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福泊海岸に、その地蔵は淡く溶け込んでいた。高さ2メートルの丸彫り。花崗岩製。石造の地蔵菩薩像としては、稀に見る大きさだった。 右手に錫杖、左手に宝珠。衣の線は木彫仏を思わせるような精巧な造りで、穏やかな中にも引き締った表情を見せる顔や衣紋も、写実的な優作だった。 そんな形状からして、鎌倉時代の作に思える。 |
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僧・行基、諸国遍歴の途中、この地に至り、 まことに清浄寂黙の地、仏法有縁の地、 数体の地蔵を刻んだ。 地蔵堂に大きく掲げられた『播州八家浜海石山地蔵菩薩略縁起』によると、この地蔵さん、そのとき行基が刻んだ地蔵のひとつだという。 注文をつけるならばいくらでもあるだろうが、この八家地蔵、古くから数多くの海難菩提を弔ってきていた。 錯覚で歪んでいるかも知れないが、古い記録を通して、この地方の奇妙な風景がいきいきと浮かんでくる。 ――少し広く、遠く歴史を振り返えれば、凄まじいことはいつでもどこにでもあった。 目の前は、潮と潮とがせめぎ合っては砕け散る播磨灘で、背後には広大な塩田跡地が広がっていた。 西に、木庭山の赤味を帯びた岸壁・小赤壁を控える自然の中の地蔵堂だったが、瀬戸内の波のうねりと吹き抜ける潮風の中で、今でも子授け地蔵として参詣の人が途絶えることはないという。 たえず新しい花と線香が焚かれているようだった。 |
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昨日は少しの雨が降ったが、すぐに晴れた。それでも市街地のマンションの四階の小さなベランダの小枝には小さな雫が残っていた。 小さな雫が、射し始めた陽に煌めいているのを見て、フラリと出かけたくなった。 ――電車に乗ってみよう。 山や郊外ではない。 ――春の匂いを嗅ぎながら…。 山陽電車の八家駅から狭い車道を歩いてみた。 ――春を触ってみたい。 住宅地なのだが、それでも野菜畠がところどころに残っていて、その日は偶然にもいい顔をした犬に出会ってしまった。 いい顔といっても、ハンサムとか知的とか、そういった類のいい顔ではない。どこかで、ぼーっとしているような顔だった。 ――人生は長いよ。とにかく、セカセカするのは止めておこうよ。 そんなふうなことを強く主張している顔だった。 尾っぽを振って、人間に媚びるような仕草などしない。 遅い冬の暮れゆく空の下で、 参拝にくる人間を見つけても無関心のような顔だった。しかし完全に無視しているのではない。いい顔をして、ジッとこちらを見つめているだけだった。 まるで人間に、いい顔のお手本でも見せてくれているように。 |
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――もう一度ここを、訪れることができるのだろうか。 そんな確信が持てそうになかったから、帰り際の犬との別れは寂しかった。 後ろは振り返らないで、トットと前を向いて歩いて行こう。 ――じゃあ、また。 薄暗い海底を黙って眺めていると、先ほどの犬を忘れ、自分を忘れ、季節すら忘れてしまって、無限の空間に引き込まれそうになった。 しばらく目を閉じていると、波しぶきと潮の轟きが耳を襲ってくる。 空の色、光の感触、季節の気配に、ふと身を翻したい衝動に狩られた。 ――もうひとりの地蔵さんが、海亀の背に乗って…。 残された略縁起、由来話は大変に興味深く、遠い人の知恵と優しさの中で展開されているのだが、本当にもうひとりの地蔵さんが、今にも姿を現して、目の前に…。 そんな予感に怯えるほどにしたたかなものだった。 騙されたつもりで身を任せてみると、突然の波しぶきが顔に跳ねた。 春の雫が、ひそやかな恵みのようで嬉しかった。 |
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