ひとめぼれ
突然ですが、皆さんは『一目惚れ』をしたことはありますか?
もちろん一目惚れにもいろいろあります。バイクとかギターとか軍服とか(ヲイ)。でも、ここでは本来の意味である女性に対してです。
実を言うと、ぼくはあります。
もちろん、かなり昔の話で、一度きりの経験でしたが。
地下鉄での移動中、車内は満席で立っている人もそれなり。
時刻は夕方のちょっと前、ラッシュアワーの直前です。
ぼくは車内の真ん中あたりに立ち、目的地までをぼんやり過ごしていました。
しかし、ほどなくして、すぐ近くにいた女子高生に気づきます。
それは驚くほど美しい少女でした。
なんというか、こんな美少女が本当にいるんだ……とタメ息が出てしまうほど可愛い。
都内某所の公立高校の制服。もちろん化粧っ気はゼロ。モデルとかアイドルと違い、飾らないナチュラルな雰囲気でありながら、そのオーラは強烈でした。
それなのに、車内で彼女に目を向ける者は誰もいません。もしかすると彼女の美しさに気づいているのは、ぼくひとりだけ? そんなことすら考えてしまう奇妙な空間。
実際それだけなら、ただの目の保養で終わり……のはずだったのです。
電車が駅のホームにすべりこみ、ドアが開きます。数人が降車し、数人が乗りこんできます。
その中に、赤ちゃんを抱いた女性がいました。すぐに降りるつもりなのか空席を探すこともなく、クルリと回るとドアの方を向いて立ちます。
女性の肩ごしに赤ちゃんの顔。その正面には、さっきの女の子。
と、彼女の表情がいきなり変化しました。
ニッコリ笑って、赤ちゃんに向かって口を尖らせてみたり、口パクでなにか話しかけるそぶりをしてみたり、寄り目をしてみせたり。
赤ちゃんはキョトンとした表情で目を丸くしてます。背中越しなので、お母さんは気づきません。黒い瞳とつぶらな瞳が交差する、ほんの数分の出来事。それはまるで魔法のような時間でした。
黙っている時は、ちょっとツンと澄ました感じだったのに、なにげなく見せた母性本能とでもいうのでしょうか。萌え〜なんて言葉では表現できません。
わたしは感動というより、なかば茫然とした面持ちでドキドキしながら、ふたりの秘密のやりとりを見守っていました。
やがて電車が駅に到着し、お母さんと赤ちゃんは降りていきました。
女の子は赤ちゃんに向かって、小さく手をふりました。
その女の子も、次の駅で降りてしまいました。
ぼくは、そのまま目的地まで向かいました。
なぜあの時、追いかけていって結婚を申し込まなかったのか?
いまだに後悔しています。
(2012/01/02)