なにが言いたいのかわからない、は本当か?

 日曜日の朝は、YES! プリキュア5というアニメを見ています。  
 その登場人物のひとりに「秋元こまち」という女の子がいるのですが、彼女は図書委員で小説家志望という設定。その設定を生かしたエピソードが少し前にありました。  
 小説家志望の彼女が書いた原稿を、仲間のナッツという人(?)が読むのですが「なにが言いたいのかわからない」と一刀両断され、こまちは落ち込んでしまうという話。脚本を担当した成田良美さんのブログによると、このセリフには成田さんの実体験が反映しているそうです。  
 数えたわけではありませんが、物語とか絵を創作したキャラクターが「なにが言いたいのかわからない」というセリフでやりこめられる、というパターンはチョコチョコ見かける気がします。
 
あるいは、実際の感想とか評価でそう言われてしまった人もいることでしょう。幸い、わたしはありません。たぶん忘れてしまうことに成功したのだと思います。  
 しかし、今回のアニメを見ていて、ちょっと考えてしまいました。
 「なにが言いたいのかわからない作品」とはよく使われる言葉だけれど、果たして本当にそんな小説は存在するのかと?     

 あらかじめ申し上げておきますと
 「なにが書いてあるのかわからない作品」というのは存在します。  

 文章に決定的な問題があって、日本語になっていないものです。  
 新人賞の応募作品に必ずあります。日本の国語教育の未来に深刻な危機感を抱いてしまうので、学校の先生なんとかしてください。  
 けれども、そうした事例を除けば「なにが言いたいのかわからない」なんて作品は存在しないんじゃないか、という気もします。あれこれ欠点があったとしても、ほとんどの小説は言いたいことをちゃんと伝えてくれる……そう思うのです。  
 問題は、それが「作者の言いたいこととは限らない」という点でして…。    

 高校野球を題材にした小説があったとします。 
 それなりに上手に書いてあり、キャラも立ってるし、物語も起伏に富んでいる。それなのに全体的な印象は散漫で印象に残るものがなく、感動とか爽快感とかが伝わってこない。そんな作品だったとしましょう。  
 いわゆる「なにが言いたいのかわからない作品」という奴でしょうか? いえいえ。そうじゃないから恐ろしいのです。  
 小説はちゃんと言いたいことを言っています。
 たとえば「この作者は、本当は野球が好きでもなければ興味も無い」といった具合に…(単なる【例】ですので、野球ネタの小説をどこかに投稿した経験のある人が読んでいたらごめんなさい)。
 
こうした傾向の作品はライトノベルや純文学だけでなく、児童文学や創作童話などのジャンルにすら見られ、子供を見下ろす傲慢な大人の視点にはしばしば辟易させられたことがあります。本音では軽蔑しているテーマを打算で選んだだけの作品とかは、よほどのテクニックがない限り、作者の本音が透けて見えてしまい、どう読んでもいい印象は持てません。  
 自分の作品に不誠実な作者は、自分の作品に仕返しされる、ということでしょうか。  
 一方、逆のパターンもあります。どう見てもひどい出来なんだけど、作者のメッセージだけはビンビン伝わってくる作品。

わかった! 
君が金髪ツインテールが好きなのはわかった!
メイドさんの絶対領域が大好きなのもわかった!
スクール水着が好きなのもよ〜くわかった!  
ブルマーが好きなのも、よ〜くよ〜くわかった!   
だからもう勘弁シテクダサイ。.......オネガイシマス......orz
 

 と、読んでるこっちが土下座したくなるような作品ですね(これも単なる【例】です。他意はありません)。自分の欲望に素直で正直な作品はたとえ出来が悪くても、読後感そのものはあまり悪くなかったりします。  
 こういう経験を何度もするうち「なにが言いたいのかわからない作品」なるものは、実は存在しないのではないか?と思うようになったわけです。プリキュア見て、そんなこと考えるなよ、とも思いますが。  

 もちろん「なにが言いたいのかわからない」を連発する方にも問題はあると思います。  
 冒頭にご登場いただいた成田さんが、どのような状況でそう言われたのかはわかりませんが、汎用性の高い便利な言葉なだけに、いささか安直な印象も受けます。  
 もし、どこかの出版社に原稿を持ち込んで「あなたの作品を読んだが、なにが言いたいのかわからない」と言われたとしても、それは時間に追われた編集さんが、横着して言っているだけかもしれません。
 今回は生意気なことを書きましたが、自分もこうした「恐さ」を忘れてはいけないという自戒を込めてということで、ご容赦いただきたいと思います。