その57: 馬鹿が会津にやってくる。

 去年の10月、軍服仲間と一緒に福島県の会津若松を旅行しました。  
 一泊二日で、名所旧跡をめぐり、温泉旅館でふやけてこようという企画です。  
 といっても実現は大変でした。なにしろみんな社会人。それぞれに仕事やら家庭やらの都合があり、ちょっとした飲み会でさえも、なかなか足並みが揃わないのが実情です。
 ここはしっかりと強い意志をもって、断固たる態度でスケジュールを合わせる、ということが要求されるわけですね。  
 だけど、いざ決まればウキウキした気分。
 しかも今回は、ちゃんと旅行代理店に企画を作ってもらい、添乗員さんつきの専用バスという、なかなか豪華な旅行。秋晴れの早朝に東京は丸の内に集合し、いざ出発です。  

 今回の団体名は「アナクロニズム'84」で組んでもらいました。
 この集団はかつて、ソ連軍の制服で新潟を旅行するという暴挙をやらかしましたが、今回はおとなしいもので……と思ったら、やっぱりというか、指示されたわけでもないのに、着てくる奴がおりました。まぁ、その辺は本人の自由意志ということで。
 まずは途中、那須塩原で昼食の休憩。
 お出迎えの看板にも、しっかり団体名が出てます……と、なにやら怪しい名前が。「パワースポットミステリー」? しかし、もっと目をひくのが「町屋福寿会はなぞの保育園」……「町屋福寿会は謎の保育園」


 渋滞に巻き込まれることもなく、バスは順調に北上していきます。車内では早速酒盛りが……と思いきや、みんな案外まじめ。外の景色を見たり、のんびりおしゃべりしてます。わたしも東北の旅というのは初めてなので、車窓の景色を楽しみました。
というわけで
磐梯山。会津磐梯山です。宝の山と言われてる磐梯山です。



 トイレ休憩。とりあえず磐梯山の看板がこれしかなかったので一枚。 


 会津若松市内に入ったバスは、そのまま飯盛山へ。
  ここは会津戦争で自刃した白虎隊の悲劇の現場。いきなり旅のクライマックスです。目の前の長い階段の先に、彼らがまさに命を絶った現場があります。ここには専門のガイドさんが常駐しているので、その人に案内してもらって、さまざまなエピソードを聞かせてもらいます。
 ところで。この階段、あまりにも急で長いため、右側にエスカレーターが設置されています。わたしたちは全員、当然のごとく階段を登るつもりだったのですが、添乗員さんもガイドさんも女性のためか、なんか躊躇してます。
 「おふたりでエスカレーターを利用しては?」と言ったのですが、このエスカレーター、有料だそうで。なるほどお客さんを差し置いて自分たちだけが利用するわけにはいかないのですね。
 わたしたちは、別にエスカレーター代をけちったわけじゃないのですけど。


 とりあえずテクテクと登ります。途中、何度かふりむいて景色を眺めますが、会津若松市の
眺望はなかなかきれいです。やっぱりエスカレーターより階段の方がいいんじゃないかなあ。と、奇妙な光景が。
 白虎隊の少年隊士のコスプレ(?)をした女性がものすごい勢いで駆け上がってくるのです。と、みるみるうちにわたしたちを追い抜き、頂上へ。
 実は、この方はガイドさん。最初の人と交代でやってきたのだそうですが、すごく根性の座った方です。


 頂上は案外、広い空間でした。息を切らせたガイドさんの熱い解説がはじまります。もしかして「歴女」という人たちでしょうか? これは白虎隊の隊士たちの慰霊碑。お線香が売られており、お供えすることができます。

 慰霊碑から少し離れたところにある白虎隊の自刃の現場。ここから会津藩の中枢、鶴ヶ城を見た少年たちは、煙に包まれる城を見て、落城と勘違い。もはやこれまでと次々と命を絶ってしまいます。この石碑は、まさにその様子を眺めているところ。
 実はこの場所、ごく普通の墓地なので、むやみにあちこち撮影するのは、なんかためらわれます。
 
 昭和3年、イタリアのローマ市から寄贈されたという古代ローマの石柱。なんとポンペイの遺跡から発掘されたものだそうで、イタリアでは国宝級なのだとか。てっぺんに乗っているのは青銅のドラゴンで、こちらは当時のもの。土台部分にはローマ市民からのメッセージが彫られてあります。
 ちなみに裏側には「武士道の精神に捧ぐ」と彫られていたそうですが、戦後、GHQの命令によって削り取られてしまったそうです。ぐぬぬ……とりあえずファシスト党に敬意を表して「Viva Duce!(ビバ ドウーチェ!」とローマ式敬礼。
 ところで、ガイドさんに聞いて驚いたのですが、わたしたちが登ってきたあの長い階段は、白虎隊士の慰霊碑参拝のためではなく、 この柱を運び上げるために作られたものなのだそうです。当時の日本人も根性入ってますな。


 イタリアときたら次はドイツ。もちろんナチスドイツ。
 
昭和10年当時、駐日ドイツ大使館の外交官だったフォン・エッツ・ドルフ氏が建てた石碑です。 碑文には「会津の若き少年武士に贈る」とあり、当時はナチスのハーケンクロイツがバッチリ彫り込まれてたそうですが、戦後、やはりGHQによって削り取られ、挙げ句の果てに石碑自体が撤去されてしまいました。
 昭和28年に再刻されて復元されたそうですが、ハーケンクロイツは普通の鉄十字に変更されてしまいました。悔しいので全員で「ジーク・ハイル!」と叫んできました。
 それにしても、ファシズム政権下の人々は、どうしてここまで白虎隊に心惹かれたのでしょうね?


 飯盛山には他にも見どころが沢山あります。これは重要文化財の「さざえ堂」。内部は階段ではなく螺旋状の通路があります。この通路は二重になっており、登る人と下りる人は、すれちがうことがありません。とても面白い構造の建物です。
 
 
しかし、天井が低い上に、建物自体がとてつもなく古いので、中を進むのはちょっと恐いです。 でも東日本大震災で、損傷したというニュースは聞いていませんから、今もしっかり建っているはずです。


 なんと飯盛山には「厳島神社」があります。というか、そもそも飯盛山といえば、こちらが中心であり、歴史も14世紀ぐらいまで遡るとか。ムッソリーニ階段(勝手に命名)は、やはり裏口ということになりますね。


 あちこち回って、ふもとにもどってきました。自動
販売機はご当地仕様。ちなみに白虎隊コスのガイドさんは、このあと剣舞を披露してくださいました。それと、わりと有名な話らしいのですが、今ではあちこちの土産物屋に置いてある「木刀のおみやげ」を最初に売り出したのは、この飯盛山の土産店なのだとか。
 木刀といえば、京都なんかの修学旅行では、勢いで買ってしまう奴が必ずいて、先生に取り上げられていたものです。


 一日目のスケジュールを無事に消化して、今日の宿へ。「御宿 東鳳」という、ものすごく立派なホテルでした。露天風呂がカッコよくて、しかも眺めが最高。普段はカラスの行水と言われている自分ですが、冷たい夜風とぬるめのお湯のおかげで、のぼせることもなく、じっくり長風呂を楽しむことができました。実は露天風呂では別の意味での絶景もチラリと見えたのですが、それは別のおはなし。
それにしても……「ゲゲゲの会」って……?

 翌日。「会津武家屋敷」へ。
  会津藩で代々、家老をつとめた西郷頼母の屋敷が、そのまま残されています。当時、一七〇〇石取りというから、かなりの家柄&お金持ちなのでしょうね。実際、立派で広大なお屋敷です。ドラマのロケなどにも使われたそうです。
 
  内部です。冬場は中に入れるそうですが、わたしたちが行った時期は、庭から中を眺めるぐらいです。これはカメラだけを突っ込んで撮影しました。確かに趣のあるしつらえです。
 
  とにかく広くて迷います。でも、どんな身分の人間が、どんな部屋にいて、どんな風に屋敷内を移動するのかとかがわかるので、時代小説とかの参考にはよいと思います。
 

 そして二日目のハイライト。会津城の中枢「鶴ヶ城」です。
 ここではバスを下りた途端、大きな建物に案内されました。てっきり入場チケット販売の施設かなにかかと思ったら、お土産センターでした。中を通らなくてもお城には入れるのですが、お手ごろ価格で旅行ができるのには、こういう細かいノウハウが駆使されているからなのですな。
 
  お城の中庭では、お茶会が開かれていました。
 着物姿のご婦人がたくさんいて、優雅な雰囲気です。まるで園遊会ですな。行ったことありませんが。


 じゃーん……と言いたい、鶴ヶ城。
 残念ながら、自分たちが旅行した時は、修復修理中でした。なんでも創建当時の姿に戻すとか。そんな訳で、城全体が、足場に覆われております。飯盛山から見た時は、なんとなく城の形が見えなくもなかったのですが、これは外壁部に描かれたイラストでした。完成の暁には、瓦屋根がすべて赤茶色になるそうです。

 鶴ヶ城のシャチホコ。銀箔にダイヤモンド?とのこと。改修作業中なのは残念でしたが、こうした普段は見られないモノが見られるのは、良かったのかな?
 瓦屋根は、すでに一部が完了してました。これがすべての階層を覆うとなると、鶴ケ城のイメージもだいぶ、変わりそうです。
 これぞ、取りたかった写真。
  観光地でのベタな集合写真が、なんとなく欲しかったのです。当日、現場で写真屋さんから誘われました。もちろん断わる理由はありません。こういうのって、逆にいいと思いません?
 
 鶴ヶ城を出たあとは、東京に戻ります。
 途中で、十和田湖畔にある、野口英世資料館に寄りました。ここもなにげに観光名所です。特に有名なのは、英世にあてた母の手紙……なのですが、わたしは英世が各国から贈られた勲章類をもっぱら撮影。エクアドルの勲章の資料なんて、ここぐらいしかありませんよ。
 

 かくして旅行は終わり。結論から言えば、とても楽しかったです。
 なんとなく大学時代の合宿なんかを思い出したり。ひとりひとりが、自分に合った旅行のスタイルで、楽しめれば、それが一番ですね。



  今、福島県をはじめ、東北地方の観光産業は大打撃を受けているそうです。
 自粛ムードや余震への不安、原発の問題など、さまざまな要因が関わっているからだと思いますが、なんとか、がんばって欲しいと思います。ここでは紹介してませんが、他にも見どころはたくさんありました。

 震災のあと、一緒に旅行した仲間と話をしました。
 「また行こうよ!」と言ったら、みんなうなずいてくれました。
  といっても、それはちょっと先のことになるかもしれません。わたしの友人・知人には自衛隊や警察、消防などに携わっている者もおり、彼らの多くが、今も各地の被災地でそれぞれの任務を果たしています。
 すべてが終わったら、全員そろって、笑顔で再び行きたいですね。
 いや、行きますよ。絶対。

 がんばろう。東北。
 (2011/04/29)