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上流から下流へ、下流から上流へ――。 川の流れは、古代から生活に密着した思いを奏でてきた。 揖保川や市川の流れは、この意味からいえば播磨の母なる川なのだが、播磨国風土記は、これらの川を舞台とする国占めの物語を伝えていた。 |
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――初めて播磨を統一したのは、出雲からの神、伊和大神である。 その経緯について、播磨国風土記は伊和族を率いる大神の行動として伝えている。 播磨の北西から入ってきた伊和大神は、播磨入りするとすぐに、佐用郡南光町辺りに落ち着こうとして大岩に腰を据えるが、魚も鹿の肉も口から滑り落ち、飢えに苦しんだ。 佐用町ではサヨ姫に恋をして、どうにか同棲するまでにこぎつけるのだが、神としての力が足りないと冷たく袖にされた。自分から身を引いて、スゴスゴと立ち去らねばならなかった。 惨々な播磨入り…。 大神が苦杯を舐める、この辺りの風土記の話は悲哀すら覚える。 ところがこの大神、現在の宍粟郡一宮町伊和に本拠を構えるや、揖保川の水が身体に合ったのかメキメキと力を付けていた。 散在した土着の部族を力で押え切るだけでなく、ひとつにまとめ上げ、初めての王となって、播磨に腰を据えようとしていた。 ――遠い神々の時代のことなのだが、よほどの大事件…。 播磨国風土記はこう記述し、物語はしばしば闘いによって幕を開ける。 |
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天と地と人と。そして、生き物と。 一点の濁りもない紺碧の瀬戸の海は、白い波頭を浜に寄せていた。 海面を飛び跳ねる魚。風切る銛。 歓声が湧いた。その歓声に怯えるように、背後の原野を鹿が駆けた。 鹿の鳴き声を追って槍の集団が、背丈ほどある雑草をかき分けて進む。 すべてが透明な光の中で共存している播磨の原野だったが、その茂みを揺らすのは、風と動物だけではなかった。 異部族の襲撃。 狼煙は闇に燃え上がり、火は茂みに移る。 浜風にあおられた炎は、暮らしの台地を舐めた。 そんな原始の恐怖に囲まれた、宇頭の川尻(現在の揖保川河口)にも、静かな夕暮れが忍び寄っていた。 青みを帯びた光で、ゆったりと眠るような川の流れ。無数の漣が海流に没しようとしていたが、その光の先はどこからともなく海で、繰り返し繰り返された揖保川と瀬戸の海との静かで穏やかな出会いだった。 ある日、一瞬のうちに海水が津波のように盛り上がり、揖保川の流れが逆流する、そんな事件が持ち上がった。 天に輝く日の槍――。 播磨国風土記が書き残すこの辺りの表現には、キーンと音を発するような古代的な透明さすら感じさせるのだが、天日槍命が韓の国から、命がけで海を渡ってきたのだった。 日槍の大舟団が、揖保川河口に姿を現した。 |
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少し強い目に、風が吹く――。 初めのうちはそれくらいにしか思えない出来事だったが、天日槍命の大舟団はイルカの群れのように押し寄せて、揖保川河口をぎっしりと埋めた。 そして、国譲りを迫っていた。 ――大神にもの申す。 先頭の舟に陣取った日槍は、目を怒らせ、阿修羅のように叫んだ。 ――われらは遠く新羅から、はるばると海を渡ってきた。 汝は播磨国の王、播磨王なり。 わが舟団に、ひと夜の宿を与えよ。 日槍は、大剣で海水をかき回しながら叫んでいるのだが、一夜の宿を借りるにしてはいささか唐突で、あまりにも高圧的だった。 一方の大神も負けてはいない。 ――ひと夜だけの宿なら、海の上でもよろしかろうに。 播磨王は、そっ気ない返事を返した。 それもそのはず、日槍は一夜の仮の宿など求めていない。はっきりと、播磨国を譲れ、という要求だった。 狙いはもちろん、播磨国占拠にあった。 |
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――汗と力で開拓した播磨だ。やすやすと奪われてなるものか。 海からの奇襲に驚いた伊和大神は、日槍の大舟団の強大な力に身構えた。 このままでは、播磨一国を賭けた大きな闘いが始まってしまう。 ――これは一大事。 いまだに占め残している土地が、この播磨の奥地に残っているではないか。大きな闘いが始まる前に、まず上流の土地を固め直して押え切らねばなるまい。それから、あらためて軍を整え日槍と対決しよう、と大神は考えた。 慌てて上流の宍粟にまで遡り国占めに駆け巡るのだが、ところがどうしたことか天日槍命の兵が先回りして、早くも奥地の山で作業を始めていたという。 ――これは、はかられた。 無念の呟きが波賀の地名となったと、播磨国風土記は伝えている。 大神は、ここでも小さな敗北感を味わうのだが、これも大神の早とちりだった。 奥地の山で作業していたのは、ずっと早くから渡来していた天日槍軍団と同じ新羅国からの集団で、そこは古くから良質の砂鉄が採れる中国山地の東端だった。 風土記が伝えるこの話は、播磨の奥地の山から採れる良質の砂鉄と海から迎えた製鉄の技術がうまく結びつく神話なのだが、以来二神は揖保川沿いに激しいデッドヒートを繰り広げることになる。 |
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駆ける大神の後を追って、日槍も川を溯る。 まさに一国を賭けた死闘というにふさわしい闘いが、長閑な播磨を舞台に展開されようとしていた。 ひとつの谷を奪い、引き合う力のためか藤蔓のように折れ曲る――。 谷を奪い合うほどに激しく、川も表情を変えるほどだったと風土記が伝えるのは、一宮町の染河内川の流れる谷のことで、今でも奪谷という名が残る谷のことだった。 地図の上で確かめてみると、なるほどその曲がり様がはっきりと残されている。 大神なのか、日槍なのか。 どちらの神がどちらの方向へ、どう引っぱったのか、川の真ん中あたりで北へ、ぐいっと引き曲がっている。 よほどの勢力伯仲だったのだろう、もはや揖保川河口のような光の乱舞は見られない。 急ぐ大神――。 追う日槍――。 二神の闘いは、山を越えて里へと飛び火した。 |
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――二神が闘う。 糠岡に残る風土記の一節にも、ダイナミックな神々の闘争が秘められていた。 ――大神の軍が、稲をつく。 村里での闘いは、宍粟の山岳戦とは異なる雄大なスケールを持っていた。 ――糠が群れ固まって丘となる。 一宮から山越えで飛び火した、平野部での総力戦だった。 馬のいななきと兵士たちの叫喚を求めて、船津の丘を訪ねてみよう。愉しみながらも、執拗に風土記の世界を追いかけてみたい。 風土記に残る糠岡は、今でも小高い丘となって船津の村里に残されている。その丘の麓は一面の竹薮で、季節はずれの筍が顔を覗かせていた。 少しばかりの空地には椎茸が栽培され、遠く西方を望むと、なだらかな起伏を持つ播磨の山野が煌らめいている。 そんな牧歌的で平和な村里の佇まいからは、いくら耳を澄ましてみても古代の闘いのドラマなど聞こえてはこないのだが、しかし地元では古くからのいい伝えが残されていた。 ――太古のころ、ここ、市川が流れていた。 突如として、古代が鮮明に蘇ってくる。 ――糠岡は、もと市川の中州…。 播磨に残る地名の多くが、異国から来た神と国神の二神の闘いに由来しているのを知るとき、またもや不意に神話が語り掛けてきた。 |
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二神の対決を追って、先を急ごう。 伊和大神と天日槍命は、市川上流を巡って一戦を交えていた。 市川争奪戦――。 当時の伊和の里は、現在の姫路の市街をすっぽりと含んでいたという。南は手柄山公園の辺りから、北は増位・広峰の連なる山々まで、東は市川、西は夢前川によって区切られた範囲だった。 とするとここ糠岡は、市川上流の拠点で伊和軍の前進基地ということになる。 糠岡を死守するということは、あるいは市川水系全域の水利権をも確保する、そんな意味すら込められていたのかも知れない。 ――兵士の兵糧づくりについた米の糠が、集まって丘となる。 このなにげない表現に、伊和大神の必死の思いと心のありようが伝わってくる。 ここでの闘いは、播磨一国を賭けた総力戦だった。そしてそれは、持久戦でもあった。 大神の伊和軍は、十分な腹ごしらえをして日槍軍に応戦しようと考えた。 糠岡から東へ2キロほどの地点に、日槍の軍兵が1万人には少し足りない8,000人も集まった陣地跡が、八千軍(やちぐさ・現在の八千種)の地名となって現在に残されたが、それでも大神と日槍の闘いは、決着が着きそうにない。 |
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――大地を占め、谷を奪い合う。 そんな闘いのドラマの中に、神話のいのちを読み取ればいい。 播磨一国を賭けた平野での総力戦だったが、ついに二神は最後の決戦に入った。 対決の結末は…。 一宮町三方の志爾嵩(高峰山)の山頂に登って、どちらの神が播磨国から退却するのか、決着を着ける闘いを始めるのだが、一宮町三方といえば播磨の最北端で、富士野峠を越えればもう日本海側の但馬国だった。 そこでは二神が、一風変った争いを展開していた。それぞれが、足につる草の黒葛三条(3本)を結びつけ、勢いよく投げ合うのだという。 すると大神のつる草3本のうち、1本が但馬国の気多郡、1本が養父郡、1本が播磨の里に落ちた。ところが日槍の3本ともは、但馬国へと落ちていた。 結果、これら一連の闘いに決着が着けられ、闘いはピリオドを打つ。 ところで、その勝敗の行方は…ということになるのだが、おそらくそんなことは大きな問題ではないのだろう。 大神は、ともかく日槍を播磨から立ち退かせ、但馬の国へと追いやっていた。 ――播磨に、春が…。 長閑で平和な、いかにも神話らしい闘いの結末だったが、大勝利に酔う伊和大神の祝宴のかがり火は、血潮の噴出のようにたぎって夜空を焦がしていた。 このあと伊和大神は、播磨の覇者として君臨し、今の手柄山の南山麓辺りに拠点を構える。 |
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4、5世紀の昔――、ということになるのだろう。 つる草を砲丸投げみたいにして、二神の闘いに決着を着けているあたり、実際には血を流した戦いなどなかった。 稲作文化が定着していた播磨平野に、新しい力が入ってくる。 想像してみるに鉄の文化が入ってきたのだろうが、そんなカルチャーショックが二神の物語となって伝えられていた。 渡来人だった天日槍命が、宍粟の山で採れる良質の砂鉄から和鉄を産する部族と近い関係にあったのに、土着の伊和大神は稲作で暮らしを立てていた。そんなことが風土記の二神の闘いぶりに散見される。 播磨国風土記は大神のことを、はっきりと書き残していた。 出雲からの神――。 どうやら伊和大神は、出雲大社に引き籠もった大国主神の兄弟なのかも知れない。 神の国を造りあげた大国主神は、大和の勢力に迫られるとあっさり国を譲って出雲大社に引き込もった。 とり残された80人の兄弟たちは、ある時期、ゆかりの部族に担がれて、それぞれの方法で新興地の大和をめざして出雲を離れる。 それぞれが独自の力で出立しょうとしていた。 部族が大きいと、舟団を連ねて出雲から敦賀まで、そして陸路を華やかに大和をめざすのだが、弱小だった伊和族は山の間を縫って、難儀しながらも目的はやはり大和だった。 ところがどういうわけか伊和大神は、神々が大らかに野を駆ける播磨の大地に留まって、超古代王国を築こうとしていた。 |
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――では、なぜ伊和族はめざす大和行きを、この播磨で諦めたのだろうか。 そんな疑問を持ちながら、日本地図を出してみて驚いた。 播磨は、出雲と大和のちょうど真ん中に当たっているではないか。 つまり伊和族は、大和への道半ばの播磨で、《神の国》と《政の国》のちょうど折れ目に位置する播磨国で、その前途を放棄していた。 ――なぜ大和への道を、播磨で放棄したのだろうか。 闘いに決着を着けようと登った一宮町の志爾嵩は、その発音どおり『死岳』なのだが、それは決して不吉な山ではない。大きな力を得て死から再生する、出雲文化にとってのシンボル的な山だった。 つる草を投げ合うというたわいもない決着の仕方だったが、志爾嵩へ異文化の天日槍命を従えて登る、そのことだけで大神の率いる出雲文化の勝利は、ほぼ決まったようなものだった。 そこでは、製鉄という新しい技術に秀でた天日槍命が、伊和族が浸透させていた出雲文化に溶け込むことができずにやむなく播磨を去っていくという、文化と技術の火花が散っていた。 伊和大神にしても、天日槍命にとっても、異郷の播磨で火花は散っていた。 大神にしてみれば、新しい技術では日槍に敗れたかも知れないが、出雲以来の精神文化では決して負けてはいない。 神の国・出雲では、人は死んでも死の国で試練を受けることで汚れを拭い去り、再び生き返ることができるという。 ところが、政が先行する大和では、人の再生どころか現世こそが第一義で、出雲でいうところの死生観は単に敗北でしかない。 ――ここから先は、どうやら異国のようだ。 |
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大神は、大和への道を播磨で放棄していた。 神の国を生きる大神にとって、播磨から先はあまりにも現実的で、そして刹那的に映っていたに違いない。 命の行方を巡って、大神の胸中をふたつの思いが競い合っていた。 ――死は、単に敗北でしかないのか。 それとも再生へのステップか。 しかしこの時期の播磨には、そんな長閑な出来事とは別に大和の新しい勢力がヒタヒタと、そして確実な足取りで及んできていた。 不幸にも、新しい権力者とその時代の訪れを、大神に告げなくてはならない。 そしてこのことは、播磨も大和の全国統治の網にがんじがらめに被せられる、そんなことに繋がっていく。 死のデッドヒート――。 そして、ダイナミックな総力戦――。 播磨国風土記は、血の温かな王者像を現代に浮かび上がらせてくれた。 |
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