1977年(昭和52年)10月16日(晴良)           
4回京都4日目 第10競走
第12回京都大賞典 (4才以上・混・別定・シード競走)
2400メートル  9頭               R 2.25.8

馬      名

騎手

着  差

単 勝

テンポイント

63

鹿 戸

2.27.9

 1.6

サイコームサシ

55

南 井

8身

113.4

フローカンボーイ

55

今 岡

1/2身

18.2

フジリンデン

55

福永洋

 26.3

ベル

55

1身3/4

32.8

ホクトボーイ

56

久保敏

クビ

1.9

ヒダロマン

53

夏 村

クビ

51.2

ヤマニンバリメラ

55

池 江

2身

30.1

ハリウッドボーイ

53

柴田光

大差

132.7

単 160
複 120 880 260
連複(1−8)1290(3人気)

秋初戦のこのレース。テンポイントの馬体重はプラス18キロ。しかし太さは
感じられず明らかに成長分だ。春の天皇賞に勝ってトウショウボーイと肩を
並べたテンポイント。このレースではなんと63キロのハンデを背負わされて
しまった。今思えばこの時の大楽勝が日経新春杯の悲劇へとつながっていっ
たのかもしれない。テンポイントは何キロ背負っても勝てる。そんな空気が
流れたのがこのレースだった。                      
ゲートが開いた。何が何でも逃げるという馬はいない。自然といちばん内の
テンポイントが先頭に立った。手綱は持ったままだ。当面の敵と思われたホ
クトボーイは最後方にいる。スローペースのまま流れたレースは3コーナー
を回ると11秒台にアップした。こうなると決めての勝負。上がり4ハロンが
46秒1、3F34秒5と、当時としては厳しい上りタイムである。しかし
テンポイントにとっては前半楽をした分余裕は十分。この辺で場内から思わ
ず「よーし」という声が飛ぶ。これに応えて杉本清アナの実況。     
「よーしという場内の声が聞こえる。テンポイント先頭!」。直線に向かっ
て後続を突き放しにかかるテンポイント。「差が開いた開いた。63キロもな
んのその。63キロもなんのその。どんどんゴールへ向かう。独走になった独
走になった」ファンの気持ちはテンポイントと一緒に走り、杉本アナの気持
ちもまた、テンポイントと、そしてTVの前のファンと一緒に走っていた。