テンポイントの思い出

その頃、私はあまり言葉の話さない家に閉じこもりがちな子供でした。
身体もあまり大きくなくて病気ばかりして、            
両親は心配の種であったといいます。               

そんなある日曜日、たまたま父が見ていたTVに          
一頭の金色の馬の走る姿が映りました。              
私自身もはっきりと覚えているくらい強烈な「何か」が       
頭の中をよぎって、私は父にその馬の事を聞いたのです。      
「あれな、テンポイントいうんやで。今日初めて走って勝ったんや」 
テンポイント=馬という図式が私の中で出来上がったのは      
この瞬間でした。                        

「・・・テンポイント、また会えるかな」             
私はよくこの言葉を口にしました。                
父は、私がテンポイントの事になると人間が変わったように     
よく話し、外へ出かけたがるようになった事を大変喜んで      
私を競馬場へ連れていってくれるようになりました。        
そして、馬に両親がいて、血統というものがあること、       
馬は走って勝たなければならないこと、              
それを支える人たちがいることを教えてくれました。        
その甲斐あってか?テンポイントがダービーに出る頃には、     
  私は彼の血統を丸暗記してしまい、                
その毛色と特徴が完全に頭の中に収まっていたのです。       

私はテンポイントに遭いたくて、                 
いざという時に病気にならないよう食べ物の好き嫌いをなくして、  
よく外で遊ぶようになりました。                 
そしてテンポイントが関西で走るようになると、          
私も父とともに競馬場に出かけられるようになりました。      
「恋をして、きれいになろうと努力する女の子を見ているみたい」  
と、母親は思っていたそうで、この間の私の変化を         
とても複雑な思いで見ていたのだそうです。            

やがて、テンポイントが日本一になったとき、           
私は好きな人は誰でもない、「テンポイント!」と         
胸を張って答える、変に馬に詳しい(笑)子供となっていました。  

「テンポイントが外国へ行くんだよ。」              
父が私に教えてくれたのは、年の明けた寒い京都競馬場でした。   
発走前の4コーナーすぐの人混みを避けた場所で、         
私と父はテンポイントが先頭でここを通るのを待っていたのです。  
「外国に行ってから後は、お父さんになるから、子供達にあえるよ。」
テンポイントの子供達・・・・想像できなかった私は、       
「おなじくらい綺麗なら良いな」と答えたのを覚えています。    
それから10分足らず後に起こった事はそれ以上に想像できなかったの
ですが。                            

「テンポイントを殺してしもうたんは、僕らやな。ごめんな。」   
それから春の始まる前、父がつぶやいた言葉です。         
私はテンポイントにもう逢えないことを、             
なんとなくあの寒い日に分かっていたような気がして、       
父の言葉をどう受け止めていいのかわからなくて、         
ひたすら泣いていたのを覚えています。              
「大きくなったら、もう一度テンポイントに会いたい。」      
私はその思いをずっと胸に抱いて大きくなりました。        
トウショウボーイやグリーングラスの子供達が走るのを       
オキワカやイチワカの子供たちが走るのを見つめながら。      

思い叶って早来を訪れたのはずっと後の事でした。         
静かな木立の中で眠る初恋の相手は、               
どれだけの思いを受け止めてきたのでしょうか。          
手に触れた石の温かさは今も忘れられません。           

Ps.私は動物に好かれるたちなのだそうです。            
大概の動物はすぐに仲良しになれるし、向うから好意を      
よせられることもしばしばです。ですが、今の所、        
ある2頭の馬だけは敵意むき出しで襲われかけました。      
その2頭とは・・トウショウボーイとグリーングラスなのです(笑)