セカイイチ・・・。
テンポイントを思い起こすたび、この「セカイイチ」という名前が
連想されます。
何の関係もないのですが、私が小学校5年生のとき、たまたま
テレビに映っていた初めて見る競馬中継、そこにセカイイチとい
う名前の馬が先頭を走っていました。
全く競馬のことは知らない子供でしたので、「さすがに世界一
の馬は速いなあ・・・」なとど思いながら見ていました。ところが、
直線に入るとズルズルと後退していくではありませんか。
エッー!人間のレースでは速い人は初めから速く、最後になっ
てこんなに足が衰えるなんて・・・と驚きながら、ひたすら世界一
を追っていました。そう、それが馬に付けられた名前であることも
知らずに・・・。
これがきっかけで、その後次第に競馬を見るようになり、タケシバ
オーの強さやタニノムーティエの驚愕の末足(スプリングステーク
ス)、タニクチカラの胸のすく逃げ切り(有馬記念)を経て、テンポ
イントに出会うことになりました。
見るからに華奢な体つき(のように見えただけ)のテンポイントに
対して堂々としたトウショウボーイは、越すに越されぬ存在として
大きな壁となって立ちはだかっていました。3歳(当時)時の強さ
を知っていただけに、いつか越してくれ・・・と祈る気持ちで見てい
たことが実現できたのが、有馬記念でした。そしてその後の惨事。
私は、テンポイントの死のあと、会社に就職することとなり、親元
を離れて一人暮らしをするようになってから、競馬とは疎遠となっ
ていきました。就職後の4月、テンポイントの番組があり、山田厩
務員に記者の心無い質問「テンポイントが亡くなってどういう心境
ですか?」に対して、「テンポイントが死んでどういう気持ちかって
、そんなこと聞くなよ!」と号泣していたのが今でも脳裏を離れま
せん。ただの一ファンとは全然重みが違うんだとつくづく感じた瞬
間でした。
そうそう、それで先のセカイイチですが、その後調べていたら、ど
うやら昭和41年の桜花賞を見ていたのだということが、その時の
状況からわかってきました。ということは、そのレースに勝ったのが
テンポイントの母ワカクモということになります。
母の勝利〜息子の死 ここまでが私の競馬に熱中した時期だった
とは・・・。
今でも競馬は見続けていますし、ビデオもとり続けています。しか
し、あの頃のような強烈な印象を与えた母子は今後も私の中には
現れないでしょう・・・・。
(K.K)
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