ギャモンの歴史


海外では、ダンヒルやカルチェなど、超一流店が
独自のブランドでバックギャモンを製作していることや
カルダンのデザインによるゲーム盤が市販されていることなどから、
このゲームの人気やファッション性が伺いしれるし、
映画のワンシーンにもよく登場したりもする。


これらのことから、バックギャモンとは、ヨーロッパやアメリカのみで、
流行しているかのように思われがちだが、実はこのゲームは日本でも
昔から、遊ばれていた由緒あるゲームなのである。


それではここで、バックギャモンの歴史にふれてみたいと思う。
なんと、時代は紀元前にまでさかのぼる。


発祥の地は、インドともエジプトとも言われているが、中国を経て、
飛鳥時代に我が国に伝わり、盤双六(ばんすごろく)と呼ばれていた。
万葉集にもバックギャモンのことを歌ったものまである。


その後、盤双六は、碁、将棋の遊戯盤とあわせて三面と呼ばれ、
江戸時代には婚礼調度品のひとつにまでなっていた。
中でも、もっとも人気のあったのが、盤双六であったのだが、
それが、逆に命取りになってしまった。


すなわち、賭博化の傾向が、強いため、幕府から強力な禁止令が出されて、
姿を消してしまったのである。


ヨーロッパに伝わったバックギャモンは、やはり教会や大学から
何度も禁止令を出されるはめにおちいるが、すたれることなく
現代まで受け継がれてきた。


もちろんアメリカへも開拓時代から伝わり、やがてあの「ダブリング」
の発明という、画期的な出来事が起きる。
これは、二人のプレーヤーが、交互に掛金を倍にせり上げるというもので
ポーカーのレイズと同じようなスリルをゲームに加味することになった。


そして、1960年代に、ロシアの亡命貴族、アレクシス・オボレンスキーが
このゲームの国際トーナメントを企画して以来、今日の興隆を見せているのである。


現在ではラスベガスの国際大会や、我国においても、
新盤双六道院と友好関係にある、JBL(日本バックギャモン連盟)が
開催するジャパンオープン、日本選手権などが
バックギャモンの人気を支えているといえよう。


また最近ではインターネットの普及により、自宅にいながら
世界の強豪とプレイすることが、出来るようになった。
GG(ゲームズ グリット)やYAHOO-GAMEなどがその代表的サイトである。
そして我、新盤双六道院もこのYAHOOーGAMEを中心に活動を行っているのである。
(時に、GGや、赤坂にあるJBLのサロンにも出没するが・・・・。)


コンピューターソフトも開発されてきている。
一時は、どんなソフトも私の相手にならなかったのだが、
ジェリーフィッシュ(レベル7)には勝ち越せず、
スノーウィーにはこてんぱんにやられるなど、強いソフトが
たくさん出て来ている。
そして、そのプレイを解析することによって、
新しいム−ブも誕生してきているようだ。


我が新盤双六道院ではインターネットとコンピューターソフトという
新しい、時代のアイテムを使いながら、日本において失われてしまった
きめ細やかな、そしてある時はだいたんな日本人独自のプレイを
盤双六の名のもとに復活させようとしていうものである。
(バックギャモンブック参照) 2000年05.09