1977年(昭和52年) 4月29日(晴重)           
3回京都3日目 第9競走
第75回天皇賞 (5才以上・牡58キロ・牝56キロ・シード競走)
3200メートル  14頭  R 3.19.4

馬      名

騎手

着  差

単 勝

10

テンポイント

58

鹿 戸

3.21.7

1.8

クラウンピラード

58

佐々昭

3/4身

47.3

13

ホクトボーイ

58

久保敏

1身

42.1

グリーングラス

58

安田富

ハナ

3.1

11

クライムカイザー

58

橋 口

1身1/2

19.3

12

トウフクセダン

58

宮 田

3身1/2

20.9

スーパーフイルド

58

小島太

4身

59.2

イシノアラシ

58

加 賀

3身1/2

13.7

タイホウヒーロー

58

武 邦

2身1/2

33.9

10

ホシバージ

58

福永洋

クビ

21.8

11

コクサイプリンス

58

井 高

9身

25.5

12

ケイシュウフオード

58

清水英

45.4

13

14

ナラサンサン

58

松本善

411.6

14

地・ゴールドイーグル

58

内 田

5身

11.1

単180
複100 420 560
連複(5−6)2440(9人気)                 


この当時の古馬にとって(今でもそうだが、今以上に)名誉あるタイトルが
天皇賞。テンポイントも「最強馬」の椅子に座るためにトウショウボーイと
の対決をこのレースに求めたかったが、ライバル・トウショウボーイは両前
脚深管骨瘤で再び不安発生。寂しく東京へ帰っていった。そうなると相手は
グリーングラスただ一頭。いよいよ「悲運の貴公子」「無冠の貴公子」に春
が訪れるムードが高まってきた。                   
このころの春の天皇賞は4月29日に行われるのが恒例。この年は金曜日だ
った。出走各馬は水曜日に追い切られたがテンポイントだけはいつもの調教
ローテーション(追ってから3日目にレース)を守って火曜日に追い切られ
た。火曜日というのは厩舎の全休明け。当時の常識では全休日明けの追い切
りは否定的な見方をされていたのだが、小川調教師はテンポイントのリズム
を頑なに守った。                          
雨も上がって薄日の差す京都競馬場。単枠シードされたテンポイントの栗毛
の馬体が淀の光の中で輝いている。ゲートが開いてポンと行ったのがゴール
ドイーグル。テンポイントはグリーングラスをマークした5番手。これ以上
はない絶好の位置だ。淡々と進んだレースと固唾を飲んで見守るスタンドが
大きく動いたきっかけを作ったのが福永洋一・ホシバージだった。向正面か
らゴールドイーグルをかわしに行った。あっさりと福永が先頭に立つとスタ
ンドが大きく地鳴りのようにどよめいた。テンポイントはマークをホシバー
ジに切りかえる。「早い。我慢しろ」と拳を握り締めたのは私だけではない
はずだ。かかり気味だったグリーングラスを見捨てて、クライムカイザー、
スーパーフイルドもテンポイントに続く。4角でホシバージを交わして先頭
に立ったテンポイント。直後には内からグリーングラス、ホシバージ、スー
パーフイルド、クライムカイザー。その後ろからクラウンピラード、トウフ
クセダン。息をするのが辛いほど胸が高まる中、グリーングラスは菊花賞と
同じ内をついた。「またか・・・」と目をつぶったのも一瞬の出来事。道中
折り合いを欠いたグリーングラスは並びかけるのが精一杯。クライムカイザ
ーも4角で外を回らされたロスが響いて脚が止まった。後方からクラウンピ
ラードとホクトボーイが追いこんでくるがテンポイントの脚色を上回ること
はできない。                            
「今日は外のほうが怖いぞ!しかしテンポイント、これが夢に見た栄光のゴ
ールだ。テンポイント1着!!」関西テレビ・杉本清アナウンサーの実況に
応えるようにテンポイントはゴール板を駆け抜け、淀にはテンポイントと叫
ぶファンの声がいつまでも響き、興奮の波がいつまでも引かずにいたのであ
った。