日本基督教団 千歳船橋教会礼拝説教
2017年5月7日  (復活節第4主日)


聖書:列王記下5:9〜14、ガラテヤ書1:1〜10
説教題:「異なる福音への転落」

朴 憲郁(パク ホンウク) 牧師


   「葉ざくらの ひと木淋しや 御堂にて」。この俳句に歌われますように、教会を囲む桜ヶ丘一帯は今、桜の木の花が散って若葉で覆われる5月の季節を迎えています。天候にめぐまれた大型連休に、多くの人々はまぶしい太陽の日差し新緑の自然の中に身を浴すことができたことと思います。
 
   マタイ福音書6章には、主イエスがガリラヤ湖周辺の山で、群衆に神の国について力強く説教なさった時に、ソロモンの栄華ですら野の花一輪ほどにも着飾ってはいなかったとおっしゃって美的感覚を働かせつつ、「あなたがたは明日のことまで思い煩ってはならない、まず神の国と神の義を求めなさい」と教え、神のご支配とご加護への信頼に基づく真の安らぎと平安を説かれました。
 
  しかし、そのようにお語りになる主イエスがまるで打って変わって、神の国を目指す道から迷い出る誘惑に陥らないようにと戒め、群衆に向かって警戒を促しました。マタイ福音書のそのあとの記述を読んでいきますと、悪しき世にあって愛の戒めを貫くためにこそ、主イエスは律法学者やファリサイ人らと論争し、主イエスの弟子となるための覚悟を促し、迫害を予告なさったことが書かれていました。さらに、邪悪な時代にあって、見せかけの平和を剣で引き裂くために世に来たのだと、主イエスは爆弾宣言なさいます(10:34以下)。
 
   今このようなことを皆さんと確認します理由は、本日から一年間、私は、使徒パウロの書簡の中で<戦いの書簡>と言われるガラテヤの信徒への手紙の講解説教を始めるからです。教会に忍び込んで、福音による神の恵みを蔑ろにするものに対して、パウロは戦います。それを避けて通ることができないのです。決して争いを好んでいる訳ではありません。地上を生きた主イエスの場合と同じように、使徒パウロもまた、自ら伝道して設立し育てたガラテヤの教会の群れのため、福音のための戦いを余儀なくされたのです。なぜでしょうか、それは、この手紙の1章4節にも述べられていますように、今が悪しき世であり、それゆえに、キリストによってこの悪しき世からわたしたちを救い出すためです。
 
  ガラテヤ教会に現れたユダヤ主義的キリスト教徒(ユダヤ主義者)らとの戦いがなかったとしたら、おそらくキリストを主と信じ仰ぐキリスト教は地上から消滅し、一種のユダヤ教キリスト派なる一派に留まったことでありましょう。
 
   今年は宗教改革5百周年を迎えています。当時のローマ・カトリック教会に対して福音のための抵抗と戦いをしたマルティン・ルターをはじめとする宗教改革者たちが、プロテスタント福音主義教会を新たに起こしました。私たちもこの教会に属しています。カトリック教会とプロテスタント教会がどうしても袂を分かって、いわゆる宗教改革が起こらなければならなくなった時に、ルターにとってこのガラテヤ書は「自分のケーテ」(ケーテは自分の愛妻カテリーナの愛称)、すなわち「自分の愛妻」であると呼んでいたと言われます。それほどに、ガラテヤ書は彼にとって欠かせない旗印になったと言えましょう。
 
   ここで序論的なお話を少しだけいたします。ガラテヤの伝道と教会は小アジアのどこに位置していたのでしょうか? 小アジアの中央内陸部のガラテヤを考える場合は北方ガラテヤ説を取ることになります(第二伝道旅行時。使徒15:36〜18:20参照)。それに対して、第一伝道旅行時であるとすれば、ピシディア、フリギア、リカオニア、パンフィリアの諸都市、その他を巡って諸教会を設立したと考えられます(使徒13:1〜14、14:1以下参照)。これはガラテヤ地方には属しませんが、広域南北にまたがるがガラテヤ県に属していまして、地中海寄りの南部の町々をもさします。これを南方ガラテヤ説と申します。これら両説をめぐる細かい議論は省きますが、私は結論的に申しますと、南方ガラテヤ説を取ります。ただし、いずれの説を取るにしましても、ガラテヤ書で取り上げられている諸問題と使徒パウロの主張において食い違いが生じるわけではありません。
 
   パウロとバルナバは紀元46年か47年頃に、第一回伝道旅行でローマ属州のガラテヤ諸地域を巡って諸教会を設立しました。そのことは使徒言行録13章と14章に書かれています。それに続いて15章の1〜2節によりますならば、48年が49年初頭にエルサレムで使徒会議が開かれる前に、シリア州でアンティオキアのユダヤ人キリスト教徒たちはバルナバとパウロに対して、彼らの福音伝道によって回心し受洗した異邦人らも割礼を受けなければならないと要求したのでした(ガラ2:4)。そこでこの問題の解決のために、二人がエルサレムに上って、使徒たちと会議を開き、そこでパウロたちによる割礼なしの異邦人伝道が承認されました。つまりユダヤ主義的キリスト者たちの要求は退けられました。
 
   しかし後にパウロは、第3伝道旅行でエフェソに滞在中、ガラテヤ教会で同様の問題が持ち上がって混乱していると知らされたので、手紙を書き送りました。
 
   このような経緯を概観しましたが、その上で、早速、ギリシャ語で書かれたガラテヤ書1章1節以下を追っていきたいと思います。まず1節から5節まではギリシャ風の手紙を書き出す際の「前書き」として、@ある人からAある人宛てにBある挨拶を送る、という三つの要素で整えられています。これは、パウロの他の手紙と同じ形式を踏まえています。しかしこの三点の中には、当時一般ギリシャ風の手紙には見られない福音内容に係る重要な言葉がいくつか盛り込まれています。それは1節の、発信人であるパウロの使徒職の由来に関する部分と、4節のキリストの救いに関する発言です。つまりパウロが神から遣わされた使徒であることと、その彼が携えてガラテヤの人々に宣べ伝えた福音のことが触れられていまして、それらは、この手紙で取り上げる重要な、そして論争的な内容を先取るような事柄なのです。この手紙が論争的な性格を持つであろうことは、すでに1節の冒頭から「人々からではなく、人によってでもなく、イエス・キリストと、彼を死人たちの中から復活させた父なる神とによって(派遣された)使徒パウロ」という二重の否定句によっても明らかです。こういう言い方で始まる手紙は、パウロの他のどの手紙にも見られません。パウロが随分後になって異邦人・諸民族のために使徒とされたのですが、その使徒の権威と由来・根拠を疑う信徒たちがいるので、パウロは手紙を書き出す最初から、自分が諸先輩や他の人々によって認められ立てられたのではなく、イエス・キリストと父なる神によって使徒として召され立てられたのだと主張します。
 
   このように、挨拶を伴う手紙の前書きがすでに、何か穏やかではありませんが、それは6節に至ってさらに荒々しくなります。通常は前書きを少し述べた後に、感謝やとりなしの言葉が続くものですが、そうではなく、6節からいきなり身構えて取り組むべき問題を見据えて、ガラテヤの諸教会の人々に(6節)、また彼らを動揺させている反対者たちに対して、嘆きと非難(7〜9節)の言葉がこう続きます。「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」と。いわば挨拶抜きで、福音を巡るただならぬ事態への戦いの言葉を投げかけるのです。私たちでも緊急事態に係る状況にぶつかった時には、親しい人々にお会いした際に、悠長に挨拶してはいられない振る舞いをするものです。挨拶どころではないのです。このガラテヤへの手紙がまさに切羽詰まった手紙であることを、私たちはすでに1章最初の部分から読み取ることができます。
 
   北森嘉造牧師は昔「ガラテヤ人への手紙講話説教」の中で、こう述べました。「私たちのことを考えてみますと、いかにあいさつが多いかということに気づきす。ひどい場合は初めから終わりまであいさつだけで別れることもあります。そういうわたしたちのいいかげんな生き方に対して、まず最初に痛棒を食らわせるのが、このガラテヤ人への手紙であります。もうのっけの事柄に入るのです」と。
 
   1節と6節がすでに論争的な口調になっている訳ですが、1節は使徒としての資格と正当性が問題になっており、6節ではガラテヤの信徒たちがパウロの宣べ伝えた福音から離れて別の福音信仰へと変質していくことへの憂いと驚きが問題になっています。そして、この二つは別々の事柄ではなく、一つに繋がっています。律法の規定や行いにこだわる反対者にとっては、律法から自由な福音を説くパウロの使徒的働きとその教えとの両方に問題があると考えて、彼に反対し、教会の信徒たちを惑わします。ですから、それに立ち向かうパウロは、自らの使徒職の正当性を弁明しつつ、反対者たちの説く律法主義的な福音がいかにあるべき福音の本質を歪め、キリストの十字架の恵みを蔑ろにしていくものであるかをはっきり指摘し、気づかせる必要があったのです。彼の使徒職と、彼の宣べ伝えるイエス・キリストの福音の内容とは、切っても切れない関係にあるのです。
 
   さて1節で「人々からではなく、人によってでもなく・・・」と言う時、それは人間によってはない、キリストと父なる神とによって使徒とされたという意味に解することは間違いでないのですが、「人々からではなく、人によってでもなく」という言い方の背後には、パウロに先立って召されたエルサレムの使徒たちのことが考えられていると思われます。それは、この後の17〜18節の言葉から察することができます。その権威ある使徒たちの承認と後ろ楯によって、パウロの使徒としての働きと福音の語り方もあるはずだと言って、彼に敵対する人々がガラテヤ教会の中にいるのです。しかしそれをにらみ、それを押し返すようにして、パウロは福音伝道の同労者たちと共同執筆のかたちで、ここで話し始めます。
 
   しかし前書きにおいて、3節で神と御子キリストからの恵みと平和が信徒の群れにあるようにと祝福を祈り、5節では神の栄光を讃えることが忘れられてはいません。私たちの罪のために犠牲の死を遂げ、その後、罪と死に勝利なさる御子の復活によって(1節、4節)初めて、まことの平安と恵みが与えられます。それについて私たちは、ヨハネ福音書20章19節以下の復活記事の中で、ユダヤ人を怖れて、家の戸を内側から鍵をかけていた弟子たちのところに、甦った主イエスが現れ、「あなたがたに平和があるように」と二度もおっしゃったあの箇所を思い起こさないでしょうか。
 
   私たちは荒れ模様の状況におかれても、命を飲み込む破壊的な死の不安と危険を乗り越える復活の主の平安にあずかることが許されています。このことにつきましても、私たちは福音書に書かれたある場面を思い起こすことができるのではないでしょうか。それは、ガリラヤ湖を渡っていた弟子たちの船が突風に襲われて転覆しそうになった時に、艫の方で枕をして眠っておられた主イエスが起きて、風と湖に向かって「黙れ、静まれ!」と命じて嵐を鎮められたあの場面です(マルコ4:35以下、マタイ8:23以下、ルカ8:22以下)。
 
   それと同じく、神は御子を黄泉の世界に捨て置くことをなさいません。人の命を飲み込み、手中に収め続ける死と罪の勢力に向かって、神は「黙れ、静まれ!」、いや「滅びよ!」と命じて、その支配を断ち切られました。それが復活の朝の出来事です。それによる神の平和と恵みは、今も信仰者の群れの中に生き続けています。それを確認しつつ、パウロはガラテヤの人々への祝福をここで祈ります。
 
   さて、祝福の反対は何でしょうか? それは呪いです。旧約聖書には神の僕である預言者によって、神の救いとその反対の裁きがその都度神の民に対して告げられます。それと同じように、神の祝福またはその反対の呪いが、その都度個人又は民全体に告知さる物語が随所で語られています。
 
   それと同じく、神の祝福を願った後に、使徒パウロは、神の祝福をもたらす福音を歪める人々には、神の呪いが下るのだと二度も強い口調で語ります。それは、彼らに対して真剣に二者択一の決断を迫るためです。福音に無知であるならば、まだ救われる余地がありますが、福音に一度与った者がそれを意図的に歪めて他の人に吹聴するならば、その人には厳しい裁きが待っているだけだと語ります。彼らは、キリストの福音と共に律法の遵守も救いと祝福の道だ、と主張します。
 
  それに対してパウロは使徒の権威をもって、世の終わりにおける神の判決を先取りする裁きを宣告し、非難の言葉として徹底した鋭さを加えます。いや、パウロ自身であっても、さらに、最も権威ある神の代理者・宣教者である「天からの御使い」であっても、彼が最初にガラテヤ人に伝え、彼らが受け入れた福音とは異なる福音を宣べ伝えるならば、その人は呪われるのだと語ります(1コリント16:22も)。3章10節でこう述べている通りです。「律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。『律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている』と書いてあるからです」と。
 
  今日、民主主義過剰な時代に生き、多数決の原理で物事を決めている私たちは、パウロの様な呪いの言葉を聞きますと、実に不寛容な態度でけしからん、もっと寛容であるべきだと言いがちです。しかし、パウロはそうではありませんでした。彼は決して事を荒立てたり、角を立てていちいち争ったりすることを好みません。しかし、特に福音に関することになりますと、断固たる態度を取るのです。
 
  このように訴えることによって、使徒は自分の支持者を得ようと説得しているのではありませんと、次の10節で述べます。新共同訳聖書では、前半部分を、人や神に「取り入ろうとしている」と訳していますが、これは原文ではもっとすっきりと、「わたしは人々を説得しようとしているのか、あるいは神をか」となっています。当時、プラトン以来、哲学者たちは説得術というものを、詐欺や魔術のたぐいと同一視するほどに極端に否定的に、良くないことだと評価していました。また「神を説得する」ということも、それは詭弁家または偽善的な宗教家がすることだと言って、その行動を告発し非難する際の、論争的な表現でした。  
 
  そのような背景から、10節前半の「人々または神を説得しようとするのでしょうか。(いや、決してそうではありません)」と弁明します。ですからこの10節では、「人々を説得すること」も「神を説得すること」も退けられ、同様に「人々を喜ばせること」も意図してはいなのだと言って、パウロは否定するのです。
 
   ここで興味深いのは、10節終わりで、もしわたしが今なお人々を喜ばせようとしているなら、わたしはキリストの僕ではあるまい」という一文です。「もしわたしが今なお人々を・・・」との言葉は、パウロがかつてユダヤ教徒として熱心であった時(13節)には、人々を喜ばせようと説得していた活動を前提とした発言でありましょう。それは、律法の遵守を説く活動でした。品行方正で律法を遵守することがなぜ人々を喜ばせるのでしょうか? それは、律法の行いによる自分の手柄や名誉に生の根拠や目的を見出すことによる自己満足、自己充足、自分の正しさ(義)の追求による喜びだからです(フィリ3:9参照)。律法の戒めの中で、神の契約の民となるために欠かせないのは割礼の儀式です。これを遵守することは、神の前で自己の義を保障するのです。しかし、この割礼によって人は、「十字架の躓き」が取り除かれて、喜びに浸ります(5:11参照)。こうして、「人を喜ばせ」、「人または神を説得させる道」となります。
 
   自分の考えから一歩も抜け出さず、自己満足に陥っていた人に、アラムの王の軍司令官ナアマンという人物がいます。今朝の旧約聖書の物語の箇所です。彼は自分の重い皮膚病に苦しむので、預言者エリシャのもとに癒しの助けを求めてやって来ました。エリシャは彼に、ヨルダン川で自分体を洗って清めるよう指示します。だが彼は、貧弱なヨルダン川よりも自分の郷里にあるダマスコの川の方が綺麗だと言って憤慨して、帰ろうとしました。しかし、彼の家来の忠告を聞きれて、エリシャの言葉通り、ヨルダン川で七度身を浸した所、彼の体は子どもの体のように清くなりました。この経験によって、ナアマンは悔い改めました。
 
   それと同じように、ユダヤ教徒として若い日からエリート教育を受けたパウロもまた自信と誇りに溢れた、律法による義を追求した若者でしたが、彼は後に、あのダマスコ途上で復活のキリストに出会って転倒し、回心し、十字架のキリストによる神の赦しの恵みを知りました。彼の後半生はこの福音によって生き、その絶大な価値のために闘った人です。同じく福音によって生かされる私たちも、ガラテヤ書を読み進みながら、福音の真髄に触れてまいりたいと願います。