九段会館の思い出  

 東京の千代田区。北の丸公園のすぐそばに「九段会館」という建物があります。  
 建設されたのは戦前で、その時は「軍人会館」といういかめしい名前。重厚な西洋建築の上に日本風の屋根を乗せた「帝冠様式」が特徴的な建物。しかし、東日本大震災で悲惨な事故が起きてしまい、現在は閉館中です。  
 今後の運命はまだわかりませんが、管理する日本遺族会が国へ返還するとの方針を示しており、もしかすると取り壊されてしまうのではないかと心配です。  

 さて、この九段会館。なんともトホホな思い出があります。  
 上述したように管理団体は日本遺族会。前身が軍人会館ということもあって、太平洋戦争で戦死した軍人の遺族や、生き残った人たちなどと関わりが深い施設です。  
 ここで毎年「軍歌まつり」みたいなイベントが開催されていました(正式名称は失念)。生バンドが戦時歌謡とか軍歌を演奏し、お年寄りが過ぎ去りし日を想う、そんなイベントなのだとか。  
 ちなみに、このイベントではアトラクションとして軍服のコスプレが登場します。  
 日本軍のミリタリーマニア有志が集まって、ステージの上を行進したり、敬礼したりするのです。でも、まさか自分がそこに巻き込まれるとは思いませんでした……。  

 とあるミリタリーのイベントで、普段はあまり話をしたことがない日本軍マニアの人から声をかけられました。今度の軍歌まつりで「異国の丘」という曲を演奏するのだが、ちょっと協力してもらえないか?
 はて? なんでわたしらに? 
 そこで説明を聞いたのですが、その中味は身の毛がよだつものでした(笑)。  

 「異国の丘」とは戦後ソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留された日本軍兵士たちの望郷の想いをしたためた詩です。彼らのリクエストは、その曲の演奏に合わせて、日本兵捕虜たちをドツキ回すソ連兵を演じて欲しいというものでした。  
 冗談じゃありません! わたしはすぐさま断りました。  
 そりゃ普段から自分たちは、不謹慎でバチ当たりなことばかりしでかしてますが、実際に抑留経験がある人や、親族をシベリアで亡くした人たちの前でそんなことできないでしょうが!  
 しかし、彼らの勧誘はとても熱心で、だんだん押し切られていく自分がいました。  

 考えてみりゃ日本軍だって、中国や韓国、北朝鮮などでは鬼畜の所業をやらかす極悪非道の集団として描かれています。ナチスドイツは言わずもがな。そしてソ連軍だってハリウッド映画では悪役の定番でした。  
 日本人でありながら好き好んでソ連の軍服にソデを通し、いつ非国民栄誉賞を授与されてもおかしくない我々が「悪役あつかいされるのはイヤ」なんてフヌケた理由で出演依頼を断るというのも、大人気ない気がしないでもありません。  
 というわけで数人の有志を説得し、当日を迎えたのでございました。  

 季節は、夏の真っ盛り。ちょうど今ごろだったでしょうか。
 会場には白髪頭のおじいさん、おばあさんがひしめいています。若い人も混ざっていますが、どう見てもライトウィングなオーラをまとった方々……。  

 完全アウェー状態…………。    

 いつ簀巻きにされて千鳥ヶ淵に叩き込まれるかわからない状態です(嘘)。しかし、ここまで来たら、もう引き下がれません。さっさとやって、さっさと終えて、さっさと帰る!   
 気を取り直して、そそくさと着替えます。  
 分厚いウールのコートにブーツ。頭には毛皮帽。そして武器はPPSh-41短機関銃。
 館内は冷房が効いているとはいえ、さすがに暑いので下はTシャツ一枚。  
 日本兵捕虜役はというと、どこで手に入れたのかボロボロの防寒着に、発泡スチロールでできた材木、ズダ袋などの小道具を揃えています。  
 で、ここで簡単な演出の打ち合わせをして、いざ本番。  
 司会の案内で捕虜たちがステージに登場します。聴衆の視線がステージに集中したところを見計らって、ソ連兵は観客席後方のドアからむっつりと中に入ります。  
 ざわめく館内。曲がスタートします。  

 今日も暮れ行く、異国の丘に
 友よ辛かろ、切なかろ……。
 


 そんな哀愁を帯びた歌声とともに捕虜たちがヨロヨロと観客席の間を練り歩きます。我々ソ連軍はロシア語で「ダワイ!」と叫びながら、捕虜たちを急き立てます。  
 捕虜の一人がつまずいて転びます。  
 容赦なく蹴りを突っ込むソ連兵。  
 捕虜たちは互いをかばいあいながら、再び歩き始めます。  
 観客席のおじいちゃん、おばあちゃんは捕虜たちをいたわるように手を伸ばし、その光景に頭がクラクラしてきますが、こっちもだんだんエスカレートしてきます。もうヤケクソです。  
 演奏が終了した時、ノドはカラカラでした。  
 汗びっしょりだったのは、単なる暑さのせいだけとは思えません。  
 とりあえずそそくさと退場。バタバタと服を脱いで、帰る準備です。  
 そこへ主催者の人たちが現れました。とりあえず丁重なお礼に恐縮です。しかし、こちらは聴衆の反応が心配でした。

「あの……失神した人とか、怒り狂ってる人とかいませんか?」
「みんな泣いてます(笑)」


 ぐあああああああっ!! 
 だから言ったじゃないですかーっ!  

 
 その後も、ゆっくりしていけとか、終了後の打ち上げに参加してくれとか、本当に好意的なお誘いを受けたのですが、さすがに居すわる度胸はありません。貴重な体験にこちらからもお礼を言い、逃げるように九段会館をあとにしたのでした。  

 しかし、本当のところ聴衆の反応はどうだったのか、さすがに気になります。  
 そこで後日、改めて関係者にお会いすると、意外なことを聞かされました。  
 ひどい場面を延々と見せられて涙していた人たちなのに、終わってみれば大好評。来年も是非やってほしいという声が多々寄せられたというのです。  
 よくよく聞いてみると、なんとも複雑な感情が垣間見えてきました。  
 聴衆の方々は、親族がどんな抑留生活を送っていたのか、文献などでは知っているものの、実際にその場を見たわけでありません。  
 そこに一目でわかる単純明快なイメージが提示されたことで、それまでなんとなく抽象的だった情報が、一気に具体的なものとして実感できるようになったのだとか。
 抑留をテーマにしたドラマや映画も沢山あるはずなのですが、やはり目の前で見るというのはインパクトが違うのでしょうか。
 軍服などの考証は、それほどリアルではなかったのですが、多少は役に立ったのかな?  
 とはいえこっちの心労も大変なものでした。次の年もお誘いを受けたのですが、精神的、肉体的な負担が大きく、丁重にお断りしています。  

 さて。これがきっかけで、なにかの運命がつながったのでしょうか?
 
わたしたちは劇団四季のミュージカル「異国の丘」でも衣装協力をする羽目になっています。
 ちなみに、この時はごく普通の観客として鑑賞に行きました。
 NKVD(スターリン時代のソ連の秘密警察)の格好で。

                               (2011/08/03