠いていたのかを悟り、それでもなお生かされていることに感謝している。私にとって、北森嘉蔵牧師時代の日曜日は他所では学べない神学を学ぶことができる日であり、今日でもその伝統は崩れていないと思っている。 一般信徒が晦渋な神学を易々と学ぶ機会をもてたことは多くの信徒たちにとっても幸運であった。
  今は日曜日に朴先生の洗練された説教を聞き、教会の図書室の整理をすることが私に与えられた最後の仕事であると自らに課している。



◇教会学校報告◇


流しそうめん&お楽しみ会へ参加して

米満しおり姉


  8月27日土曜日、私たち家族は今年初めてCS夏の行事「流しそうめん&お楽しみ会」へ参加させていただきました。4歳の娘ゆりかは数日前よりこの行事をとても楽しみにしており、当日は生憎の雨模様でしたが朝からとても上機嫌でした。
  会場に到着すると長い竹の水路がすでに立派に設営されており、室内から室外へと続いている様子に娘も大興奮でした。水に乗って流れてくるそうめんは一度ではうまく掴めず、どんどん下流へと流れて行くそうめんをお椀とお箸を手にしたまま小走りに追いかけて外まで出ていく娘の後ろ姿が、今でも目に焼き付いております。ミニトマト、うずらの卵や巨峰等もごろごろ転がってきて、子どもたちも本当に大喜びで、皆お腹も心も十分過ぎるほど満たされる喜びと感謝の時でした。
  その後、近くの老人ホームに入所されている方々へ歌とヴァイオリン演奏の贈り物をお届けするため、歩いて移動しました。娘も初めて行くホームに少し緊張ぎみでしたが、お年寄りの皆さんが温かな拍手と柔和な笑顔で迎えてくださり、すぐに緊張も解かれ、喜んでご奉仕をさせていただくことができました。時間の都合上全てのプログラムへ参加することができませんでしたが、家族でこの行事へ参加し多くの恵みをいただくことができました。主に心から感謝いたしております。


教会学校への思い

魯郁子姉


  今年8月から親子3人で教会学校と主日礼拝に出席させていただいております。
  息子の由信(ゆうしん)は、現在3歳でキリスト教主義のプリスクールに通っております。自宅から千歳船橋教会までは車で45〜50分かかりますので、9時からのCS礼拝に出席するためには、息子は普段よりも早起きして出発しなければなりません。けれども、ぐずることもなく「教会にこれとこれ(ミニカー)持って行ってもいい?」といそいそと自分の小さなリュックに荷物をまとめ、教会学校に行く準備をしています。
  CS礼拝では、お友だちが讃美歌を歌い、お祈りする姿を見ながら学ぶ良い機会を与えられております。我が家では朝と就寝前に家庭礼拝を行っていますが、CS礼拝や分級が家庭での賛美と祈りの訓練につながっていることを感謝しております。息子は礼拝で時々、献金のお当番が回ってくることも嬉しいようです。このような教会学校での学びを通して、主を第一とする生活をこれからも大切にしてほしいと願っています。
  最後に、子どもたちのために全力でご奉仕くださる教会学校の先生方に心より感謝申し上げます。幼い時から、このように教会の多くの方々に覚えられ、祈られ、神と人とに愛されて、育てられていくことは何と幸いなことかと思います。先生方の尊いお働きの上に神様の祝福をお祈りいたします。

◇教会員を偲んで◇


厚谷さんの思い出

田中英俊兄


  厚谷欣一さんは昔、富士通に勤めていらっしゃいました。日本のパソコンの黎明期から関わっていらっしゃったのかもしれません。いつだったか、厚谷さんとコンピュータの話をしましたことを今でも鮮明に覚えています。その当時、教会のPCがNECでした。NECと富士通の企業文化の違いについて語られて、「日本もいろいろやったけど、OSだけはうまくいかなかったなあ」とお話しになりました。OSの開発は一神教的で一つの原理を貫いていかないとうまくいかない。日本の企業が何かを開発をするといろいろなものを取り込みたがる。「やはり、日本は仏教的なのかもしれないな」。
  コンピュータのOSの話から始まり、日本の文化論、キリスト教論にまでいたる、とても知的な教養のあふれる話題を、ニコニコした穏やかな表情でお話しになりました。何十年もたった今でも、日本や世界のコンピュータ、産業、文化にも当てはまるような厚谷さんの慧眼でした。
  教会の会計をおやりになった時は、教会の将来を見据えて、倹約をすることを教会員に訴えかけられました。少しでも倹約をするために試し印刷をするには裏紙を使おうという提案をされて、今でもその名残の裏紙用のボックスが印刷機のところにおいてあります。一方で、大変情の厚い方でした。会員籍を見直すのは、役員会の職務ですが、現住陪餐会員を不在会員に変更するときに、何年かして教会に戻られた時に、自分の週報棚がないと寂しい思いをするだろうと、数年のうち一度でも礼拝に出席した方、一度でも献金をされた方を現住陪餐会員のままにしておくという原則は今でも、教会の中に生かされています。
  厚谷さんの教会での様々なお働きを思い出しますが、中でも一番の功績は「教会史」(千歳船橋教会五十年史 上下)の編集だったと思います。千歳船橋教会の歴史は、すべてが順風満帆なわけではなく、この世の人間の歴史でもありました。神さまに捧げるものとして、包み隠さずにすべてを記録するために、厚谷さんが編集に費やした、心労や努力は並大抵のものではなかったと思います。あの教会史は、知的で、思いやりがあって、穏やかな話口の紳士であった、厚谷さんがいなければできなかったものだったと思います。


待っておられた厚谷さん

脇坂明美姉


  厚谷さんは、教会生活の大きな節目に私を3回待っていてくださいました。
  1回目は、山中湖で行われた修養会の時でした。
  教会が内部分裂寸前の試練を乗り越え、「一つなる教会への途」という主題で5年ぶりに2泊3日の修養会を行うことができた時のことでした。その当時厚谷さんは、転勤のために芦屋にお住まいでしたが、修養会委員の方がお誘いしたところ、快く参加の意思を示してくださいました。教会員は千歳船橋から、厚谷さんは芦屋からで、山中湖の会場で合流することになりました。しかし、日曜日の中央高速道路は大渋滞で予定の時刻には到着できず、1時間近く(?)も厚谷さんをお待たせしてしまいました。(携帯電話のない時代ですから……)
  穏やかな笑みをたたえた厚谷さんが、ようやく会場に到着した私共を優しく迎えてくださいました。北森先生はじめ教会員の方々は久しぶりの厚谷さんとの再会を喜び、恵みに満ちた修養会の時を共有することができました。
  2回目は、熊澤義宣先生を2代目の牧師としてお迎えする時のことでした。
  この件を快諾してくださいました熊澤先生に、教会として感謝の気持ちをお伝えするために、厚谷さんと、まだ教会員であった谷内爽さんと私の3人で大磯のご自宅を訪問することになりました。JR二宮駅の改札口で待ち合わせをいたしましたが、その時も、穏やかな笑みをたたえた厚谷さんが待っていてくださいました。熊澤先生のご自宅では、喜久子夫人も同席され、しばし和やかな時を共にし、教会の未来に明るい兆しを予感したのを想い出します。
  3回目は、「松戸ニッセイエデンの園」をお訪ねした時のことでした。
  社会的責任、そして教会役員の責任からも解放され、静かな晩年をと望まれて住み替えられたお宅を原岡寛子さんとお伺いした時、「松戸ニッセイエデンの園」の広いロビーで、穏やかな笑みをたたえた厚谷さんが待っていてくださいました。
  お住まいのお部屋からは、浦安の海とディズニーランドのシンデレラ城が見え、その素晴らしい環境の中で、奥様と4人で楽しい時を過ごしました。
  そして次は。私共がこの世の業を終えた時、天国の入り口で穏やかな笑みをたたえた厚谷さんが、待っておられることに望みを抱きつつ……。
  「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。」
  コリント人への第一の手紙13章4〜5節(口語訳)

◇教会と私◇

新連載コーナーです。キリストの体なる教会に招かれ、一つとされる私たち。若者から年配の方々まで、各々どんな信仰の道を辿ってこれれたのでしょうか。信仰の灯を繋ぐバトンリレーが始まります。

教会設立の日

小松信子姉


  このテーマを頂いて、思いをまとめる良い機会を与えられたと思いペンを執っている。以前にも話したことがあったが、この千歳船橋教会設立の日に立ち会ったのは、今ではまさに私一人となった。当時二十歳前の大学生だった。上原教会で受洗し、赤岩栄牧師の“共産党入党宣言”という劇的な大騒動の後、教会が分裂し、多くの信者が教会(牧師)と袂を分かつこととなった。他教会に移った人が多くいた。中には、そのまま教会を離れた方々もあったと聞く。混乱の中で、グループで集まり日曜礼拝を持ち、やがて教会設立へと導かれた。これが千歳船橋教会である。僅か十数名のメンバーの最年少が私であった。
  設立時は“西原教会”と呼称した。代々木西原の山下利兵衛氏宅で礼拝を守っていたからである。その時牧師はいなかった。当時グループのメンバーであった神学生の半田道夫兄が、礼拝説教を神学校の先生方にお願いしたことが数度あったが、再三来てくださったのが北森嘉蔵先生で、教会設立の時、牧師就任をお願いしたら快諾してくださったと聞く。かくして初代牧師誕生である。
  北森先生召天後、熊澤義宣牧師の時代を経て、現在朴憲郁先生を中心に教会が落ち着いて、本来の伝道活動を行っていることは、これまでの自分の教会生活を振り返ってみると、感謝と喜びの他はない。
  私にとっての喜びと驚きは、朴先生がこの教会に牧師としていらっしゃったことだった。実は、そのずっと前から金元恵姉と、とある合唱団で知り合っていたのである。私の方が遅れて入団したとき渡された名簿に金姉の名前と、住所が東京神学大学とあったのを見て、すぐさま金姉のところへ行き、「どうしてここにお住まいなの?」と、今にして思えばトンチンカンな質問をし、夫君が朴先生で、東神大で教えていらっしゃると聞き、その時から金姉とは親しい友となった。その時には、朴先生がこの教会の牧師としておいでになるとは夢にも思わなかったので、赴任して来られた時は、金姉と手を取り合って喜んだことも忘れられない。やはり大きな導きがあったのだと思う。
  受洗以来の長い教会生活も、年齢的には総括の時を迎えていると思わされる昨今だが、信仰の種を頂き、養い育ててもらっているのは教会だと確信するこの頃である。しみじみと、あらためて感謝と幸いを述べて終わりとしたい。

◇自由投稿◇


不治の病と信仰―牧師への手紙より

客員 藤野詔介兄


  私は今年4月より、東方敬信先生のご紹介で富士見ケ丘教会から当教会に客員として受け入れていただき、礼拝に出席しています。自己紹介をした際に、朴牧師に「不治の病と信仰」についてお尋ねしましたが、あれから6か月が経過いたしました。今やっと自分らしい答えを見つけましたので、証しとまではいきませんが、お話ししたいと思います。お忙しい時間の中お目を通してくださり、間違いをご指導たまわりたく存じます。
  まず、キリスト教では、「病」をどうとらえているかを、私なりに初心に立ち返って考えますに、病とは神さまの御業があらわれるために、その人に与えられた恵みと理解しています。その恵みにいかにお応えしていくかが、今の私に問われています。すなわち、その神さまからのプレゼントに喜びと感謝をもって受け入れ、どう今の病と共に歩んでいくかです。
  今まで、私は「不治」という言葉にとらわれ甘えておりました。神さまからご覧になれば一生涯も一か月も一日ですら、人の手でどうこうすることもできません。ですから問題にすること自体誤りと思うようになりました。
  新約聖書の中には、いやしの証しがよく出てきます。これらはイエスさまやお弟子さんたちを通して、神さまの御業のあらわれでした。一方、旧約の世界では、詩編によく出てきますが、「神さまいつまでなのですか」と嘆き救い主を待ち望んでいます。
  今、イエスさまを与えられている私たちはイエスさまの十字架の苦しみと、ご復活の喜びの出来事によって、全き罪赦され、贖われ救われています。たとえどんな苦しみの中にあっても、イエスさまの十字架を見上げ、おすがりすればよいのです。イエスさまによって力強く歩むことがゆるされています。病からくる不安、孤独、つらさ、苦しさ、不自由さ…は、自分一人で悩まなくてもよいのです。恵み深い愛なる神さまはそのすべてを私以上にご存知です。イエスさまの愛を通して、この世に理解して助けてくださる方々がいらっしゃいます。私はもう一人ではありません。「不治」という言葉に甘えてはいません。もうすでに神さまの御業が私の上にも働いていると思うからです。主にハレルヤ。

編集後記

 2016年度「秋」号をお届けいたします。書記委員会では「教会通信」を通して、教会員相互の交流と理解を深めていただけるように願い、祈りつつ編集作業をしています。そして教会員にとどまらず、私たちの教会が周り方々と交わりの輪を広げていけたら、幸いです。
  見出しを考えたり、執筆者の方と表現を相談したり、イラストや写真を選んだり、知恵を絞っています。皆様のご意見を取り入れながら、読みやすく親しみやすい、神と人に喜ばれる「教会通信」を目指していきますので、読後のご意見、感想をお寄せください。
  (書記委員会)


発行者  朴 憲郁
編 集   書記委員会
発行所  東京都世田谷区桜丘5-26-16

日本基督教団 千歳船橋教会
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