ホームズと妖精

 最近、東京MXテレビで「シャーロック・ホームズの冒険」が始まりました。以前、NHKでやっていたジェレミー・ブレット主演の名作ドラマです。  
 毎回、楽しみに見ているのですが、作者のサー・アーサー・コナン・ドイルの名前を見て、ふと思い出したことがありました。  
 ドイルは「サー」。すなわちナイトの称号を持っているのですよね。  
 で、ゆくりなくも思い出したのが「コティングリーの妖精事件」です。  
 20世紀初頭の英国。コティングリーという小さな村に住む少女たちが撮影した写真に、妖精の姿が写っていたというもの。その真贋をめぐっては多くの論争が巻き起こりましたが、結局、後年になって、かつての少女のひとりが「あれはトリックだった」と告白。論争に決着がつきました。  
 この騒ぎに、ドイルも関わっています。  
 彼は、妖精が写った写真を「本物である」と強硬に主張し、トリック説を唱える人々と論戦を展開したのでした。この頃のドイルについての記述は、あまり好意的なものが見つかりません。いわく、過剰な神秘主義に傾倒し、誰もがウソだとわかるインチキ写真を本物と信じ込み、結局、赤っ恥をかいた……と。  
 でも、なんとなく、ぼんやりと考えたことがあります。なぜ、ドイルは「コティングリーの妖精写真」を本物だと主張したのか?  
 何の根拠もありませんが、自分なりのたどりついた結論があります。
それは彼が紳士だから。すなわちジェントルマンだったから、ではないかと。   

 ぶっちゃけ、絵本の切り抜きを配置しただけのインチキ写真をドイルが見抜けなかったとも思えないのです。でも、それをあえて「本物だ」と主張する。その真意は?  
 少女たちの無邪気なイタズラをスクープにしたのは、大人たちです。もっと狭めて言えば、当時のマスコミです。話題になっただけなら、それで良かったかもしれません。  
 でも、写真の真贋論争は過熱していきます。  
 少女たちは、ひどく不安だったのではないでしょうか。なにげないイタズラだったのに、まるで犯罪のように言われる。そうかと思えば、猫なで声で金儲け話をもってくる大人たち……。  
 ドイルは、そんな少女たちのために一肌脱いだのではないか?と思うのです。  
 一目で合成とわかる写真を、あえて本物だと主張し、矢面に立って反対派の批判を一身に集め、結局、恥をかき笑い者にされる。そうやって彼は、少女たちを守ろうとしたのかもしれません。  
 
  ジェントルマンであろうとする男なら、有り得ることではないかと思います。  

 もちろん、本物だと強弁するドイルの主張は、当の少女たちにとっては迷惑だったかもしれません。でも、神秘主義に傾倒していたとはいえ、大人の身勝手に振り回される少女たちに、ドイルが何も感じなかったとも思えないのです。彼自身、有名になって様々な苦労を経験したはずですから。  

 自分の勝手な解釈ですが、ドイルと妖精写真から、弱い者を助けるという言葉の本質に思いをはせたりしています。
 ちなみにコティングリーの妖精写真には好きなエピソードがあります。
 
たくさんのトリック写真の中に、実は少女たちが撮影した憶えのない一枚が混ざっている、というもの。
 ぼくは、この話を信じたいです。 いつまでもずっと。