昭和52年12月、あの日はお正月のため築地の市場へ出かけた日でした。
競馬になんの興味もなかったわたしが、競馬中継を何気なく見ているそのとき
ハッとして、テレビに釘づけになりました。
後光がさしているかのように、あまりに美しく、あまりにも優雅なその姿に
身体中に衝撃が走りました。そのときの衝撃は今でも鮮明に覚えています。
それが、昭和52年、有馬記念のパドックでした。
「えー、馬ってこんなに美しいのか」
それが後々まで語られる伝説的名勝負とはつゆ知らず、はじめて馬を
応援していました。
そして、次の年の一月、日経新春杯。
あの日からわたしは好きな馬を持つことをやめました。テンポイントは
競馬ファンが殺したのだ、そう思い罪の意識を感じていました。
でも、心の奥底ではテレビを見ながら、いつも「栗毛」だけを追っていました。
産まれた娘にテレビをみながら、「昔、大好きな馬がいたんだよ」「テンポイン
トって言う名前でね・・・・」などと幼児の娘に繰り返し話しかけていました。
時は過ぎて、娘は中学生になりました。なんでもやってみたい年頃の娘は
中学のときから、馬券を友人のお父さんに頼んで買っていたそうです。
(あとあと明らかになったのですが・・・・)
高校生になると府中、中山に通い、毎週競馬新聞を買うほどの
「通」になりましたが、馬に対しての気持ちには変化が出てきたようでした。
「自分は中学の時はカッコつけで、ギャンブルから入ったけど、今は
ただひたすら馬が好きなんだ。中学の時のカッコつけは馬に失礼だった」
そして、「こんなに馬が好きになったのは、お母さんの影響もあるんだよ」
と、いいました。
テンポイントの死から20年。やっと20年たったころ、そろそろ馬を愛した
いなあ・・・・と思い始めました。
わたしが競馬をはじめるようになって、一番喜んだのは娘でした。
わたしは、テンポイントをずっと心で追いながら、毎週馬を見ました。
こころの中の「栗毛」を、追い求めていました。あの衝撃を再び得たい、
そう思って毎週毎週探しつづけました。
そして’98年の弥生賞で、なんだか不思議な魅力の馬を見つけました。
その馬はちゃんと「栗毛」でした。その馬の名はサイレンススズカでした。
テンポイントの気品あふれる姿ではなく、なにかしでかしそうな危なげな馬。
「愛されたい!!!」その馬は、そうみんなにメッセージを発しているように
見えました。
わたしは欠かさず、サイレンススズカのレースをテレビでみました。
テレビではみるくせに、出不精で競馬場へはなかなか行かないわたしに、
受験勉強で自分は行けない娘は、いつもわたしに、「代わりにいってきてよ」
といっていました。
そしてとうとう、こういいました。
「毎日王冠にはスズカもグラスワンダーも出るよ。こんな凄いレース
めったにないよ」
それでも渋るわたしに娘はこういいました。
「見られるときにみておいたほうがいいよ、絶対に。サラブレットの命なんて
はかないんだから・・・・・・・・・・・・・」
その言葉でわたしは府中へゆくことを決めました。
そして、結果的に、それがナマスズカをみた最後になったのですが・・・・。
秋の天皇賞のとき、突然娘がこんなことを言いました。
「サイレンススズカって、お父さんになるようなイメージがないね」
いわれてみれば、それは本当でした。
「しかし、私も、お母さんになるイメージないよ」
そのときわたしはふっとそう思いましたが、言葉にはしませんでした。
そして、12月25日。
娘は唐突に自死で亡くなりました。19歳、自宅浪人中でした。
精神的な危険はまったく感じさせず、いつも楽しそうで、最近では
すがすがしい顔をしていたぐらいで、理由はなにもわかりません。
遺書も見つかりませんでした。
「サラブレットははかないんだよ、だから好きなんだ」
そういつも言っていた娘。
のちに、娘のメール友達が教えてくれたのですが、娘は最近
「人間はメンドイ。これからは馬だけ愛して生きて行くよ」
といっていたそうです。
はからずも彼女の葬儀は有馬記念の日でした。
わたしは、さすがに火葬場にはゆけずに、家で待っていたのですが、
「今、終わりました。これからもどります」
との電話。
そのとき突然、今日が有馬記念であることを思い出しました。
あわててテレビをつけたら、ちょうど発走したところで、グラスワンダー
の勝利を見ることができました。
遺骨となってきた娘に
「グラス勝ったんだよーーー」
と泣きながら教えてあげました。
亡くなる二日前に彼女がいっていたのは、紛れもなくグラスワンダーのこと。
「グラスワンダーが勝ったらいいね。4歳になってから勝っていないから
『外国産馬だから早熟だったのかも』、なんてみんなに言われているけど、
みんなが認めてくれるようになるよね」
テンポイントをはじめて知った20年前の有馬記念。
そして20年後の有馬記念は、娘の葬儀とグラスワンダーの勝利。
「あいつらしい逝きかただな」
と悲しみのなかで、何か不思議な縁を感じながらそう思いました。
テンポイントを初めて知った20年前。
そして、テンポイントと同じ死の世界へ旅立った娘。
娘はあの世で初めて見るテンポイントを
「お母さん、想像どおり綺麗で品格のある馬だね。見られて良かった」
といってくれているような気がします。
止めようと思った競馬ですが、娘が5年前から撮っていたG1レースの
ライブラリーを、遺志をついでわたしがずっととって行こうと思います。
わたしも今は、
「人間社会はメンドイ、これからは馬だけを生きがいに生きていくよ」
そうあの世の娘に伝えたいと思っています。
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