その姿が私の支えでした

テンポイントが天に召された当時、私は7歳でした。
従って当時のレースをリアルタイムで知っているわけではありません。

しかし子供の頃、父から「テンポイント」という馬について一方ならぬ
思い入れを持って聞かされるうち、いつしかその足跡を知りたい、と思
うようになり、大学時代に「もし朝が来たら〜テンポイント物語」をよ
うやくビデオ店で探し当ててから、その強さ、美しさ、そしてその生の
儚さに魅了されるようになりました。

父のテンポイントに対する思いは、当時父が抱えていた苦しみと無縁で
はなかったと思います。
テンポイントが正にトウショウボーイ、グリーングラスとレース毎に死
闘を繰り広げていた昭和51〜52年頃、母が末期の胃癌と闘っていた
からです。
後年父が私に語ってくれたことがありました。
「昭和52年の有馬記念、テンポイントの単勝を1万円買ったんや。
もしテンポイントが勝ってくれたら、お前のお母さんもきっと元気に
なってくれる、そう思ってな..」

「テンポイントが勝った時、お母さんと抱き合って喜んだで...」

後年になって、父のこの言葉に矛盾があることに気づきました。
母は昭和52年6月28日、天に召されました。
一方、有馬記念は12月。
母がテンポイントの勝利を知る由もありません。

どこで記憶を間違えたのでしょう。
きっと母の病が治って欲しいという思いと、テンポイントの勝利を願う
思いとが一緒になって、このような記憶になったのだろう、と私は解釈
しています。

テンポイントの死と丁度軌を一にするかのように、私達家族には長い試
練の日々が始まりました。
それまで順調だった父の会社は倒産し、多額の借金を背負うこととなり
ました。
私自身も大学までは何とか行けたものの、就職活動の失敗など幾多の辛
い思いをしました。

しかし苦しい時支えてくれたのは、何度トウショウボーイに敗れても
諦めることなく、最後に有馬記念で見事な勝利を収めたテンポイントの
勇姿でした。
今私はようやく希望の部署に配属となり、日々仕事に追われてます。

馬券は時々買いますが、計算抜きで馬を買うことはありません。
「もしテンポイントだったら、倍率1.0倍でも買うのに...」
とよく思います。

テンポイントは今も私の心の支えです。