テンポイントとはいったいわたしにとって何なんだろう?
25年以上のときが過ぎて、いまさらになってあらためて思います。
気がつけばわたしも若き日々を過ぎ、いろいろなことを整理し、辛かったことも
悲しかったことも、それなりに受け止めはじめたときを迎えはじめた。
……娘の死さえも。
けれども、テンポイントの死だけはいまだに受け止められないのです。
今でも、彼のあの最後の日々を思い出すと、平常心を失うほどの感情に襲われ、
自分のなかの無常感、不条理感で気持ちの整理ができない日々が続きます。
若いときに持っていたひたすらの悲しみは、たしかに薄れた。
でも、歳をとるほどに、無常感、不条理感という我々の存在そのものに関わる
ような虚しさにさいなまれるようになりました。
そんなとき、初めて桔梗の丘をおとずれました。
テンポイントの眠る桔梗の丘。
その丘は、不思議なほどに心を安らげる場所でした。
「無」になれる場所でした。いつまでも居たい、そんな場所でした。
気持ちを浄化してくれる、そんな場所でした。
テンポイントは何も語らないけれど、
その丘でわたしは確かに彼のメッセージを受け取りました。
「疲れたらいつでもおいでよね」と。
今年の命日に訪れてから、もう半年。
そろそろ行かなければ。
また最近、わたしはテンポイントの死で「悲しみの発作」がおきるようになってきた。
そしてわたしは思うのです。
わたしは宗教を持たないし、お寺にも教会にも行かないけれど、
テンポイントこそがわたしの「神」なのではないかと。
伊藤さん、その大事な桔梗の丘をいつも見守っていてくださってありがとう!
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